【悪魔】ダゴンとはなにか?意味、エピソード、イラスト、元ネタ紹介

目次

ダゴンとは

意味

ダゴンとは

ダゴン(Dagon):ペリシテ人が主に信仰した神としてユダヤ教の旧約聖書を通して広く知られていた豊穣の神。紀元前13世紀頃のイスラエル人からすると、ペリシテ人は敵であり、その敵が崇拝する神ダゴンは異神であったため、後に悪神や悪魔として扱われるようになった。

実際に悪魔の扱いを明確に受けたのは17世紀の「失楽園」あたりからである。ダゴンはペリシテ人が信仰する前にカナン地方、シリア地方やメソポタミアで広く崇拝されていた神である。名前はDgn(穀物)を意味し、一般には豊穣の神とされている。聖書を翻訳する過程で、ヘブライ語のdagが「魚」を意味していたため、誤訳として半魚人(マーマン)の神として知られるようになった。誤訳と指摘されたのは20世紀になってからである。誤訳が原因で「失楽園」やクトゥルフ神話の「ダゴン」などの創作ではダゴンが魚人的・怪物的なイメージとして描かれている。ダゴンの資料は少なく、役割や姿はよくわかっていない。

語源

豊穣の神としてのダゴン

発音はdey-gonであり、デイゴンに近いのかもしれません。

ウガリット語ではDgn(DagnuもしくはDaganu)、アッカド語ではDaganaと表記されていたようです。

ウガリット語のDgn(ダガヌもしくはダガヌ)の由来は「穀物(こくもつ)」を意味するそうです。穀物とは一般に、米・麦・粟・豆・キビなどといった人間がその趣旨などを常食とする農作物のことです。

ビュブロスのフィロンという古典的著述家(60年-141年)によれば、Dagonを「grain(穀物)」という言葉でフェニキアの著述家であるサンキュニアトンが説明しているそうです。ややこしい。フェニキア語の穀物という言葉でDagonが説明されていたということでしょうか。

Sanchuniathon further explains: “And Dagon, after he discovered grain and the plough, was called Zeus Arotrios.” The word arotrios means “ploughman” or “pertaining to agriculture” (from ἄροτρον, ‘plow’).

出典

サンキュニアトンはさらに「そしてダゴンは、穀物と鋤とを見出してより、ゼウス・アロトリオス (Ζεύς Άρότριος) と呼ばれた」と説明している。「アロトリオス」は「鋤 (ἄροτρον) の者」あるいは「農業にかかわる」を意味する。

出典

ゼウスといえばギリシア神話における最高神ですよね。つまり、ダゴンは農業に関わる神、鋤(すき)の神と呼ばれたということでしょうか。ploughmanは調べると「土百姓、農、農夫、百姓」などを意味しているようです。plowは鋤ですね。鋤とは地面を掘ったりする道具です。

農業が栄えるということは、豊穣であるということです。豊穣(ほうじょう)とは日本語で「穀物がみのり豊かなこと」を意味します。それゆえ、ダゴンが穀物の神であるということは、豊穣の神ということにつながるのではないでしょうか。英語では(Fertility)と表現されることがありますが、この単語自体はより広義な意味で、「肥沃(ひよく)、多産、(土地の)産出力、(創意などの)豊富さ、繁殖力」を意味するそうです。

According to one tradition, Dagan was the inventor of the plough.[121]

出典

ある伝統によれば、Daganは鋤の発明者だったともあります。

魚人としてのダゴン

ダゴンが魚人として扱われた起源をさかのぼると、旧約聖書の『サムエル記』にたどり着くそうです。

そもそも「Dagon」というスペルが出たのが『サムエル記』が原因だったという話ですかね?今まではDgnやDanagaだったわけです。そもそもウガリット語やアッカド語の文字の発音を英語であるDgnで表したので、本来の言葉はもうすこし違うかもしれません。

ヒエロニムス(347-420)というキリスト教の翻訳者が昔いたそうです。聖書のラテン語訳をしていた人のようですね。『サムエル記』は元々ヘブライ語で書かれていて、それをヒエロニムスという人が皆が読めるようにラテン語に訳したということでしょうか。

「図解 悪魔学(新紀元社)」によれば、「魚の姿になったのは、ヘブライ語の『dag』が『魚』を意味することから、ユダヤ教のラビの中にダゴンは半身半魚の神だと考えるものが現れたためらしい(50P)。」とあります。

11世紀フランスのユダヤ人聖書注釈者であったラシという人が最初にdagが魚であるという説を唱えたらしいです。この人がラビですかね。また13世紀のユダヤ人聖書学者ダヴィド・キムという人は「サムエル記の『胴体だけが残されていた』という箇所を『魚の形だけ残されていた』と解釈し、『ダゴンは臍から下が魚の姿であり(ゆえにその名をダゴンという)、臍から上が人間の姿だった。その彼の両手が切り取られていたと言われている』と付け加えた(出典)。」らしいです。

これがいわゆるダゴンが魚人として解釈されたのはサムエル記のみがソースということなんですね。結局の所、誤訳や誤解釈だったわけですね。

「悪魔の辞典」,フレッド・ゲディングズ著,大滝啓裕訳,(青土社)によれば、「Dagonはミルトン以前にはデーモンではなく、2つの世界を自在に行き来する、奥義伝授の神、魚人(この名前はヘブライ語で『魚』を意味するdagと『偶像』を意味するaonに由来する)(399P)」であったとあります。

A long-standing association with a Canaanite word for “fish” (as in Hebrew: דג‎, Tib. /dɔːg/), perhaps going back to the Iron Age, has led to an interpretation as a “fish-god”, and the association of “merman” motifs in Assyrian art (such as the “Dagon” relief found by Austen Henry Layard in the 1840s).

出典

ヘブライ語でdagは魚(fish)という言葉を意味していたそうです。ちなみにヘブライ語でアオンは偶像という意味だそうです。ダグ(魚)のアオン(偶像)を合成すると、dagonという言葉になるということです。

ヒエロニムスという人が間違えてなのか意図的なのかわかりませんが,下半身が魚形の海神と考えられてしまったようですね。

Although Dagan was once mistakenly assumed to appear in artwork as a fish-garbed figure,[121] this is now known to be inaccurate.[121]

出典

魚に関連した人物として描かれることがありましたが、これは現在では不正確として知られていますとあります。

WIKIによればダゴンの語源を「魚」とする説に最初に疑問に思ったのはなんと1928年のハルトムート・シュメッケルという人らしいです。1928年ですよ。かなり最近ですよね。それまでダゴンは魚が語源だと考えられていて、アッシリアやフェニキアの「人魚」やバビロニアの半魚神オアンネスと結び付けられてしまっていたようです。

参考文献リスト

ダゴン(日本語WIKI)※英語WIKIの翻訳

ダゴン(英語WIKI)

https://mythology.net/others/gods/dagon/

ダゴンの外見・イメージ

アプカルルやオアンネスと同一視されたダゴン
アプカルル

アプカルル(Apkallu):アッカド語ではapkallu、シュメール語ではAbgalとして碑文で見られる用語であり、一般には「賢者」を意味する。メソポタミア神話では大洪水時代以前に、人間に工芸や文明をもたらすため、エリドゥ(都市名)の神エア(シュメール語ではエンキ)によって7人の賢人アプカルルが送り出されたらしい。

ダゴンとの関連

アダパをはじめとする賢人アプカルルはメソポタミア時代の文献では『神聖なるプラードゥ魚』(恐らくコイの事)として記載されており、賢人の骨はその時代の初期に設けられた神殿と、神殿を中心とした信仰に結びついた見方がされ、またその影響は中近東のモスクや修道院における日課にも表れていると考えられている。

アダパは絵では漁師として描かれるが、その際には半魚人のような姿である事もある

出典

上記にあるように、アプカルルは半魚人(マーマン)として描かれることがあるようです。

Bas-relief (probably) of an Apkallu figure from the temple of Ninurta at Nimrud.出典

Ninurtaはニヌルタともいわれ、メソポタミア神話における豊穣と戦闘の神で、「大地の神」を意味するそうです。バビロニアやアッシリアで崇拝されていました。Nimrudはニムルドであり、古代アッシリアの遺跡です。アッシリアの時代にはカルフと呼ばれる都市でもあったそうです。

そのニムルド遺跡にあるニヌルタの神殿で、アプカルルが描かれていたそうです。魚人というよりは、魚をかぶった人間ですね。

アプカルルを基にして、オアンネス(Oannes)という知性を持つ怪物がいます。ベロッソスという紀元前3世紀初めに活躍したとされる著述家で、代表作に『バビロニア誌』があります。バビロニアの地は多くの国が支配した地域でしたが、最終的には紀元前330年頃にギリシアのアレクサンドロス大王の遠征によって支配下におかれました。WIKIによれば自らが征服した地域であるバビロニアの歴史を知りたかったアンティオコス1世にベロッソスが依頼された説があります。

「第1の年、バビロニア辺境のエリュトゥラーの海に、オアンネスという名の、知性を持つ怪物が現れた。その全身は魚の身体であった。魚の頭の下にもうひとつの頭があり、また下には人間に似た足が、魚の尾鰭の部分に付いていた。その声と言葉は明瞭で、人間のものであった。この怪物は人間たちの間で一日を過すが、その間、何も食べない。そして彼は、あらゆる文学、科学、技芸を教えた。都市の造り方、神殿の築き方、法律の編み方を教え、幾何学の原理を説いた。大地の種子を見分け、果物の集め方を教えた。簡単にいえば、野蛮な風習を和らげ、生活を人間的なものにするすべてを教えた。そのとき以来、彼の指導によってもたらされた進歩に付け加えるものは何もない。太陽が沈むと、このオアンネスなる存在は海に戻り、海中で夜を過した。彼は水陸両生だったのである。」

出典

『バビロニア誌』によれば、バビロニアのオアンネスに関して以上のような内容があるようです。たったの7日ですべての文化を人間に授けたという神話ですかね。7日といえばユダヤ教の旧約聖書『創世記』でも天地創造が7日で行われたとありましたね。バビロニアは海に面していたので、海に関する神話が多いのかもしれません。

Semitic god Dagon, coloured line-drawing based on the “Oannes” relief at Khorsabad. 出典

この絵は現在のコルサバド村(Khorsabad)にあったといわれるオアンネスの浮き彫りを基にして色付けされたセム系のダゴン神と直訳すればなるんですかね。ダゴンといえばこのイメージが強そうです。

現在のコルサバド村、当時はドゥル・シャルキンというサルゴン2世の時代のアッシリアの首都です。アッシリアは当時メソポタミアを統一し、バビロニアの地も支配下にありました。

The Babylonians had a myth that a being emerged from the Erythraean Sea who was part man and part fish and thus adopted the deity into their culture in their earliest days in history. Their have also been discoveries of the fish-god in the sculptures found in Nineveh, Assyria.

出典

バビロニアはエリュトゥラー海からでてきた神話を持っていたとあります。人間と魚の両方の部位を持つような神もそこから現れたんですかね。このサイトも出典がよくわかりません。

おそらくベロッソスが『バビロニア誌』で挙げている半魚の賢人あるいは神であるオアンネスとダゴンが後々の時代で受け入れらたのではないでしょうか。つまり上で述べられているエリュトゥラー海からでてきたバビロニアの神話というのが、ベロッソスの『バビロニア誌』であり、オアンネスの話だということです。そしてオアンネスがダゴンと結び付けられた原因が、ダゴンの語源が魚だとする説からです(ヘブライ語でdagが魚を意味する)。

結局の所、ダゴンは魚神あるいは海神だというのは誤りだったということですね。

参考文献

半魚人(マーマン,日本語WIKI)

Merman(英語WIKI)

Apkallu(英語WIKI)

アダパ(日本語WIKI)

ベロッソス(日本語WIKI)

地位

・シュメール神話やメソポタミア等の古代オリエントの神話の中では、そこまでダゴンの地位は高くなかったようです。エンリルという最高権力神の付き人の神であるという説明があるほど、メインの神という印象がありません(あくまでも説のひとつのようですが)。ただペリシテ人や一部の都市(エブラやマリ)では最高神として崇められていたそうです。豊穣の神という具体的に利益がある神ということで、信仰の対象にはされやすかったのかもしれません。メソポタミアは干ばつなどが多かった地域です。

・「地獄の辞典」(1826年)では第二階級の魔神と記載されていますが、出典が不明です。

・「失楽園」(1667年)重立った者(異教の神を紹介するシーンで)の中で、モロク、ケモシ、バアル及びアシタロテ、ダンムズの次にルシファーの元に来たのがダゴンでした。ただ、来た順に位が高いかどうかは解釈次第になると思います。ちなみに最初にルシファーのそばにいたのがベルゼブブで、最後に来たのがベリアルです。

神話におけるダゴン

神話はややこしい

この項目は難しい。ややこしい。そもそもメソポタミア神話自体がややこしい。

まずカナン系神話とメソポタミア神話に区別できます。次にシュメール神話とメソポタミア神話に区別する場合と、メソポタミア神話の中にシュメール神話を入れてしまう場合があります。シュメール神話を除くメソポタミア神話としてアッカド神話が挙げられる場合がありますが、アッカド神話はバビロニア神話とアッシリア神話に分けられます。

ウガリット神話はカナン系神話(セム系神話)に属します。

アダドとは?

神話のややこしさを知る例としてアダド神が挙げられます。

アダド【Adad】
本来は西方セム系の嵐・雷電の神で,その神名も雷鳴のとどろきを意味するḥddに由来する。シリア地方ではハダドHadadと呼ばれたが,普通はアッカド語圏の神とみなされている。文書では発音のいかんにかかわらずIMと書かれるが,標準的なアッカド語呼称はアダドである。ただし,アモリ(アムル)系の人々の間ではアッドゥAdduとも呼ばれた。この神名はすでにファラ時代(前3千年紀中葉)の神名表に現れることから,同神はかなり古くから南部メソポタミアでも知られていたと思われるが,とりわけその祭儀はアッカド時代(前2334‐前2154ころ)以後の北部メソポタミアに広く見られた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典

まずは信憑性の有りそうな辞典や辞書の定義で掘り下げていきます。これによると、アダドは西方セム系の嵐、雷電の神です。ちなみにアッカド語は東方セム語です。西方セム語はカナン諸語、アラム語、ウガリット語(いわゆる北西セム語)に分類されることがあります。

シリアの古代宗教は,基本的には農耕やオアシスをめぐる豊穣崇拝であり,各都市はそれぞれ独自のバアルBaal(男神)とバアラトBaalath(女神)をもっていたが,時とともにギリシア,ローマ,バビロニア,アラビアなどの神々との習合が起こった。また,フルリ人の主神ハダド(アダド)は内陸部シリアでとくに広く崇拝されたが,バアルと習合していた。バアルは雷神・戦神の性格をもっていたが,その後バビロニアの宗教の影響の下に,至高の宇宙神(天神,太陽神)となり,一神教的色彩を強めた。…

雷を武器として戦う勇壮な神の活動によって起きるという信仰は,多くの地域に共通して見いだされる。その原型の一つを成したと思われるのは,怒りが洪水や干ばつの原因となると信じられて恐れられた,メソポタミアの雷神アダドで,その性格はヒッタイトのテシュブや,旧約聖書に登場するフェニキアのバアルなどに,はっきり継承されており,バアルとの習合を通して,イスラエルの神ヤハウェにも部分的に受け継がれている。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

上記の説明を見ると、メソポタミア神がカナン系の神に伝承されたという順番になります。たしかに「すでにファラ時代(前3千年紀中葉)の神名表に現れることから,同神はかなり古くから南部メソポタミアでも知られていた」と別の辞書にあったので、メソポタミアのほうがさきだったのかもしれません。

アダドAdad

バビロニアおよびアッシリアのパンテオンの偉大なる気象神。風の主エンリルが地上界の神になったとき,そのかわりに雷雨の支配権を握った。アダドは2つの性格,すなわち,雨風によって肥沃をもたらす豊穣神としての性格と,暴風雨,雷,洪水によって自然を破壊し,暗黒と死をもたらす神の性格とをもつ。また,それらの性格から,シャマシュとともに未来を喚起する特権をもつ託宣の神としても崇拝された。天神アヌの息子あるいは大地の神ベルの息子と呼ばれる。聖動物は雄牛とライオン,シンボルは糸杉,牛の背に乗り,片手に稲妻を持つ形で表現される。起源は不明であったが,近年北シリアのラス・シャムラの発掘により,アシアニック語系民の最上の神であることがわかった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

別の辞典を見ると、聞いたことのない言語の民の最上の神という説もあり、メソポタミア系でもカナン系でもない可能性も出てきたようです。ラス・シャムラ遺跡を調べると、古代の王都であるウガリットの遺跡みたいです。

つまり、西方セム系とはカナン系やウガリット系であるということです。ウガリットも地中海の沿いのいわゆるカナン地域といわれる地域にあります。

「本来は西方セム系の嵐・雷電の神で,その神名も雷鳴のとどろきを意味するḥddに由来する。シリア地方ではハダドHadadと呼ばれたが,普通はアッカド語圏の神とみなされている」と辞典にはあります。

シリア地方を知るために現在のシリアの位置を引用します。やはり地中海沿いですね。

辞典の言い方では”本来は”西方セム系の嵐・雷電の神であり、シリア地方(カナンあたり)ではハダドと呼ばれているが、普通はアッカド語圏(東方セム語)の神とされると読めます。要するに西方セム語ではハダド、東方セム語(アッカド語)ではアダドというわけです。アムル系の人々の間ではアッドゥと呼ばれたそうです。

同じ神を違う言語で表しているだけなのか?という問題が大事ですよね。「この神名はすでにファラ時代(前3千年紀中葉)の神名表に現れることから,同神はかなり古くから南部メソポタミアでも知られていたと思われるが,とりわけその祭儀はアッカド時代(前2334‐前2154ころ)以後の北部メソポタミアに広く見られた。 」と辞典にはあります。

南部メソポタミアというとシュメール人系の都市国家です。つまり、メソポタミア南部で古くから名前が登場しているし、シリア地方でも登場しているので、どちらが先かよくわからないといったところでしょうか。とりわけ信仰されたのがアッカド時代以後の北部メソポタミア(アッシリアなど)だったそうです。

メソポタミア神話の天候神。暴風、雷、雨のほか洪水や戦いの神でもあった。本来は東地中海岸地方に住んでいた西セム人の神で、カナンでハダドとよばれていたが、アッカドのランマヌ神とも同一視され、『旧約聖書』ではハダデ・リンモンとよばれている(「ゼカリヤ書」12.11)。ヒッタイトではテシュブとよばれ、しばしば石碑にその姿が表された。メソポタミアの各地に、この神に捧(ささ)げられた神殿が建てられた。

[矢島文夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について

別の定義を見てみます。先ほどと同じように、本来は西セム人の神で、ハダドと呼ばれていたようです。新しいランマヌ神という言葉が出てきます。ランマヌとグーグルで調べても23件しか出てこないので詳細はよくわかりません。

Hadad (Ugaritic: Haddu), Adad, Haddad (Akkadian: ) or Iškur (Sumerian) was the storm and rain god in the Canaanite and ancient Mesopotamian religions. He was attested in Ebla as “Hadda” in c. 2500 BCE.[1][2] From the Levant, Hadad was introduced to Mesopotamia by the Amorites, where he became known as the Akkadian (AssyrianBabylonian) god Adad.[3][4][5][6]

出典

次に英語のWIKIを見てみます。直訳すれば、「ウガリット語でハダド、アッカド語でアダド、もしくはシュメール語でイシュクル」カナンや古代メソポタミアの地域の嵐と雨の神となります。ここではハダド=アダド=イシュクルとして扱っていますね。

また重要な文章として、エブラ(シュメール人の都市国家)ではHaddaとも呼ばれていたようですね。レバント(地中海東武)から、ハダドはアモリ人によってメソポタミアに紹介され、ハダドはアダドとして知られるようになったとあります。このメソポタミアとはシュメール人やアッカド人両方を含むのだと思います。さらに後のアッシリアやバビロニアでも伝えられていくことになります。

おそらくこれがいちばん重要な情報ですね。元々地中海、つまりカナン地方の神であったハダドが、メソポタミアにアモリ人によって紹介され、アッカド語でアダドと呼ばれるようになったということです。天候を司る神はそれぞれの神話にいて、同一視されることもあったそうです。

Hadad was also called Pidar, Rapiu, Baal-Zephon,[9] or often simply Baʿal (Lord), but this title was also used for other gods.

出典

WIKIにはさらに続いて、Pidar、Rapiu,Baal-zephon、Baʿalとも呼ばれることがあったそうです。この中のBaʿalはいわゆるバアルです。

カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の。その名はセム語で「主」[1]、または「主人」「地主」を意味する

メソポタミア北部からシリア、パレスチナにかけて信仰されていた天候神アダドは、ウガリットではバアルと同一視されていた[3]。アダドはシリアではハダド、カナンではハッドゥと呼ばれ[3]、バアルとハダドはたびたび関連づけられていた[4]。バアルの名はすでに前3千年期初頭の中近東の文献に登場するが、バアルが最もよく知られているのはウガリット文学(前1250年頃)において果たしているその顕著な働きを通じてである[5]

出典

バアルとしらべるとこのような情報が出てきます。バアルはセム語で主や主人を意味するそうです。先程の英語で言うところの「Lord」ですね。英語WIKIによればBaal-Zephon、あるいは単純にバアルとあり、バアルは他の神にも用いられる用語であるとあります。

民族異教の神として悪魔として聖書に登場する文献
モアブ人の神べオルのバアルベルフェゴル『民数記』25章
シケム人の神バアル・ベリトベリト(ベリス)、バルベリト
『士師記』8章
ペリシテ人の神バアル・ゼブルベルゼブル『列王記下』1章
カナン人の神バアル・ハダト
バアルがヘブライ語的に音が変化した場合ベリ・ヤールベリアル
古代カナン人 フェニキア人の神(ビフロスなどの都市)バアル・ハダト(雷鳴の王)が「バアル」に縮められて登場。豊穣の神。アスタロト『列王記下』10章
カルタゴ:フェニキア人植民地バアル・ハモン(空と植物の神)
モレク
ソロモン王72の悪魔のひとつ、東方を収める王バアル(バエル)『ソロモン王の小さな鍵』
備考:バアルは「王」、「主人」という意味

たしかにバアルはさまざまな神に使われています。たとえばモアブ人の神はべオルのバアルといわれ、のちにベルフェゴルという悪魔になりました。シムケ人の神はバアル・ ベリトと呼ばれ、のちにバルベリトという悪魔になりました。ペリシテ人の髪はバアル・ゼブルといわれ、のちにベルゼブルという悪魔になりました。

カナン人の神として、バアル・ハダトという神が出てきますが、これがおそらくハダドのことでしょうね。この神は悪魔化されていないようです。ちなみにベリ・ヤールはバールのヘブライ語変換となり、のちにベリアルという悪魔になります。他にも悪魔バエルというソロモン72人の悪魔の一柱がいます。

バアルひとつとってもややこしいのに、バアルと呼ばれるハダド(アダド)はもっとややこしいんです。

ダゴンはバアル(ハダド)の親であるという解釈

頭が痛くなるようなハダドとバアルの説明をしたのはこのためです。

バアル像、出典

ダゴンはウガリット神話でバアルの親という説があります。つまり、拡大解釈をすれば、同一神と見られるアダドの親であり、ハダドの親であり、イシュクルの親ということになります。WIKIに「ダゴンの子バアル(b‘l bn dgn)とも呼ばれる(出典)」とあるのがそのソースです。また、WIKIには同様に、バアルは最高神イルの息子と呼ばれるともあります。これは親が2人いることになりますが、そういう説があるという理解にとどめます。

ちなみにハダドのシュメール語であるイシュクル神は、シュメール神話における最高権力神であるエンリルの子供という説があります(出典)。説とあるように、他のWIKIには「 アヌ・キ or エンリル・ニンリル or シン・ニンガルなど一貫性はない(出典)」といったような説明がされます。ハダドの親にはいろいろな説があるということです。

ウガリット神話でバアルは神々の王になるという話もあります。女神アナトが妹であり妻です。また兄弟には海神ヤムや死神モートがいます。ウガリット神話の最高神はエール(ウガリット語でイル)です。イルの妻に女神アーシラトや女神アスタルテがいます。元々はアナトもイルの妻であり娘の位置づけだったそうです。

イルはバアルが死んだと聞いて、王座から降りたそうです。妻のアーシラトが自分の息子であるアッタルに王位を継がせようとしましたが、イルはそれを断ったそうです。その後復活したバアルは王座につきます。つまり、バアルが最高神の位置についたということですかね。WIKIによればイルは年老いた神であり、事実上の主神はバアルであったとあります。ウガリット神話においてバアルはかなり重要な神のようですね。

ダゴンの妻Shalash

どうして急に「ダゴンの子バアル(b‘l bn dgn)とも呼ばれる」とあるのか文脈がよくわかりません。

英語版WIKIを見ると以上のようにあります。Dagan and Shalash(in Syria)と。つまり、シリア地方ではバアルの両親がダゴンとシャラッシュであると言い伝えられてきたということですね。いくつかのウガリットの文章ではイルとアーシラトがバアルの両親ともあり、2つの説がやはりあるみたいです。

しかしShalashという神の情報があまり出てきません。外国のあるサイトによれば、シャラッシュは農業の女神だったそうです。またバアル以外の子供には、ヘバット(Hebat)という女神がいるそうです。

おそらくシュメール語でHepatと呼ばれる地母神ではないでしょうか。フルリ人の神みたいですね。

Lluís Feliu in his study of Dagan argues that Hebat was likely viewed as his daughter and as such as a sister of the storm god of Aleppo (Hadad).[5]

Her vizier was the goddess Takitu/Takiti.[6]

出典

おそらくダガンの娘にヘバットがいる出典はこれですね。Lluís Feliuという人がダゴンの研究で、Hepatがダゴンの娘だり、Adad(バアル)の兄妹であると主張しているようです。さすがに出典元まで参照していないので真偽は不明です。フリル人は既存のシリア地方の神を自分たちの神話に組み込んだそうですね。ちなみに女神Hepatの夫はテシュブ(Tesub)というらしいです。

参考文献

バアル(日本語WIKI)

エール(日本語WIKI)

Ḫepat(英語WIKI)

ダゴンの妻シャラ

Shala was an ancient Sumerian goddess of grain and the emotion of compassion. The symbols of grain and compassion combine to reflect the importance of agriculture in the mythology of Sumer, and the belief that an abundant harvest was an act of compassion from the deities.[1] Traditions identify Shala as wife of the fertility god Dagon, or consort of the storm god Hadad‘ also called Ishkur.[2]

出典

先程は「Shalash」というスペルがでてきましたが、「Shala」というシュメール神話の穀物や思いやりを司る女神がいるようです。伝統によれば、豊穣神ダゴンの妻であり、またイシュクルと呼ばれていたハダドのconsort(訳は配偶者?妻?)だったといわれています。

もし両方の説が事実なら、ダゴンの息子であるハダドは、自分の母親と結婚したことになります。andではなくorなので、前者に賭けましょう。

シャラは2二匹の雌のライオンの上で生まれているように描かれることがあるようです。またおとめ座とも関連しているようです。

During the second millennium Šala was syncretised with Šalaš, wife of Dagan.

出典

別のサイトでは、salasとsalaが同一視(習合?)されていたともあります。salash=salaということなんですかね。いずれにせよサラの系譜はよくわかっていないそうです。

ダゴンの妻Ishara

Isharaというシリアの神もいます。都市国家エブラで崇拝されていたそうです。エブラで最初に名前がでた神であり、エブラ固有の神である説もあります。

From the Ur III period onward texts occasionally associate her with Dagan, and in the past some researchers (ex. Wilfred G. Lambert) considered it possible a tradition alternate to the usual view of Shalash as Dagan’s wife presented them as spouses.[40]

出典

ウル第三王朝はシュメール人がアッカド王国の滅亡に伴い建国した国です(紀元前22世紀頃)。その時期以降、ダゴンと女神Isharaを関連付けるテキストがでてきたようです。今まではIsharaではなくShalashが伝統的にダゴンの妻と考えられてきましたが、それとは違った考え方もできるのでないかといった内容ですね(多分)。

フルル神話ではIsharaは冥界の女神と密接に関連しているそうです。アッカド伝統では愛の女神だったそうです。Goddess of oaths, disease, loveとあります。oathsは誓い、diseaseは病気です。

ダゴンは冥界とも関連付けて語れることがあります(冥界の裁判官の一人とアッシリアの誌ではあるようです)が、Isharaの冥界とも関連があるのでしょうか。Isharaも同様にアッシリア神話に組み込まれているようです。

There is no evidence for the parents or creation of Dagan. In some traditions the spouse of Dagan was Šalaša, in others Išhara (Black and Green 1998: 56)

出典

他の出典はこちらです。こちらでもダゴンの妻がIshara説があるようです。

参考文献

Ishara(英語WIKI)

Enmeshara

この神は、文献でほとんどでてきていません。エンメシャラでいいんですかね読み方は。

シュメール語やアッカド語の神話の冥界に登場する人物であり、Sebittiという戦争の神の父親であったという説もあるそうです。いずれにせよあまり知られていないマイナーな神のようです。

In other cases Dagan is said to keep with him the seven children of the underworld god Enmešarra, and this netherworld aspect to Dagan is possibly supported by the temple built by Šamši-Adad I (ca. 1808-1776 BCE) at Terqa called the é-kisiga “temple of the funerary offerings” (Black and Green 1998: 56).

(出典)

なぜこの神を紹介するのかというと、上の引用文にダゴンとの関連が見られるからです。文脈的にはニヌルタと一緒に冥界の神エンメシャラの7人の子供をkeep withしていたとあります。keep withの訳がよくわかりませんが、世話をしていたでいいのでしょうか。付き合っていた、連絡をとっていた等かもしれません。

この話はシャムシ・アダドが建てた神殿が裏付けているらしいです。おそらく石碑かなにかがあったのでしょう。「temple of the funerary offerings」を訳すと、葬式の奉納の神殿ですかね。別の章では”葬儀の犠牲(funeary sacrifices)”ともあります。いずれにせよ」ダゴンが実際にメソポタミア神話内でどのような機能をもっていたかは不確かなようです。

参考文献

Enmeshara(英語WIKI)

能力

・豊穣や大地に関係する神

・海や魚に関係する神(誤訳によるものだが、創作としてはあり)

・ダゴンの子供に天候や嵐、雷を司るといわれているハダドがいるという説がある。創作の一環としては、親であるダゴンも同じ系統の力が使えると考えてもいいのかもしれない。

・アッシリア神話に「冥界の裁判官の一人」とある。

・王権を与える力があるとされる(マリ王に王権を与えたとされる)。

・ダゴンはバビロニア時代では強力で戦闘的な守護神と説明されることがあるので、強いのかもしれない。

・ダゴンはアッカドの王家の碑文によれば、軍事的役割(military role)をもっていた可能性があるらしい。

※「References to Dagan in some of the Akkadian royal inscriptions have been thought to suggest a military role for this deity(出典)」

・植物を司るかもしれない。fertilityは一般的に豊穣と訳しますが、vegetationには「草木や植物、植生」といった意味があります。

※「has tempted some scholars to assume that he played a role in vegetation/fertility, which might be confirmed by his son’s, the West Semitic deity Ba’al, role as a vegetation deity (Black and Green 1998: 56)(出典)」

・「地獄の辞典」ではパンの製造・管理を任されていた。パンとは文字通り、食パンのパンである。ダゴンの語源として穀物や麦があるので、それに関連付けられたのかもしれない。

時系列整理(表)

文献年代概要
『ヨシュア記』不明。作者のヨシュアは紀元前13世紀頃の人物とされる。ベテダゴンという地名が出てくる
『士師記』不明。内容は紀元前13世紀から11世紀頃ペリシテ人のダゴンへの信仰
『サムエル記』不明。作者の一人のサムエルは紀元前11世紀の人物とされている。上5:2~7にダゴンと神の箱のエピソード
『歴代志』不明。内容はイスラエルの歴史で、バビロン捕囚あたり(紀元前597-紀元前538)まで。作者はエズラ(紀元前480年-紀元前440年)説がある。サウル王の首がダゴンの神殿におかれる(上10:10)
『失楽園』1667年。作者はジョン・ミルトン。この頃から悪魔扱いされる。堕天使(悪魔)の一人として紹介される
『地獄の辞典』1826年。作者はコラン・ド・プランシー。第二階級の魔神であり、地獄宮廷のパンの製造・管理を司ると説明されている。

関連文献整理

『ヨシュア記』

英文

Gederoth, Beth Dagon, Naamah and Makkedah—sixteen towns and their villages.

(『ヨシュア記』第15章第41節)、出典

It then turned east toward Beth Dagon, touched Zebulun and the Valley of Iphtah El, and went north to Beth Emek and Neiel, passing Kabul on the left.

(『ヨシュア記』第19章第27節)、出典

和文

ゲデロテ、ベテダゴン、ナアマ、マッケダ。すなわち十六の町々と、それに属する村々。

(『ヨシュア記』第15章第41節)、出典

それから東に折れて、ベテダゴンに至り、北の方ゼブルンと、イプタエルの谷に達し、ベテエメクおよびネイエルに至り、北はカブルにいで、

(『ヨシュア記』第19章第27節)、出典

『士師記』

英文

Now the rulers of the Philistines assembled to offer a great sacrifice to Dagon their god and to celebrate, saying, “Our god has delivered Samson, our enemy, into our hands.”(「士師記」16:23)出典

和文

さてペリシテびとの君たちは、彼らの神ダゴンに大いなる犠牲をささげて祝をしようと、共に集まって言った、「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手にわたされた」(「士師記」第16章23節)出典

『サムエル記』

英文

5 After the Philistines had captured the ark of God, they took it from Ebenezer to Ashdod. 2 Then they carried the ark into Dagon’s temple and set it beside Dagon. 3 When the people of Ashdod rose early the next day, there was Dagon, fallen on his face on the ground before the ark of the Lord! They took Dagon and put him back in his place. 4 But the following morning when they rose, there was Dagon, fallen on his face on the ground before the ark of the Lord! His head and hands had been broken off and were lying on the threshold; only his body remained. 5 That is why to this day neither the priests of Dagon nor any others who enter Dagon’s temple at Ashdod step on the threshold.

6 The Lord’s hand was heavy on the people of Ashdod and its vicinity; he brought devastation on them and afflicted them with tumors.[a] 7 When the people of Ashdod saw what was happening, they said, “The ark of the god of Israel must not stay here with us, because his hand is heavy on us and on Dagon our god.”

(『サムエル記上』第5章第1-7節)、出典

和文

1 ペリシテびとは神の箱をぶんどって、エベネゼルからアシドドに運んできた。

2 そしてペリシテびとはその神の箱を取ってダゴンの宮に運びこみ、ダゴンのかたわらに置いた。

3 アシドドの人々が、次の日、早く起きて見ると、ダゴンが主の箱の前に、うつむきに地に倒れていたので、彼らはダゴンを起して、それをもとの所に置いた。

4 その次の朝また早く起きて見ると、ダゴンはまた、主の箱の前に、うつむきに地に倒れていた。そしてダゴンの頭と両手とは切れて離れ、しきいの上にあり、ダゴンはただ胴体だけとなっていた。

5 それゆえダゴンの祭司たちやダゴンの宮にはいる人々は、だれも今日にいたるまで、アシドドのダゴンのしきいを踏まない。

6 そして主の手はアシドドびとの上にきびしく臨み、主は腫物をもってアシドドとその領域の人々を恐れさせ、また悩まされた。

7 アシドドの人々は、このありさまを見て言った、「イスラエルの神の箱を、われわれの所に、とどめ置いてはならない。その神の手が、われわれと、われわれの神ダゴンの上にきびしく臨むからである」。

(『サムエル記上』第5章第1-7節)、出典

『歴代志』

英文

10 They put his armor in the temple of their gods and hung up his head in the temple of Dagon.

(『歴代志(上)』第10章第10節)、出典

和文

10 そしてサウルのよろいかぶとを彼らの神の家に置き、首をダゴンの神殿にくぎづけにした。

(『歴代志上』第10章第10節)、出典

ダゴンを崇拝していた民族とダゴンの由来の整理

ダゴンの由来と信仰してた民族の概要

ダゴンは多くの都市国家や王国で崇拝されていましたが、”最高神”といえるほどに崇拝した国家・民族は少なかったようですね。

メソポタミア神話では多神教なので、さまざまな神が同時に崇拝されていました。メソポタミア神話では最も重要な神としてアン、エンリル、エンキが挙げられ、その次に重要な神として7つの惑星の神であるシャマシュ、シン、ネルガル、ナブー、マルドゥク、イナンナ、ニヌルタが挙げられることがあります。原始的な存在としてアブズ、アンシャール、キ、ナンム、ティアマトが挙げられます(これらの分類の出典) 。

他の主要な神としてやっとダゴンが出てきます。アッシリア人の都市神であるアッシュールもこのグループです。有名なアダドもこのグループです。ダゴンはエンリルの付き添いのマイナーな神に過ぎなかったという説もあります。またアッシリアの詩ではダゴンは冥界の裁判官の一人だったそうです。

もっとも、アッシュールがエンリルと習合したり、マルドゥクがエンリルと習合したりと、神々は複雑なようですね。アッシリア人がメソポタミアを支配したときはアッシュールが最も重要な神として扱われたように、時代によって変容するみたいです。

最高神といえるほど強く信仰した民族は前13世紀頃にカナンの地に入植してきたペリシテ人が挙げられます。ガザとアシュドドのペリシテ人による都市国家にはダゴンの神殿があったそうです。しかし、ペリシテ人が入植する前からダゴンを崇拝していたわけではなく、入植した際にメソポタミア神話やカナン神話、ウガリット神話に影響を受け、豊穣の神としてのダゴン神を取り入れたというわけですね。

他には前2900年頃に栄えたとされるシュメール人による都市国家のマリでは、ダゴンが最高神とされているような記述があります。ダゴンに捧げられた神殿もあったそうです。前2300年頃にはシュメール人による都市国家のエブラでもダゴンが最高神とされているような記述があります。ダゴンに捧げられた神殿もあったそうです。マリもエブラも両方とも後にアムル人によって復興されるという共通点があります。

また紀元前2000年紀(1000年代)には、テルカという都市国家の主神(principal god)がダゴンだったらしいです。

知られている歴史の中では、ダゴン(ダガン)という名前が出てきたのは都市国家マリや、アムル人の名からだそうです。

紀元前2254年から紀元前2218年頃に在位したといわれるサルゴンの孫であるアッカド王朝の大王ナラム・シンに関する「ナラム・シンはアルマンとイブラを屠った、彼の王国を強大にするダガン神の得物によって」という碑文があります。ここにもダゴンへの信仰が見受けられます。

紀元前1780年から紀元前1741年にかけて在位したといわれる古アッシリア王国時代のアムル系アッシリア王は名をイシュメ・ダガン1世となのっています。先代の王の名前はシャムシ・アダド1世と神にちなんだ名前を名乗っていたようですね。アダド(シュメール名はイシュクル)はメソポタミア神話における天候や嵐、雷の神です。バアル、ハダド、アッドゥなどともいわれます。

紀元前1757年にメソポタミアを統一したバビロニア王国のハンムラビ王はハンムラビ法典の中で、自分を「己の創造者ダガンの佑けによりユーフラテス川の村々を支配するもの」と呼んでいるそうです。ここにもダゴンへの信仰が見受けられます。※佑けは「たすけ」と読みます。

紀元前1450年頃から紀元前1200年頃にかけて都市国家としての全盛期を迎えたウガリットではダゴンは大きな神殿を持ち、エールやサパン(ハダド)についで第三の地位にあったそうです。

紀元前663年にオリエントを統一したアッシリアの詩でダゴンは冥界の裁判官の一人だったそうです。

The Phoenician inscription on the sarcophagus of King Eshmunʿazar of Sidon (5th century BC) relates (ANET, p. 662): “Furthermore, the Lord of Kings gave us Dor and Joppa, the mighty lands of Dagon, which are in the Plain of Sharon, in accordance with the important deeds which I did.”

出典

紀元前5世紀のフェニキアにおけるシドンのエシュムンアザ王の棺の碑文には「我らの為した大業によって、諸王の主は我らに、シャロン平野にあるダゴンの強大な土地、ドルとヨッパをもたらした」とあるようです。フェニキア人はカナン人のギリシャ名です。紀元前3000年から紀元前2000年頃に地中海東岸中部に多数の都市国家や植民地を建設しています。シドンはフェニキアの主要都市だったみたいです。ウガリットもフェニキア人が作った都市のひとつでしたが前12世紀頃に海の民によって破壊されました。他のシドンやティルスは生き残り、さらに活発になっていったそうです。

海の民のひとつの民としてペリシテ人がいたという説もあります。カナンに元々いたカナン人たちが海の民と接触し、フェニキア人となっていった説もあるようです。

歴史概略

紀元前6000年代不明初期の農耕文明 
紀元前5000年代の初め頃不明灌漑農業の開始
紀元前3000年代の初め頃シュメール人メソポタミアの最初の都市国家ウルクが形成される
紀元前3000年エブラ人エブラ王国がつくられる。
紀元前3000年代後半西セム人ウガリットで都市国家が形成され、繁栄する。紀元前18世紀にはフルリ人も加わる。
紀元前2000年代(3000年紀)アッカド人シュメール人とアッカド人の間に文化的な共生関係が発達する。シュメール語はアッカド語に影響を及ぼし、アッカド語はシュメール語に影響を及ぼす。シュメール語からアッカド語へ置き換わっていくが、シュメール語は儀式などの言語として1世紀まで使われ続けた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD
紀元前2900年シュメール人都市マリの繁栄。
紀元前2600年アッシリア人(?)アッシュルという地に人が住みはじめる。
紀元前2500年エブラ人エブラの国王Kun-Damuがマリを打ち負かした説がある。
紀元前2400年シュメール人紀元前24世紀に都市国家であるマリがなにものか(アッカド人の王サルゴン説や都市エブラ説がある)に壊される。
紀元前2300年頃アッシリア人アッシュル市に都市国家が確立している。アッカド王朝時代には属領となっている。
紀元前2300年頃エブラ人エブラの王エブリウムまたはイブリウムの時代。周囲の諸都市を従え、アッシュールの王トゥディアとの間で貿易拠点を
アッシュール人にも使わせる条約を結んでいたらしい。
紀元前2240年アッカド人アッカド人が都市エブラ(エブラ人)を破壊する。
紀元前2300年アッカド人メソポタミアの都市国を統一する。アッカド王国の誕生。シュメールの都市の反乱を鎮圧。
紀元前2000年頃アムル人アッカド人によって破壊された都市エブラはイビット・リムが最初の王に即位して復活する。
このときのエブラの住民はアムル人。
紀元前2000年代シュメール人シュメール初期王朝、多数の都市国家が形成される
紀元前2112-2193年頃アッカド人アッカド王国が山岳民族(グティ人)の侵入を受け滅亡。シュメールの都市国家が復興し、ウル第3王朝(王はウル・ナンム)がメソポタミアを支配する。シュメール法典という世界最古の法典が誕生する
紀元前2100年頃アッシリア人アッシュール都市国家はウル第三王朝の属領となる。アッシュル市の支配者ザクリムがウル王アマル・シンのためにイシュタル神殿を建立する。この頃、アッシュル市の土地自体の神格化が始まり、前21世紀頃アッシュル市を統治したウシュピアがアッシュル神のための神殿を初めてこの母子に捧げた(と信じられている)。
紀元前2000年シュメール人エラム人にによってウル第3王朝は滅ぼされ、アムル人のイシン王国、アムル人のラルサ王国が登場する。
紀元前2000年頃アムル人3世紀前にアッカドに破壊されていたエブラ(都市国家・遺跡)が復活し、イビット・リムが最初の王に即位する。
エブラの住民はアムル人だったと言われている。
紀元前1950年頃アッシリア人古アッシリア時代が始まる。アッシュル市はバビロニアとアナトリアの中継貿易に従事し、利益を得る。
紀元前1900年アムル人アムル人がバビロン第一王朝を築く(古バビロニア)。イシン王国(アムル人)はラルサ王国(アムル人)に滅ぼされ、バビロン(アムル人)によって制圧される。
紀元前1813年アムル人/アッシリア人アムル人のシャムシ・アダド1世がアッシリアを征服し、アッシリアの王となる。アッシリア氏にシュバト・エンリル市を築く。バビロニア風の王権概念を持ち込み、自らを「世界の王」と称する。都市国家マリ(マリの王もアムル人)を占領する。シャムシ・アダドの時代はバビロンのハンムラビ王も臣従していたといわれる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2
紀元前18世紀末アムル人/アッシリア人アッシュルを拠点としたアムル系の族長シャムシ・アダド1世(在位紀元前1813-1781)が北部メソポタミアで巨大な王国を築き上げる。彼はアッシリア王として扱われ、初期アッシリア帝国とみなされることもある。
紀元前1763年アムル人アムル人の古バビロニア王国のハンムラビ王が、アムル人のラルサ王国を征服する。
紀元前1757年頃アムル人ハンムラビ王がメソポタミア全域を統一し、ハンムラビ法典を制定。
紀元前1756年頃アムル人/アッシリア人アムル系の族長シャムシ・アダド1世の息子であるイシュメ・ダガン1世(アッシリア王)の死後、アムル人のバビロン王ハンムラビによってアッシュル市は征服され、属国となる。
紀元前16世紀頃フルリ人フルリ人がメソポタミア北部のバブル川流域を中心にミタンニ国を建てる。
紀元前1650年頃アムル人紀元前1650年から紀元前1600年にかけての時期にヒッタイト人の王により都市エブラが再度破壊される。
紀元前1595年アムル人ヒッタイトの攻撃を受け、バビロン第一王朝が滅亡する。その後カッシートがバビロンを支配する(バビロン第三王朝ともいわれる)。
前1500年頃アッシリア人アッシリア王プズル・アッシュル三世(アッシュール・ニラリ1世(イシュメ・ダガン2世の息子)の息子)によりアッシュル市が強化される。この頃、メソポタミア北部、アナトリア南東部でミタンニが勢力を拡大し、アッシュルは属領として組み込まれる。ミタンニの王シャウシャタタールがワシュカンニを首都としてアッシリアを破ったとされている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB
前1400年頃ヒッタイト人/ミタンニ人ミタンニは内戦及び西隣する大国ヒッタイトの王シュッピルリウマ1世(前1334-前1322)により制圧され、属国となる。
紀元前1330年頃アッシリア人アッシリアの王アッシュール・ウバリト1世の元で次王シュッタルナ三世がヒッタイトを攻撃し、独立する。このときアッシリアを支配していたフルリ人のミタンニ王国も攻撃し、独立する。バビロニアとも戦って勝利する。
紀元前1235年頃アッシリア人トゥクルティ・ニヌルタ1世がバビロニアを征服する。バビロニアと同盟国であったヒッタイトにも侵攻し、それを破る。さらに北シリアへと領土を拡大する。
紀元前1208年頃アッシリア人アッシリアが政治混乱に陥り、バビロニアへの支配権を失う。
紀元前13世紀頃ペリシテ人古代カナン南部の地中海沿岸地域周辺に入植する。
紀元前13世紀頃イスラエル人エジプト第18王朝イフアメス1世の時代にイスラエル人が迫害される。
第19王朝ラムセル2世の時代にモーセがエジプト脱出。
紀元前1115年カッシート人エラム人によってカッシート王国(バビロン第三王朝)が滅ぼされる
紀元前1200年頃セム系・フルリ人海の民によってウガリットが「海の民」によって破壊される。
紀元前12世紀頃イスラエル人カナンの地に侵攻する
紀元前10世紀頃イスラエル人サウルを初代王として、イスラエル王国を建てる。
紀元前922年イスラエル人古代イスラエル王国が北イスラエル王国と南イスラエル王国(ユダ王国)に分かれる。
紀元前900年アッシリア人メソポタミアを統一し、アッシリア帝国を形成(新アッシリア)。新アッシリア時代が912年からはじまる。
アッシリア王ティグラト=ピラセル3世がバビロニア王も兼ねる。
紀元前722年アッシリア人アッシリア帝国がイスラエル王国を征服する。北イスラエル王国が滅亡する。
紀元前663年アッシリア人エジプトを征服し、オリエントを統一。西アジア最初の世界帝国となる。
紀元前625年カルデア人バビロンでアッシリア帝国から自立し新バビロニア王国を建てる。
紀元前612年カルデア人新バビロニア王国がアッシリア帝国を滅ぼす。メディアによりアッシュール市が破壊される。
紀元前586年カルデア人ユダ王国(南イスラエル王国)が新バビロニア王国に征服され、捕囚される。南ユダ王国も滅亡する。
紀元前539年ペルシア人イランから起こったアケメネス朝の王キュロス2世が新バビロニア王国を滅ぼす。
キュロス2世はバビロンに捕らえられていたイスラエル人を解放する。
紀元前525年エジプト人エジプトのプサメティコス3世がペルシャのアケメネス朝のカンビュセス2世に破れ、エジプトが征服される。
紀元前330年ギリシア人古代ギリシアの王朝であるアルアゲス朝のアレクサンドロスがアケメネス朝最後の王ダレイオス3世を破る。ペルシャ人のアケメネス朝が滅亡する。アレクサンドロス大王(アレクサンドロス三世)の東方遠征である。
紀元前305年エジプト人ギリシア人のプトレマイオス1世によって古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝がはじまる。
ヘレニズム国家のひとつに数えられる。王朝の中枢はすべてギリシア人だったという。
紀元前31年ローマ人オクタウィアヌス率いるローマ軍にアクティウムの海戦でプトレマイオス朝は敗北し、滅亡する。
エジプトはローマの皇帝属州アエュプトゥスとなる。

ややこしいのでざっと整理しておきます。

メソポタミア概略

メソポタミアとは

メソポタミア(Mesopotamia):メソポタミアはティグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野(ちゅうせきへいや)であり、現在のイラクの一部にあたる”場所”である。この沖積平野という場所で世界最古の文明であるメソポタミア文明が発祥した。文明初期の中心となったのは民族系統が不明なシュメール人といわれている。そのあともアッカド、バビロニア、アッシリアなどのさまざまな国がこの地域で興亡を繰り返した。紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王(ギリシャ)によってヘレニズム世界の一部となった。

メソポタミアの位置、出典

いままで私の中でメソポタミアという概念が曖昧だったので整理しておきます。メソポタミアは”場所”でなんですね。沖積平野は河川による堆積作用によって形成される地形だそうです。左に地中海がありますね。

アッカド帝国の地図、出典

ちなみにこれが最初にメソポタミアを統一して古代帝国を作ったとされるアッカド帝国の地図です。たしかに重なっていますね。エブラもアッカド人によって紀元前2240年に破壊されています。ペルシア湾(上の地図でいうとMAGANの左)の左にアムル人のバビロニアが誕生することになります。エブラもアムル人が復活させています。

紀元前3200年頃にはメソポタミアの最初の都市国家ウルクで、最古の文字とされるウルク古拙文字(こせつもじ)が誕生し、紀元前2500年頃には楔形文字(くさびがたもじ)が誕生しました。いずれもシュメール人の開発だったといわれています。アッカド語もシュメール語に影響を受けた言語です。

アッカド語はアッカド帝国以降、メソポタミアでは共通言語になっています。バビロン第一王朝でもアッカド語が使われていました。シュメール語も併用されいたようです。

紀元前900年にメソポタミアを統一したアッシリア人によるアッシリア帝国ではアッカド語北方言語であるアッシリア語が用いられていたようです。

新バビロニア(濃い緑)、エジプト (薄い緑)、リディア(青)、メディア(黄色)、出典

紀元前625年にはバビロンでアッシリア帝国からカルデア人が新バビロニア王国を建て、ふたたびメソポタミア及びその周辺地域を支配します。4つの帝国がこのあたりにあったんですね。リディア(紀元前7世紀ー紀元前547年)は世界で初めて硬貨(エレクトロン貨)を導入した国であり、現在のトルコにあたる地域です。イラン高原のメディア王国と争ったそうです。

ダゴンとニヌルタの関連

怪鳥アンズー(左)とニヌルタ、出典

詳細は後々の項目で述べることにして、ここではニヌルタ(Ninurta)について軽く触れたいと思います。

ニヌルタはバビロニアやアッシリアで崇拝されたというメソポタミア神話の神です。豊穣(農業・狩猟)と戦闘の神だそうです。意味は「大地の王」です。ダゴンも豊穣の神なので役割がかぶってますね。シュメール神話では豊穣の神であり、狩猟の神の属性がバビロニアやアッシリアで強調され、戦闘の神としての性質がつよくなったようです。

ダゴンもバビロニアでは軍事的役割をもったりしたので同じ傾向があるといえます。信仰される国によって神の性質が変わるのはよくあることです。

ニヌルタは主要な7つの惑星の神のうちのひとりなので、メソポタミアでは重要な神だったようですね。ニヌルタの惑星は土星だったそうです。シャマシュが太陽、シンが月、ネルガルが火星、ナブーが水星、マルドゥクが木星、イナンナ(イシュタル)が金星でした。

Ninurta calls upon the south wind for aid, which rips the Anzû’s wings off.[34][4] Ninurta slits the Anzû’s throat and takes the Tablet of Destinies.[4] The god Dagan announces Ninurta’s victory in the assembly of the gods[33] and, as a reward, Ninurta is granted a prominent seat on the council.

出典

ニヌルタ神が怪鳥アンズーを倒した後、ダゴン神がニヌルタの勝利を神の集まりで告げる場面があるそうです。そしてニヌルタは評議会の著名な議席を与えられたそうです。このあとに権力と称賛に飢えたニヌルタと、エンキ神が作った巨大な亀の話が続いています。最終的にニヌルタは亀が掘った穴に落ちて、エンキに敗北します。

ダゴンがすこし登場していますが、メソポタミア神話にダゴンはほとんど登場していないか、いままで見つかっていないだけかどちらかですね。資料が少なすぎるようです。あるサイトではエンリルの付き添い神のマイナーな神と称されているほどです(出典)。アッシリアの誌では冥界の裁判官の一人だったようです。

冥界の神ネルガル

冥界の神ネルガル、出典

冥界の神といえばメソポタミア神話ではネルガルです。クターの都市神であり,エレシュキガルが配偶神だったといいます。

戦争や死、疫病、冥界の神として知られています。妻のエレシュキガルは冥界の神で、父はエンリル、母はニンニルです。ニンニルが妊娠した時、「私の子宮には月の神が宿っている」といったらしいです。

参考文献

メソポタミア(日本語WIKI)

ニヌルタ(日本語WIKI)

ニヌルタ(英語WIKI)

ネルガル(日本語WIKI)

ペリシテ人

ペリシテ人とは
ペリシテ人とは

ペリシテ人(Philistines):紀元前12世紀から紀元前604年まで古代カナン南部の地中海沿岸地域周辺に入植していた人々。フィリスティア人ともいうらしい。アッシリアに征服され、(アッシリアを滅ぼした)バビロニアのネブカドネザル二世(在位:紀元前605年 – 紀元前562年)によって滅ぼされた。聖書(「サムエル記」や「士師記」など)においてイスラエル人がカナン(約束の地)に侵攻する際に対立していた人々として知られている。他にも「ヨシュア記」、「列王記」などにも登場する。パレスチナ(Palestina)はもともとペリシテ人の土地という意味だったそうです。」

ペリシテ人の起源

エジプト第19王朝(紀元前1293年-紀元前1185年)に対して「海の民」と呼ばれる人が侵攻していたそうだ。海の民は多数の民族からなる混成集団であり、東地中海の多くの王国を崩壊させたと言われている。エジプトの王メルエンプタハは海の民を撃退したらしい(ペルイレルの戦い)。

Based on the Peleset inscriptions, it has been suggested that the Casluhite Philistines formed part of the conjectured “Sea Peoples” who repeatedly attacked Egypt during the later Nineteenth Dynasty.[64][65]

出典

どうやらこの「海の民」とペリシテ人は関係があるらしい(ペリシテ人の系譜をたどると海の民は多数の民族のひとつだということだ)。らしいというのは、推測の域をでないということだ。「Casluhim」というのは古代のエジプト人らしい。創世記によれば、Casluhimはハムの息子ミツライムの子孫らしい。

ちなみにノアの方舟で有名なノアの3人の息子がセム、ハム、ヤペテです。ハムの子どもたちはミツライム以外に、クシュ、プシュ、カナンがいます。カナンの息子たちはシドン、ヘテ、エブス、アモリなど聖書によく出てくる名前ですよね。

ハムはノアが酔いつぶれて全裸で寝ているのをセムとヤペテに言いふらしたため、ノアはハムの息子のカナンに呪いをかけたそうです。このさいセムとヤペテは父親に上着をかけて気遣いを見せたことで ノアに祝福を受けたそうです。

ちなみにイスラエル人の祖はアブラハムと言われていますが、アブラハムの系譜をたどるとノアの息子のセムにたどり着きます。カナン人やペリシテはハムの子孫、イスラエル人はセムの子孫ということになりますね。

ペリシテ人の起源はいろいろ研究があるようです。「エーゲ海方面から地中海東海岸に進出した「海の民」の一派」というのがやはり定説らしい。エーゲ海をわたってカナン地方に上陸した民族ということです。DNA鑑定によれば古代ペリシテ人の祖先の一部は南ヨーロッパ(ローマ系?)に起源を持ち、最も近いDNAが「クレタ島に住んでいた人々」らしいです(これも推測の域をでないらしいですが)。またクレタ島の昔の情報もあまりないです。

パテロス族、カスル族、カフトリ族が出た。カフトリ族からペリシテ族が出た。

(創世記第10章第14節)

またカフトルから出たカフトルびとは、ガザにまで及ぶ村々に住んでいたアビびとを滅ぼして、これに代ってそこに住んでいる。

(「申命記」第2章第23節)

聖書にはカフトルという名前がでてきますが、これは旧約聖書における古代ミノア文明の中心地クレタ島の呼称です。ペリシテ人がクレタ島からきていたという説を裏付けるものでもありますね。

ペリシテ人の巨人兵ゴリアテとイスラエル人ダビデの戦い

時に、ペリシテびとの陣から、ガテのゴリアテという名の、戦いをいどむ者が出てきた。身のたけは六キュビト半。

頭には青銅のかぶとを頂き、身には、うろことじのよろいを着ていた。そのよろいは青銅で重さ五千シケル。

また足には青銅のすね当を着け、肩には青銅の投げやりを背負っていた。

手に持っているやりの柄は、機の巻棒のようであり、やりの穂の鉄は六百シケルであった。彼の前には、盾を執る者が進んだ。

ゴリアテは立ってイスラエルの戦列に向かって叫んだ、「なにゆえ戦列をつくって出てきたのか。わたしはペリシテびと、おまえたちはサウルの家来ではないか。おまえたちから、ひとりを選んで、わたしのところへ下ってこさせよ。

もしその人が戦ってわたしを殺すことができたら、われわれはおまえたちの家来となる。しかしわたしが勝ってその人を殺したら、おまえたちは、われわれの家来になって仕えなければならない」。 またこのペリシテびとは言った、「わたしは、きょうイスラエルの戦列にいどむ。ひとりを出して、わたしと戦わせよ」。

サウルとイスラエルのすべての人は、ペリシテびとのこの言葉を聞いて驚き、非常に恐れた。

(「サムエル記」17章4-11節)、出典

ペリシテ人といえば巨人兵ゴリアテが有名ですね。身長約2.9メートルで57キロの鎧をまとい、7キロの槍をもっていたそうです。ゴライアスともいわれています。

イスラエル人のカナン侵攻の際に対立したのがペリシテ人であり、当時の士師はサムエルで、イスラエル王国初代の王サウルの時代です。ペリシテ人を撃退するためにサウルが王に選ばれたという背景があります。

ペリシテびとは見まわしてダビデを見、これを侮った。まだ若くて血色がよく、姿が美しかったからである。

ペリシテびとはダビデに言った、「つえを持って、向かってくるが、わたしは犬なのか」。ペリシテびとは、また神々の名によってダビデをのろった。

ペリシテびとはダビデに言った、「さあ、向かってこい。おまえの肉を、空の鳥、野の獣のえじきにしてくれよう」。

ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。

(「サムエル記」17章42-45節)、出典

サウルの指揮のもと戦ったのが、のちの第二代国王となるダビデです。ダビデ像は有名ですよね。ダビデはサウルから青銅のの兜や鎧、つるぎを

もらいましたが、慣れていないからといって脱ぎ捨て、杖をもっと袋に入れた石をもってゴリアテに向かっていきました。ダビデはゴリアテの額に石を投げて倒したそうです。その後ゴリアテの剣を取り、それをもって首をはねたといいます。それを見たペリシテの人々は逃げたそうです。

参考文献

ペリシテ人(日本語WIKI)

ペリシテ人(英語WIKI)

Casluhim(英語WIKI)

イスラエル最大の敵「ペリシテ人」の起源が明らかに。巨人兵ゴリアテはどこから来たのか?

ペリシテ人とアスタロトとの関連

ペリシテ人によってアスタルテ(Astarte)という女神が崇拝されていたそうです。イスラエル人は異教の神を悪魔として扱い、アスタロトと呼びました。

ペリシテ人とバールの関連

ペリシテ人はバール(Baal)を崇拝していたそうです。イスラエル人は異教の神を悪魔として扱い、ベルゼブルと呼びました。

民族異教の神として悪魔として聖書に登場する文献
モアブ人の神べオルのバアルベルフェゴル『民数記』25章
シケム人の神バアル・ベリトベリト(ベリス)、バルベリト
『士師記』8章
ペリシテ人の神バアル・ゼブルベルゼブル『列王記下』1章
カナン人の神バアル・ハダト
バアルがヘブライ語的に音が変化した場合ベリ・ヤールベリアル
古代カナン人 フェニキア人の神(ビフロスなどの都市)バアル・ハダト(雷鳴の王)が「バアル」に縮められて登場。豊穣の神。アスタロト『列王記下』10章
カルタゴ:フェニキア人植民地バアル・ハモン(空と植物の神)
モレク
ソロモン王72の悪魔のひとつ、東方を収める王バアル(バエル)『ソロモン王の小さな鍵』
備考:バアルは「王」、「主人」という意味

ペリシテ人とダゴンの関連

ペリシテ人はダゴンを崇拝していたそうです。のちにキリスト教で悪魔として扱われるようになります。

アシュドド(都市)

ペリシテ人都市のひとつであるアシュドドにもダゴンの神殿があります。

『サムエル記』によれば、契約の箱をイスラエル人から強奪したペリシテ人がアシュドドのダゴンの神殿に契約の箱を起き、ダゴンの像の首と手足がバラバラになったというエピソードがあります。詳細は聖書のエピソードの項目で扱っています。

ガザ(都市)

『士師記』によれば士師サムソンがペリシテ人の都市のひとつであるガザの人々に囚われたエピソードがあります。ガザにはダゴンの神殿があり、その祭りの見世物としてイスラエル人であるサムソンが牢屋から出されるシーンがあります。詳細は聖書のエピソードの項目で扱っています。

アムル人

アムル人とは
アムル人とは

アムル人(Amorite):古代の北西セム語系の人々。アッカド語ではアムル、シュメール語ではマルトゥと呼ばれる。旧約聖書ではアモリ人やエモリ人の名で登場する。ノアの息子のハムの子孫であり、カナンの諸部族の一つとされている。

歴史

紀元前2000年紀にアモリ人はメソポタミアに侵入し、バビロニアを支配する。紀元前1900年頃アムル人がバビロン第一王朝を築く(古バビロニア王国)。紀元前1800年頃にアムル人のハンムラビ王がメソポタミア全域を統一する。世界で二番目に古いとされる法典であるハンムラビ法典もこの頃制定される。

紀元前1595年にヒッタイト人の攻撃を受け、バビロン第一王朝が滅亡する。その後カッシート人に支配される。この頃できたカッシート王国をバビロン第三王朝と呼ぶ場合もある。

フェニキア人はアムル人の一派から小アジアからキアシリアに移住したのが先祖の起源という説があるそうです。フェニキア人は都市ビュブロスやシドンなどで豊穣の女神アスタルテを信仰していたことで知られています。

イスラエル人のヨシュアとアムル人との戦い

モーセのエジプト脱出後のカナン侵攻の際に、アモリ(アムル人のこと)の5人の王によってギブオン人が攻められました。ギブオン人はイスラエル人に仕えていてた人々だったので、イスラエル人の指導者であるヨシュアは助けを求められ、アモリ人を急襲します。

このとき、ヨシュアが太陽と月に命令して太陽と月は丸一日停止し、アモリ人には雹(ひょう)が落ちたそうです。アモリ人の5人の王は捕虜となり処刑されたそうです(『ヨシュア記』第10章第12-14節)。

アムル人とアスタルテの関連とは

Deuteronomy 1:4

This was after he had defeated Sihon king of the Amorites, who reigned in Heshbon, and at Edrei had defeated Og king of Bashan, who reigned in Ashtaroth.

Joshua 9:10

and all that he did to the two kings of the Amorites east of the Jordan—Sihon king of Heshbon, and Og king of Bashan, who reigned in Ashtaroth.

アモリ人のバシャンの王であるオグという人がアシュタロスという”場所“で統治をしていたという話があります。オグがアスタルテを信仰していたかどうかは定かではありません。バシャンの地はオグがイスラエル人に倒され、後にイスラエル領になり、マナセ族に割り当てられたそうです。

WIKIによればこのAstarothは、「Astaroth Karnaim」というヨルダン川の西のバシャンの土地の町を意味していたそうです。語源的にはカナン人が崇拝していたとされる豊穣の女神アスタルテから来ているとされているらしいです。Karnaimは角という意味で、山頂の象徴らしいですね。

アムル人の宗教:神マルトゥ

マルトゥ(Martu,Amurru)という神をアムル人は信仰していたようです。もともとはNinabというメソポタミアの都市の守護神だったそうです。山の領主(Load of tha mountain)とも呼ばれているようです。嵐の神としても記述される場合があるようです。父親はメソポタミア神話における天空の神であり、創造神、最高神、ウルクの都市神であるアヌ(アン)です。妻はウガリット神話などに登場し、パレスチナで広く崇拝されたといいわれている女神アーシラトです。

Bêl Šadê 」とも呼ばれることがあるようです。カナン人が「Bêl Šadê 」を受け入れ、豊穣神である「’Ba’al'(バアル)」になった可能性もあるそうです。バアルはカナンで崇められた嵐の神であり、旧約聖書でも異教の神として批判されることがあります。バアルはのちにバアル・ゼブブ、ベルゼブブと名前を変えて悪魔として扱われることにもなります。

都市国家マリの宗教:ダゴンとの関連

もともとシュメール人の都市国家であったマリが紀元前2400年になにものかによって破壊され、その300年後にアムル人がマリを復興させたらしいです。シュメール人かアムル人かどちらか作ったのかはわかりませんが、ダゴンの神殿があったそうです。マリではダゴンが最高神とされていました(もしくは最高の神殿)。都市国家マリは同じアムル人が作ったバビロン王国の王ハンムラビによって紀元前1759年頃再び破壊されます。

第三の地位についたダゴン

バビロニアではダゴン神が第三位の地位につき、強力で戦闘的な守護神とされ、エンキ(エア)と同一視されることもあったそうです(出典)。ただWIKIの出典がよくわからないので、そういう説があるということにとどめておきます。エンキはウガリット神話のエールと同一視されることがあり、エールはエブラ人にはヤハとして同一視されたこともあるそうです。

Dagon’s depiction as a fish-god originated when his worship merged with that of El, known to the Sumerians as Ea (Enki), the god of the sea. Ea was often depicted as a fish-god under the name Oannes, but after their rituals were merged. Dagon lost more of his original thunder-god attributes and was transformed into a water-god toward the end of his worship, almost entirely usurping all traces of worship to Ea as El. 出典

別の英語の記事も調べてみましたが、ダゴンが海の神エンキとして知られているエール(EL)と信仰が混ざりあったとあります。習合というのでしょうか。これがダゴンが魚の神として記述されるようになった原因のひとつだということですね。このサイトも出典がないので、そういう説もあるということです。

参考文献

アモリ人(英語WIKI)

アモリ人(日本語WIKI)

Ashteroth_Karnaim(英語WIKI)

Amuru(god,英語WIKI)

アヌ(日本語WIKI)

マリ(都市国家)

エモリ人が復興させたといわれるマリという都市国家ではダゴンが崇拝されていたそうです。

マリ(都市国家)とは

マリ(Mari):現在のシリアあたりの地にあったといわれる紀元前2900年頃から紀元前1759年にかけて繁栄した都市国家。紀元前24世紀になにものかによってシュメール人が繁栄させていた都市国家マリが破壊される(エブラが破壊した説、アッカドのサルゴン王が破壊した説などがある)。その後メソポタミアに流入したアムル人がマリに王朝を建て、都市国家マリが復権する。紀元前1759年にマリはバビロン第一王朝6代の王ハンムラビ(アムル人)によって再度破壊される。マリとバビロンは同盟国だったらしい。

マリにおける宗教:ダゴンとの関連

マリにはシュメールとセム語系民族の両方の神殿があったそうです。ダガン(Dagan)はマリの最高の神殿だったそうです。

※「Dagan was Mari’s head of the Pantheon」の訳がよくわかりません。最高神かもしれません。

ダガンはダゴン(Dagon)ともいわれる、聖書にも登場した神です。豊穣神として多くの地域で崇拝されていたそうです。ダガンは西セム系の穀物神であり、嵐の神らしいですね。

マリの守護神(Patron deity)は「Mer 」という神だったそうです。

シュメール神話の豊穣の神であるイナンナ(Ishtarイシュタル)、カナン神話(ウガリット神話)で明けの明星を意味するアッタル(Attaer)、メソポタミア神話におけるであり全知の太陽神シャマシュ(Shamash、Utu)などの神殿があったらしいです。

他にもシュメール人神話における大地の女神であるニンフルサグ(Ninhursag)、イシュタルの夫であるタンムーズ(Dumuzi)などさまざまな神が信仰されていたようです。

アモリ人によって復興させられたマリの時代では、紀元前1800年頃のアムル系のマリ王であるヤフドゥン・リムがアッシリアの王シャムシ・アダド一世と争っていたそうです。また太陽神シャマシュの神殿を築いたのもヤフドゥン・リム王の時代です。

ヤフドゥン・リムの王女はメソポタミア神話における天候や嵐の神であるアダド(バアル、ハダド、アッドゥ、イシュクル)の神官だったらしいです。

またヤフドゥン・リムはダゴンを王権を与えた神と宣言したそうです。

※Yahdun-Lim (ca. 19th century BCE) declares Dagan as the deity who gave him kingship

(出典)

エブラ(都市国家)

エモリ人が復興させたといわれるエブラという都市国家ではダゴンが崇拝されており、その神殿があったそうです。

エブラ

エブラ(Ebla):紀元前2000年代後半に栄えたが、紀元前2240年頃にアッカドの王サルゴンもしくはその孫ナラム・シンによって破壊される(当時の人々はエブラ人という枠組みでいいのだろうか?)。紀元前2000年頃にエブラの都市国家が復興したが、そのときの住人はアムル人だったという。紀元前1650年から紀元前1600年頃に、同じアムル人のバビロン第一王朝(古バビロニア王国)によって再度破壊される。

エブラの場所:紀元前2000年代、出典

都市国家マリもと同じように都市国家エブラもアムル人によって復権されていたんですね。もしマリがアッカド人に破壊されていたとすれば、マリとエブラは両方アッカド人によって破壊されたということになります。マリは最終的には同じアムル人の建てたバビロン王国によって滅ぼされました。

エブラは「白い岩」を意味する言葉だそうです。エブラは商業の重要な中心地であり、商売上のライバルは都市国家マリだったそうです。マリがエブラに破壊されたという説もあるそうですから、かなり争っていたんですね。地図でいうとエブラのほうが海に面している分、貿易で有利そうですね。

エブラの主な貿易相手はメソポタミアやエジプトだったそうです。

エブラの宗教:ダゴンとの関連

エブラは多神教(polystheistic)の都市国家だったそうです。都市国家エブラはエブラ人が中心だった最初の王国の時代と、エモリ人が復興させた第二の王国の時代に別れています。最初の王国ではエブラ人に特有の神やシュメール神話の神、カナンなどのセム系神話の神が信仰されていました。

(第一の王国)

エブラ人は初期の頃は死んだ自分たちの王様を崇拝していたそうです。また多くのメソポタミア神話(またはシュメール神話)における神々や、北西のセム系の神々、フルリ人の神々も崇拝していたそうです。

以下が主に信仰されていたといわれる神々です

ダゴン:メソポタミア神話やカナン神話で登場する豊穣の神。ペリシテ人が信仰していたといわれている。

イシュタル:シュメール神話やメソポタミア神話に登場する豊穣の神。

ハダド:メソポタミア神話に登場する天候や嵐、雷の神。もともと西セム系の天候の神ハダドに起源を持つ。

エンキ:メソポタミア神話における神。世界の創造者であり、知識及び魔法を司る神。

Utu:メソポタミア神話に登場する太陽神、正義の神、真実の神。イシュタルと双子。Utu(シュメール語か?)とも呼ばれる。東セム系のアッカド語ではシャマシュというらしい。

アシュタビ(Ashtapi):フリル人の神

シャプシュ(Shapash):ウガリット神話に登場する神。天空を行き世界の全てを照覧する神であり、特に神話では物語の重要な転換点に現れて神々に助言をし、物語の進行を促す役割を演じる。バアル(カナン神話、ウガリット神話)の味方をした。

エブラ人固有の神は以下の神だったといわれています。

クラ(Kura):エブラ人固有の神とされているがよくわかっていない。Baramaという配偶者がいる。

ニダクル(Nidakul):エブラ人固有の神とされているがよくわかっていない。Belatuという妻がいる。

Ishara:エブラ人にとってより重要な神。エブラ人にとって固有の神かどうかはわからない。She first appeared in EblaとWIKIにはある。女神かもしれない。

(コラム)

”セム系の神々”の範囲が正直わかりません。WIKIではセム系の神々としてメソポタミア神話の神も挙げられていますが、一度整理する必要がありそうです。セム語系の言葉を話す人々の侵攻する神と言い換えてもいいのだろうか。

まずセム語系とはノアの息子セムにちなんで名付けられたそうだ。言語学に置いてはアフロ・アジア語族に属するグループらしい。なるほどわからない。セム語系は東方セム語、北西セム語、アラビア語、古代南アラビア語、エチオピア諸語、現代南アラビア語の6つの区分に属するらしい。

エブラ語はこの中の東方セム語に属する言葉になる。東方セム語は他にもアッカド語がある。続いて北西セム語はカナン諸語(フェニキア語、ヘブライ語、モアブ語、アムル語など)、アラム語、ウガリット語などがある。

さて「メソポタミア語」などという言語はない。メソポタミアではシュメール語やアッカド語、アッシリア語、アムル語などさまざまな言語がある。というのもメソポタミアというのはある種の場所の名前であり、そこで民族が滅んだり産まれたりしている。たとえば初期ではシュメール人がメソポタミア文明の中心になったが、次にはアッカド人が、次にはエモリ人(バビロニア)が、次にはアッシリア人がといったように遷移しているのである。

シュメール人はメソポタミア神話に属するかもしれないが、セム語系ではないだろう。シュメール語はセム語系ではなく孤立した言語といわれているらしい。つまり、メソポタミア文明に属する民族すべてがセム語系ではないが、メソポタミア神話の一部の民族はセム語系に属しているという少しややこしい構造なのである。

(第二の王国)

エモリ人の時代になるとエブラ人に特有の神は崇拝されなくなっていったようです。エモリ人の時代では北セム系の神が主に崇拝され、アダド(別名:イシュクル、バアル、ハダド、アッドゥ)が最も重要な神だったそうです。アダドはメソポタミア神話における天候や嵐、雷の神です。メソポタミア神話はシュメール人、東方セム語アッカド人、アッシリア人、バビロニア人、アラム人、カルデア人などが信仰した宗教(多神教)らしいです。

エブラ人の時代では重要だったIshara(エブラ人特有の神)の地位はイシュタル(Ishtar/Inannna)に代えられたそうです。イシュタルはシュメール神話やメソポタミア神話における愛や美、戦い、豊穣の女神です。別名はイナンナといいます。

ダゴンとエブラの関係

At Ebla (Tell Mardikh), from at least 2300 BC, Dagan was the head of the city pantheon comprising some 200 deities and bore the titles BE-DINGIRDINGIR, “Lord of the gods” and Bekalam, “Lord of the land”. His consort was known only as Belatu, “Lady”. Both were worshipped in a large temple complex called E-Mul, “House of the Star”. One entire quarter of Ebla and one of its gates were named after Dagan. Dagan is called ti-lu ma-tim, “dew of the land” and Be-ka-na-na, possibly “Lord of Canaan“. He was called lord of many cities: of Tuttul, Irim, Ma-Ne, Zarad, Uguash, Siwad, and Sipishu.

出典

エブラ(テル・マルディーフ)では、少なくとも前2300年ごろ、ダガンはおよそ200を数える町の神々の頂点に立ち、「ベ=ディンギル=ディンギル(神々の主)」「ベカラム(地の主)」「ティ=ル・マ=ティム(地の露)」「ベ=カ=ナ=ナ(カナンの主)」などの称号を持っていた。また、多くの町々-トゥットゥル、イリム、マ=ネ、ザラド、ウグァシュ、シワド、シピシュの主とも呼ばれた。

出典

出典が明確にあるわけではありませんが、英語版WIKI及びそれを翻訳したと思われる日本語WIKIには上記のようにあります。

マルディーフといういのはMardikhというエブラの遺跡に最も近い村です。つまり、マルディーフ村の言い伝えによれば、ということですね。

マルディーフの言い伝えによれば、紀元前2300年頃、ダゴン(ダガン)は200の神々の頂点だったそうです。これは最高神とみなしてもいいのでしょうか。「神々の主」、「地の主」、「地の露」、「カナンの主」などの称号をもっていたそうです。

ダゴンの配偶神は「ベラトゥ」として知られ、この2つの神は「エ=ムル(星の館)」と呼ばれる大きな神殿で崇められたそうです。またエブラの一角と門のひとつはダゴンより名前がとられたそうです。

参考文献

エブラ(日本語WIKI)

エブラ(英語WIKI)

テルカ(都市国家)

テルカとは

テルカ(Terqa):ユーフラテス川中流の西岸にあったとされる紀元前二千年紀、青銅器中期ごろにあったとされる都市国家。古代遺跡マリが北西80km離れた中流にある。テルカは青銅器時代中期に栄えたハナ王国(Khana)の主要都市で、隣接する都市国家マリに影響を受けいていたらしい。テルカの遺跡は1910年にはじめて発掘された。

古アッシリアの王であるシャムシ・アダド1世、さらにマリの王であるジムリ・リム、バビロニアのハンムラビ王、カッシート人(カッシート王国)などさまざまな国に支配を受けていたようです。新アッシリア帝国にも支配されたそうです。

テルカの宗教:ダゴンとの関連

英語版WIKIには「The principal god of Terqa was Dagan」とあることから、都市国家テルカの主神はダゴンだったようです。Iish-Daganというダゴンの名前をもった王もいます。

別のサイトでは「In Mesopotamia Dagan is associated with the Middle Euphrates, in particular the cities of Tuttul and Terqa(出典).」とあることから、やはりダゴンとテルカは関連があるようです。Tuttulというのもダゴンと関連のある都市のようですが、情報が少なくわからないです。WIKIには「During the Middle Bronze Age (c. 2000–1600 BCE), Tuttul was city sacred to the god Dagan, worshipped across the Ancient Near East(出典)」とあり、ダゴン神との関連があるようです。

それにしてもマリ、エブラ、テルカ、トゥトゥルといい、小さな都市国家でダゴンが主神として崇拝されていたようですね。テルカでは最初にシャムシ・アダドに従属しますが、シャムシ・アダドはアムル人系の古アッシリアの王です。息子にイシュメ・ダガン1世と名がついているように、ダガンと関連があったのかもしれません。マリやエブラもアムル人によって復興させられています。ハダド(ダゴンの子とされる)をメソポタミアに伝えたのもアムル人といわれています。

なにかとアムル人がダゴンとの関連に出てきますね。都市伝説みたいな話になってきたのでこのあたりで締めておきます。

参考文献

テルカ(日本語WIKI)

テルカ(英語WIKI)

アッカド

アッカド(人/国)とは

アッカド(akkad):セム語系に属する民族で、前2300年にメソポタミア全域の都市国家を初めて統一したといわれている(アッカド帝国)。世界最初の帝国とみなされることもある。

歴史

メソポタミアの文明初期の中心であったシュメール人の都市国家の反乱抑えてアッカド人はメソポタミア初の古代帝国を築いた(前23世紀頃)。アッカド帝国は紀元前22世紀頃、グディ人として知られるザグロス山脈からの山岳民族の侵入を受け滅亡した。

グディ人がアッカド帝国を支配すると、シュメールの都市国家は復興した。もともとメソポタミア北部がアッカド帝国の中心で、メソポタミア南部がアッカド人に支配されていたシュメールの都市国家であった。シュメール人の王ウル・ナンムの時代(前2112年~前2095年)にはグディ人はメソポタミアから一掃されていたらしい。紀元前2000年頃、エラム人によってシュメール人によるウル第3王朝は滅ぼされる。

アッカド人の宗教:ダゴンとの関連

アッカド帝国にはナラム・シン(紀元前2254~紀元前2218年頃)という第四代の大王がいた。祖父は初代王サルゴンです。サルゴンの王立碑文にもダゴンへの言及があるそうです(In Mesopotamia the earliest textual references to Dagan come from the Royal Inscriptions of Sargon (2334-2279 BCE) and Naram-Sin (2254-2218 BCE). 出典)。この出典によればメソポタミアで最も早くダゴンへの言及があったのが、サルゴンの碑文やナラム・シンの碑文らしいです。

ナラム・シンはメソポタミア史上初めて自らを神とした王らしいです(王の神格化)。シュメール人の都市国家などの反乱を抑え、碑文などに記す自分の名前に神を意味する発音しない限定付である「ディンギル」をつけるようになったそうです。ディンギルはシュメール語で神を表す単語です。また自分を「四方領域の王」とも名乗りました。

アッカド人の宗教はシュメール人のメソポタミア神話に大きな影響を受けています。メソポタミア神話ではアヌ(シュメールではアン)という創造神であり、天空神であり、最高神がいました。メソポタミア神話の最初の都市国家であるウルクの都市神でもあったそうです(守護神イナンナとは別か?)。

天空神であるアヌ(アン)への信仰が弱まり(「暇な神」という言い方もされます)、エンリルという大気の神(嵐、大地、秩序、創造、王権なども)が初期メソポタミアでも次第に信仰されるようになっていったそうです。宗教の傾向としてより具体的で多産な神のほうが重要視されるそうです。そうした意味でエンリルは最高権力神、事実上の最高神などといわれています。

アッカド人にとっても最高神はアヌですが、事実上の最高神はエンリルだったようです。ちなみに第三位の神はエア(シュメール語ではエンキ)です。アッカド人の宗教として組み込まれる際に名前がいろいろと変わっているよいうですね。アンがアヌに、エンキはエアに、ナンナはシンに、ウトゥはシャマシュに名前が変わっています。

“Whereas, for all time since the creation of mankind, no king whosoever had destroyed Armanum and Ebla, the god Nergal, by means of (his) weapons opened the way for Naram-Sin, the mighty, and gave him Armanum and Ebla. Further, he gave to him the Amanus, the Cedar Mountain, and the Upper Sea. By means of the weapons of the god Dagan, who magnifies his kingship, Naram-Sin, the mighty, conquered Armanum and Ebla.”

— Inscription of Naram-Sin. E 2.1.4.26[25]ナラム・シンの碑文、出典

ナラム・シンの碑文にはダゴンの名前が出てきます。「By means of the weapons of the god Dagan, who magnifies his kingship, Naram-Sin, the mighty, conquered Armanum and Ebla」とありますが、WIKIの訳では「ナラム・シンはアルマンとイブラを屠(ほふ)った、彼の王国を強大にするダガン神の得物によって」らしいです。イブラはエブラともいい、アムル人が復興させる前のナラム・シンに破壊された都市国家ですね。アムル人が復興させる前の、エブラ人が住んでいた時代にはダゴン(ダガン)も崇拝されていたようです。

「weapons of the god Dagan」の訳がダガン神の獲物でいいのかわかりません。いずれにせよダゴン神も崇拝されていたという理解でいいのではないでしょうか。アムル人が後に形成するバビロニアではダゴン神が第三位の地位につき、協力で戦闘的な守護神とされ、エンキ(エア)と同一視されることもあったそうです。

参考文献

・アッカド帝国(日本語WIKI)

ダゴン(日本語WIKI)

メソポタミア神話(日本語WIKI)

エンリル(日本語WIKI)

アッシリア

アッシリアとは

アッシリア(Assyria):現在のイラク北部を占める地域に起こったとされる王国。オリエントを統一した西アジア最初の世界帝国といわれている。地名としてのアッシリアはメソポタミアの北部である。メソポタミアの南部はバビロニアと呼ばれる。


アッシリアに関連した都市と国の位置関係 ハニガルバトとは、『ミタンニ』に対するアッシリア側からの他称である。 出典

アッシリアの歴史

初期アッシリア時代(年代は不明だがアッシュルに人が住み始めたのが前2600年頃、都市国家が確立したのが前2300年頃である)、古アッシリア時代(紀元前1950年頃から紀元前15世紀頃まで)、中アッシリア時代(紀元前14世紀初頭あたりから紀元前10世紀の末頃まで)、新アッシリア時代(紀元前10世紀頃の末頃から前612年頃)に時代はわけられる。

アッシュルという土地(メソポタミア北部にあたる)に紀元前2600年頃に人が住みはじめ、紀元前2300年頃にはアッシュルに都市国家が確立したとされている(紀元前25世紀ともある)。初期のアッシリア王であったトゥディやはアッカド国の王であるサルゴンに服属して属国となる。サルゴンはメソポタミアに移住していたアッカド語とシュメール語を話す民族をすべて統一する(前2300年頃にアッカド人がメソポタミアの都市国家を統一し、アッカド王国が誕生する)。

個人的に重要な歴史は紀元前1813年にアムル人のシャムシ・アダド1世がアッシリアを征服し、アッシリアの王となったことです。アムル人はあちこちの都市国家で王になっていますね。シャムシ・アダド1世が王の時代では自らを「世界の王」と名乗り、都市国家マリ(マリの王もアムル人)を占領し、バビロンのハンムラビ王(アムル人)さえこの時代はアッシリア王に臣従していたらしいです。その後もアムル系の王が続きましたが、それ以降は出自が不明な王が続いたのでアムルかどうかは不明です。

言語はアッカド語北方方言であるアッシリア語が用いられる。紀元前2300年頃にアッシュル都市国家はアッカドの属領となっている。アッカド語は紀元前2000年代頃からシュメール語に代わって使われるようになってきたセム系の言葉。アッカド語は前2300年頃にアッカドがメソポタミアを統一した頃に国際共通言語となった言語であり、現在知られている世界最古のセム語である。アッシリア人の初期形成時代には非セム系の言語を用いた手段も関わっていたらしい。

アッシリアは鉄器で武装した最初の民族といわれている。また世界最初の帝国といわれることもある。

前722年頃、アッシリア帝国はイスラエル王国を征服し、北イスラエル王国を滅亡させた。聖書の理解において重要な歴史である。

前612年頃にカルデア人の新バビロニア王国によってアッシリア帝国が滅ぼされる。新バビロニア王国は前625年頃にバビロンでアッシリア帝国から自立した国である。

アッシリアの宗教

紀元前2100年頃、アッシュール都市国家はウル第三王朝の属領となります。ウル第三王朝は紀元前22世紀頃にアッカド王国がクディ人の侵入を受けて滅亡し、シュメールの都市国家が復興したことで生まれたシュメール人の王朝です。世界最古の法典であるシュメール法典で知られています。

この頃アッシュル市の支配者ザクリムがウル王アマル・シンのためにイシュタル神殿を建立したらしいです。イシュタルはシュメール神話に登場する愛や美、豊穣などの神性を司る女神です。紀元前3000年代はじめごろにつくられたメソポタミア最初の都市国家であるウルクの守護神イナンナの別名としてもイシュタルは知られています。シュメール人にとっての最高神であるアン(アヌ)の娘です。王権を授与する神としても知られていました(その役割はその後エンリルに代わっていきます)。

同時期(前21世紀)に、アッシュール市の土地自体の神格化がはじまり、前21世紀頃アッシュル市を統治したウシュピアがアッシュール神のための神殿を捧げたという説があります。アッシリア国家の真の王はアッシュル神であり、人間の王は副王であるというイデオロギーがアッシリアにはあったようです。アッシリアの王は自らを副王と名乗ってきましたが(前14世紀頃まで)、それ以降はバビロニアの影響を受けて、自らを副王ではなく王と名乗るようになったそうです。

アッシュール(Assur)は守護神、都市神として確立していったんですね。シュメール語では「天空」を表す言葉でアッシリアの書紀によって表現されたそうです。アッシリアの勢力が増すとともに、アッシュール神の地位も上がっていきます。中アッシリア時代にはアッシュール神をシュメール神話における最高権力神であるエンリル神として習合されるなどの動きがったそうです(アッシリアがバビロニアを征服した時期)。

またバビロンのアンシャール神とも習合していったそうです(新アッシリア時代、アッシリア王であるサルゴン2世の時代)。アンシャール(Anshar)はバビロニア神話における天の神です。伝承によればシュメール神話の最高神であるアヌを産んだとされているそうです。また、アヌの息子のひとりがアンシャールという説もバビロニア神話にはあります。

バビロン神話における神々の長でマルドゥクの代わりに、アッシュールがアンシャルの名で登場し、怪物ティアマトを倒したという話もあります。マルドゥクの役割がアッシュールに代えられたという話でしょうか。

シュメール人を征服したアッカド人はアッカド神話をつくり、アッカド神話はバビロニア神話とアッシリア神話に大別されるらしいです。いずれも内容はシュメール神話と類似しており、言語の違いがあるようです。

アッシリアはバビロニアを征服しましたが、バビロニアのハンムラビ王によって紀元前1756年に征服され返されています。征服した国の神を自らの神と習合させ、非征服地の民を支配に置くという形式は歴史上繰り返されてきたようですね。


ニムルドで発見された有翼円盤のレリーフ、出典

アッシュール神が人の姿をするようになったのは中アッシリア時代からだそうです。バビロニア(カッシート王朝)ではこうした髪を図像にする表現があり、アッシリアもそれを取り入れはじめたということですね。

上の有翼円盤がアッシュル神を表彰していると主張する学者もいるらしいですが、決定的な証拠はないらしいです。

アッシリアとダゴン神の関連

アッシリア王シャムシ・アダド1世(在位紀元前1796-紀元前1777)の息子であるヤスマフ・アダドは、シャムシ・アダドがマリ王であるヤフドゥン・リムを倒した後、マリ王になっていたらしいです。ちなみにシャムシ・アダドはアムル系です。ヤフドゥン・リムもアムル系です。

アダドという名前はハダドのアッカド語であり、バアル(カナン諸語(?))とも同一視されています。ハダドやバアルはダゴンの息子という説があり、やはりアムル人とダゴンは結びつきが深いですね。

マリ王になったヤスマフ・アダドは自らを「ダガンの知事(Govenor of Dagan) 」と名乗ったそうです(出典)。マリの主神がダゴンだったので、統治の都合としてはそのほうがよかったのかもしれませんね。

紀元前9世紀のアッシリア王アッシュールナツィルパル2世の石碑は、彼がアヌとダガンに愛されていると述べている。あるアッシリアの詩では、ダガンはネルガルおよびミシャルとともに死者の裁き手として登場する。のちのバビロニアの文章では、冥界でエンメシャラの七人の子の看守となっている

出典

The stele of the 9th century BC Assyrian emperor Ashurnasirpal II (ANET, p. 558) refers to Ashurnasirpal as the favorite of Anu and of Dagan. In an Assyrian poem, Dagan appears beside Nergal and Misharu as a judge of the dead. A late Babylonian text makes him the underworld prison warder of the seven children of the god Emmesharra.

出典

アッシリアでもダガンが信仰されていたようですね。紀元前9世紀というとアッシリア人がメソポタミアを統一し、アッシリア帝国を形成した時期です。アヌはシュメール神話における最高神です。アッシュールナツィルパル2世(在位前883年ー前859年)は北方の人々を征服し、アラム人や新ヒッタイトの人々を征服し、さらに地中海のフェニキア人からも貢納を取り立てたそうです。メソポタミアに新首都であるカルフ(ニムルド)を建設した王であもります。

アッシリアの最高神といえばアッシュール神ですが、多神教なのでさまざまな神が信仰されていたようですね。そのひとつとしてダゴン神が信仰されていたのでしょう。ダゴンはバビロニア時代では強力で戦闘的な守護神とされていたこともあるそうなので、多くの信仰に成功したアッシリア王はダゴン神に愛されていたという趣旨だったのかもしれません。

ネルガルはメソポタミア神話における戦争や市、疫病、冥界の神です。

いろいろ調べてみましたが、ダゴンに関するソースは「ブラック、ジェレミー;グリーン、アンソニー(1992)、 古代メソポタミアの神々、悪魔、シンボル:図解辞書、大英博物館プレス、 ISBN 978-0-7141-1705-8」という本になるみたいですね(出典)。その本の56Pを元に構成されているようです。

デイガンは 西セム語 メソポタミアを含む中東全域で崇拝されるようになった穀物の神。[121] ある伝統によれば、Daganはすきの発明者でした。[121] デイガンは、エンリルのマイナーな付き添いの神として、早い時期にシュメールのパンテオンに同化されました。[121] 彼のカルトはバビロニアの王によって広範に促進されました ハンムラビ、デイガンがメソポタミアのすべてを征服することを彼に許可したと主張した。[121] アッシリアの詩では、デイガンは冥界の裁判官の一人です。[121] Daganはかつて、アートワークに魚をかぶった人物として誤って登場すると想定されていましたが、[121] これは現在、不正確であることが知られています。[121]

Dagan is a West Semitic god of grain who came to be worshipped across the entire Near East, including in Mesopotamia.[121] According to one tradition, Dagan was the inventor of the plough.[121] Dagan was assimilated into the Sumerian pantheon at an early date as a minor attendant deity to Enlil.[121] His cult was extensively promoted by the Babylonian king Hammurabi, who claimed that Dagan had allowed him to conquer all of Mesopotamia.[121] In an Assyrian poem, Dagan is one of the judges of the Underworld.[121] Although Dagan was once mistakenly assumed to appear in artwork as a fish-garbed figure,[121] this is now known to be inaccurate.[121]

出典

ディガンDaganの訳ですね。これによればダゴンはエンリルのマイナーな付き添いの神とあります。エンリルといえばシュメール神話における最高権力神とまでいわれた神です。ダゴンは付き添い人だったんですね。もっとも、エンリルは畏怖の光輝(メラム)によって神々でさえ直に目視できるものが少なかったそうです。ダゴンが直に目視できたとすれば、位は高かったのかもしれませんね。

アッシリアの詩でダゴンは冥界の裁判官の一人だったそうです。

参考文献

アッシリア(日本語WIKI)

新アッシリア帝国(日本語WIK)

・イナンナ(日本語WIKI)

アンシャル(日本語WIKI)

バビロニア神話(日本語WIKI)

アッシュル(神,日本語WIKI)

ダゴンに関するエピソード

旧約聖書『ヨシュア記』:ベテダゴンという地名がでてくる

『ヨシュア記』とは
『ヨシュア記』とは

『ヨシュア記』(Book of Joshua):作者は主にヨシュア(紀元前13世紀頃)とされていて、ヨシュアの死後アロンの子エルアザルとエルアゼルの子ピネハスが書いたとされているそうです。内容は約束の地であるカナンの地にイスラエル人が侵攻する際の歴史です。キリスト教においては「歴史書」、ユダヤ教においては「預言書」に分類されるそうです。

ヨシュアとは

ヨルダン川を渡りカナンへ向かうヨシュアたち、出典

ヨシュアは『旧約聖書』の「民数記」や「ヨシュア記」に登場するユダヤ人の指導者であり、紀元前13世紀ごろの人物です。モーセの後継者でもあります。

ヨシュアは約束の地であるカナンの地に侵攻する際の指導者です。約束の地とは「創世記」や「出エジプト記」で神がイスラエルの民に与えると約束した土地のことです。すべてのユダヤ人の祖ともいわれるアブラハムが最初に約束を神から受けたそうです(「創世記」)。

カナン人からすればイスラエル人は侵略者であり、異教の神を崇める人々ですよね。ヨシュアが率いるイスラエル人たちはエリコという町を最初に攻め、老若男女問わず家畜を含めてラハブという遊女以外皆殺しにしたそうです(ラハブはイスラエル人たちの斥候をかくまいました)。

次々とカナンの地を侵略していき、その土地をイスラエルの部族で分け合ったそうです。

110歳でヨシュアは死に、そこから士師といわれる指導者がでてくるようになります。ヨシュアの死後から最後の士師サムエルが出てくる話が『士師記』です。

月と太陽が丸一日停止する

イスラエル人は約束の地であるカナンへと侵攻している最中、ギブオン周辺に住むヒビ人と協定を結びました。ヒビ人の協定はイスラエル人を騙すものでしたが、見破られイスラエル人に仕えるにようになります。

12 主がアモリびとをイスラエルの人々にわたされた日に、ヨシュアはイスラエルの人々の前で主にむかって言った、「日よ、ギベオンの上にとどまれ、月よ、アヤロンの谷にやすらえ」。

13 民がその敵を撃ち破るまで、日はとどまり、月は動かなかった。これはヤシャルの書にしるされているではないか。日が天の中空にとどまって、急いで没しなかったこと、おおよそ一日であった。

14 これより先にも、あとにも、主がこのように人の言葉を聞きいれられた日は一日もなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。

(『ヨシュア記』第10章第12-14節)、出典

アモリの五人の王がギブオンを攻めたとき、ギブオン人はヨシュアに助けを求めたそうです。そこでイスラエル人はアモリを急襲しました。敗走するアモリ人には雹(ひょう)が落ちたそうです。ヨシュアが太陽と月に命令して太陽と月は丸一日停止し、五人の王は捕虜となり処刑されたそうです。

太陽と月が停止するということは、夜にならないということでもあります。夜になると敵が逃げやすくなるので、そのほうが敵が困るのでしょう。

ちなみにアモリ人の5人の王はそれぞれエルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシの王、およびエグロンの王です。アモリ(アムリあるいはエモリ)人はカナンの諸部族の一つです。ノアノコであるハムの子孫(カナン系)です。ハムの子であるカナンの息子たちはシドン、ヒビ、ギルガシ、エブス、ハマテなどがいます。今回登場したヒビ人もカナンの子孫ですね。

参考文献

ヨシュア記(日本語WIKI)

ヨシュア記口語訳(日本語WIKI)

ベテダゴンについて

A city (Joshua 15:41) in the territory of the tribe of Judah “in the plains”, that is, the territory below Jaffa between the Judean hills and the Mediterranean. Its site is uncertain, though it may be adjacent to Latrun.
A city (Joshua 19:27) in the territory of the tribe of Asher near the territory of Zebulun, southeast of Acre. Some scholars identify it with the Druze town of Beit Jann.

出典

英語版WIKによれば、ユダの山々と地中海の間にあるヤッファという平野にある町を指すとあります。場所はたしかではないですが、ラトゥルン(Latrun)という場所に近かったのではないかとあります。ラトゥルンはエルサレムから西に25km、ラムラから南東に14kmにある場所だそうです。

『ヨシュア記』によればカナン侵攻の際にイスラエル人が獲得したとあります。ちなみにどの地域を獲得するかは「くじ」で決めたそうです。

24 第五に、アセルの子孫の部族のために、その家族にしたがって、くじを引いた。

25 その領域には、ヘルカテ、ハリ、ベテン、アクサフ、

26 アランメレク、アマデ、ミシャルがあり、その境は西では、カルメルとシホル・リブナテに達し、

27 それから東に折れて、ベテダゴンに至り、北の方ゼブルンと、イプタエルの谷に達し、ベテエメクおよびネイエルに至り、北はカブルにいで、

28 更にエブロン、レホブ、ハンモン、カナを経て、大シドンに及び、

29 それから、その境はラマに曲り、堅固な町ツロに至る。またその境はホサに曲り、海に至って尽きる。そして、マハラブ、アクジブ、

30 ウンマ、アペク、レホブなど、二十二の町々と、それに属する村々があった。

31 これがアセルの子孫の部族の、その家族にしたがって獲た嗣業であって、その町々と、それに属する村々とである。

(『ヨシュア記』第5章第24-31節)、出典

ベテダゴンという地域を手に入れたのはアセルの子孫の部族のようですね。

アセル族はアシェル族ともいわれ、イスラエル12部族のひとつです。ヤコブとシルパの間の息子アシェル(Asher)を祖としています。アシェル族は地中海沿岸の諸都市の大部分からカナン人を追い払うことができなかったそうです。カナン侵攻で土地を割り当てられたのはいいのですが、もともと住んでいたカナン人を追い払うことができなかったんですね。

肝心の悪魔ダゴンとの関連ですが、よくわかりません。ダゴンはもともとカナン地方で崇拝されていた豊穣神だったので、地名にもともと使われていたのかもしれませんね。

アシェル族(日本語WIKI)

旧約聖書『士師記』:異教の神としてのダゴン

士師記とはなにか
士師記とは

士師記(ししき、英:Book of Judges):旧約聖書(ヘブライ語聖書)のひとつ。預言書(ネビーイーム)の8巻のうちのひとつ。エジプトを脱出した後のカナン侵攻からバビロン捕囚までの内容が記されている。「士師(しし、Biblical judge)」はイスラエル人のカナン侵攻の際の軍事的・民族的指導者であり、背信的な人々を裁く役割ももっていたといわれている。カナンに侵攻したイスラエル人はカナンの人々に攻撃を受けるが、士師が民を導き、救済していく物語となっている。

さまざまな士師たち

大まかにはヨシュアの死後から預言者サムエルの登場に至るまでのイスラエル人の歴史が内容になってきます。単純に考えればヨシュアが紀元前13世紀、サムエルが紀元前11世紀なのでその間の歴史ですね(WIKIによれば410年間や、358年間より短いなどいろいろ説があります)。サムエルにいたるまで何人もの士師がいます。

アラム・ナハライム(北部メソポタミア)の王であるクシャン・リシュアタイムがイスラエル人を支配したときにに士師となり、アラム人を追い払ったのはオトニエルです。「士師記」に登場する最初の士師です。

「士師記3:9」によればイスラエル人が多神教などの偶像崇拝などで神に背く行為をしたことが原因でイスラエル人を8年間クシャン・リシュアタイム王に支配されるようにしたとあります。イスラエル人が反省したときに、オトニエルを通して神は民を支配から救ったそうです。

モアブ人の王エグロがイスラエル人を支配したときは、エフドが士師となり民を救いました。ペリシテ人に対抗するときはシャムガルが士師になりました。ハツォルの王ヤビンがイスラエル人を支配したときは女預言者デボラがバラクを士師に任命し、民を救いました。ミディアン人、アマレク人たちの略奪からはギデオンが士師となり民を救いました。エフタは士師となり、アンモン人から民を救います。アンモン人といえば悪魔モロクですよね。

他にもトラ、ヤイル、イブツァン、エロン、アブドンなどが士師となったそうです。そして最後にサムソンが士師となります。

士師サムエルとは

サムエルは紀元前11世紀に実在したといわれている士師であり、預言者だというのがポイントです。名前はヘブライ語で「彼の名は神」を意味しています。最後の士師ともいわれています。

これまでの士師はほとんどが預言者ではなく、ただの軍事的、あるいは民族的指導者にすぎませんでした。

サムエルは晩年にサウルを初めての王として建て、イスラエルは王政に変遷します(サムエルは民から王政を求められた時一度非を唱えたそうです)。「サムエル記」によると紀元前1080年ごろペリシテ人が北部のガラリヤ(現在のイスラエル北部の地)を制圧し、その地域のイスラエル人が奴隷となってしまったそうです。そこで軍事的指導者としてサウルを王として任じたというわけです。ちなみにガラリヤはカナン侵攻の際にイスラエル十二支族のうち、ナフタリ族とダン族にわけられた部族地域です。

イスラエル王国の初めての王がサウル(前10世紀頃)です。しかしサウルは神の「アマレク人を殲滅せよ」という命令に背いたので、サムエルは密かにダビデに油を注いだそうです。「油をそそぐ」というのはもともと虫から羊を守るために羊の頭に油を注いだことからきているそうです。祝福や守りの象徴ということです。預言者であるサムエルがダビデに神の祝福を与え、嘔吐して選んだといったところでしょうか。

こうしてダビデ(在位前:1000年-前961年)は古代イスラエルの第二代の王として君臨します。第三代がソロモン王です。第二代古代イスラエル国王としてサウル王の四男であるイシュ・ボシェテもいます。第二代が2人同時期にいることになってしまいますね。ダビデ王とイシュ・ボシェテ王は対立していましたが、イシュ・ボシェテは家臣に殺されて、ダビデ王がイスラエルを統一しました。

悪魔ダゴンとの関連

(後述)

悪魔アスタロトとの関連

13 すなわち彼らは主を捨てて、バアルとアシタロテに仕えたので、

14 主の怒りがイスラエルに対して燃え、かすめ奪う者の手にわたして、かすめ奪わせ、かつ周囲のもろもろの敵の手に売られたので、彼らは再びその敵に立ち向かうことができなかった。

『士師記』第二章

彼らとはイスラエルの人々のことです。文脈的にはモーセの後継者ヨシュアが死んだ後のイスラエルの人々の話です。彼らは主(神ヤハウェ)がイスラエル人のためにしてあげたことを知らずに過ごし、異教の神バアルやアスタロトを信仰していたので神がイスラエルの人々に対して起こり、災いを起こしたという感じですね。

この異教の神「アシタロテ」が中世で悪魔アスタロトとして扱われるようになります。

参考文献

士師記(日本語WIKI)

士師記(英語WIKI)

士師(日本語WIKI)

士師(英語WIKI)

ヨシュア(日本語WIKI)

サムエル(日本語WIKI)

クシャン・リシュアタイム(英語WIKI)

※その他の参考文献は記事の最後に記載

士師記に登場するダゴンについて:サムソンとペリシテ人の戦い

さてペリシテびとの君たちは、彼らの神ダゴンに大いなる犠牲をささげて祝をしようと、共に集まって言った、「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手にわたされた」(「士師記」第16章23節)出典

文脈的には士師であるサムソン(Samson)がペリシテ人に捉えられたシーンですね。サムソンは怪力の持ち主で、名前には「太陽の(人)」、「(神に)仕えるもの」という意味があるそうです。

驢馬のあごの骨をふるってペリシテ人1000人を打ち殺したサムソン 出典

サムソンはペリシテ人の女性を妻にしようとティムナ渓谷に向かう際に主の霊がサムソンにやどり、ライオンを軽々とを引き裂いたというエピソードがあります。このペリシテ人の女性はペリシテ人に殺されてしまいましたが、サムソンは報復としてペリシテ人1000人を打ち殺すなど報復を行ったそうです。このときも主の霊がサムソンに宿り、縄で縛られていたのに縄目が落ちたそうです。

サムソンの髪を切るデリラ。ヘラルト・ファン・ホントホルスト(1615年)。

サムソンはガザ(ペリシテ人が住む地名の一つ)に住むペリシテ人のデリラという女性(遊女)を妻にしました。ペリシテ人はサムソンの怪力などの神秘的な力の理由を探ろうと、デリラに探らせようとします。デリラは秘密を教えたら銀千百枚をもらえると誘惑を受けています。

デリラはサムソンの秘密を3回探ろうとしましたが、サムソンは嘘をつきそれを回避します。4回目にデリラは泣きついたことで、サムソンは「髪に力があること」を打ち明けてしまいます。

デリラはサムソンが眠っている間にサムソンの髪を切り、サムソンは力を失ってしまいます。力を失ったサムソンはペリシテ人に捉えられてしまいます。このときサムソンは両目をえぐられ、青銅の足かせをされてしまいます。

サムソンは神に祈ったことで力を取り戻し、「わたしはペリシテびとと共に死のう」と言って家の柱を倒し、屋根の上にいた3000人近くのペリシテ人の男女もろとも一緒に死んだそうです。このときに死んだ人の数は生きているときにサムソンが殺した人よりも多かったそうです。

ペリシテ人はサムソンの力がなくなり、自分たちが捉えることができたのは神ダゴンのおかげであると思っています。「われわれの神は、敵サムソンをわれわれの手にわたされた」というのは」そういう意味です。「われわれの神は、われわれの国を荒し、われわれを多く殺した敵をわれわれの手にわたされた(同24節)」ともいっています。

捉えられたサムソンを見世物として牢から外に出し、見世物を見るために3000人近くの人々が屋根の上に集まっていたというわけです。

旧約聖書『サムエル記』:頭と両足を切り取られたダゴンと神の箱

『サムエル記』とは
『サムエル記』とは

『サムエル記』(Books of Samuel):旧約聖書におさめられたユダヤ教の預言書、またはキリスト教の歴史書のひとつ。もともとは旧約聖書の『列王記』とあわせて1つであったらしい。内容は最後の士師(民族的指導者)であり祭司であるサムエルや初代イスラエル国王サウルや二代目ダビデに関する歴史に関するもの。作者は紀元前11世紀に活躍したといわれるサムエルや、預言者ナタン、ガドであるらしい(歴代誌上 29:29)。

参考文献

『サムエル記』(日本語WIKI)

サムエルとは
サムエルとは

サムエル(Samuel):旧約聖書『サムエル記』や『士師記』に登場するユダヤ教の預言者であり士師(民族的指導者)。ヘブライ語で「彼の名は神」を意味する。紀元前11世紀頃に活躍したといわれている。サムエルはサウルを王として建てた。サウルは古代イスラエル国の初代国王になる。後にサウルが神に背く行為をしたので、代わりにダビデを王として建てた。

祭司エリに仕えたサムエル

エリに神の裁きを伝えるサムエル、出典

サムエルは幼少期にエリという祭司に仕えさせられたそうです。サムエルは幼い頃、寝床で神の言葉を聞きました。内容は司祭エリの身に起きる災いだったそうです。エリの息子たちは賭け事など不敬なことをしていて、その報いとしてエリ一家に災いが起きるという内容です。

イスラエル人はペリシテ人とのアベクでの戦いで負け、契約の箱を奪われ、エリの二人の息子も殺されたそうです。そのショックでエリも死んでしまいます。こうして神の言葉を伝えたサムエルの信憑性がでてきたんですね。

神の雷とサムエル

10 サムエルが燔祭をささげていた時、ペリシテびとはイスラエルと戦おうとして近づいてきた。しかし主はその日、大いなる雷をペリシテびとの上にとどろかせて、彼らを乱されたので、彼らはイスラエルびとの前に敗れて逃げた。

11 イスラエルの人々はミヅパを出てペリシテびとを追い、これを撃って、ベテカルの下まで行った。

12 その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と言って、その名をエベネゼルと名づけた。

13 こうしてペリシテびとは征服され、ふたたびイスラエルの領地に、はいらなかった。サムエルの一生の間、主の手が、ペリシテびとを防いだ。

(『サムエル記』第7章第10-13節)-

上の画像はサムエルが燔祭(はんさい)を行っているシーンですね。燔祭(ヘブライ語でオラー)とはユダヤ教とキリスト教において生贄の動物(雄の牛・羊・やぎ・鳩)を祭壇で焼いて神に捧げる儀式のことです。

イスラエル人はカナンの地(約束の地)に侵攻していて、もともと住んでいた人たちと対立していたのです。その部族のひとつであるペリシテ人との戦いの一つです。

サムエルが燔祭を捧げていた時にペリシテ人が戦おうとして近づいてきたので、主(神様)は雷をペリシテ人の上に轟かせて彼らを乱し、敗走させたらしいです。イスラエル人は逃げるペリシテ人を追い、撃退したそうです。このときサムエルはひとつの石をひろい、「主は今に至るまでわれわれを助けられた」と言って、その石に「エベネゼル」と名付けたそうです(7:12)。

悪魔との関連

・ダゴン:契約の箱とペリシテ人

参考文献

サムエル(日本語WIKI)

契約の箱と異教の神ダゴン
契約の箱とは

契約の箱(けいやくのはこ:Ark of the Covenant):旧約聖書のひとつである『出エジプト記』などに記述されている金で装飾されたアカシヤの木で作られた箱のことである。『出エジプト記』によれば中には十戒が記された2つの石版が入っている。証の箱、掟の箱、聖櫃(せいひつ)、約櫃(やくひつ)ともいわれる。

神の指示を受けたモーセが契約の箱を作らせた

モーセは旧約聖書『出エジプト記』などに登場する、紀元前16世紀または紀元前13世紀頃に活躍したといわれる古代イスラエルの民族指導者であり預言者です。

モーセは神の指示を受けて、職人(リーダー)であるベツァルエル(Bezael)に契約の箱を作らせたそうです。オホリヤブ(Aholiab)という職人が助手についたそうです。

契約の箱はアカシヤの木で作られ、箱は長さ130センチメートルで、幅と高さがそれぞれ80センチメートルだそうです。地面につかないように、箱の下部の四隅に脚がつけられています。アカシヤの木は古代イスラエル人にシッタと呼ばれる聖木であり、その樹木は硬く、腐ったり虫に食われたりしないため、聖書においては「不朽不滅・永遠」を象徴するらしいです。

契約の箱がべて純金で覆われているというのもポイントです。またはこの上部は金の智天使の像(金細工)が2体あるそうです。智天使は神の姿を見ることができるらしいです。

エジプト脱出後の荒野の中では契約の箱を祭司たちが担いで移動させていましたが、ヨシュアの時代あたりになるとシロの幕屋の至聖所に保管されていたらしいです。

1 そこでイスラエルの人々の全会衆は、その地を征服したので、シロに集まり、そこに会見の幕屋を立てた。

(『ヨシュア記』第18章第1節)、出典

シロ(Shiloh)はエフライム族が想像した町の名前です。カナン侵攻中はギルガルという町に司令部が置かれていましたが、侵攻が終わるとシロの町に本営が移され、そこで幕屋が立てられたそうです。それ以降、シロはイスラエルの宗教と政治の中心となったそうです。

ソロモン王(紀元前952年没)の時代以降はエルサレム神殿の至聖所に保管されましたが、ヨシヤ王(紀元前609年没)の時代以降、直接言及されることがなくなったそうです。失われた経緯も不明なことから、失われた聖櫃(The Lost Ark)と呼ばれることもあるそうです。

契約の箱がペリシテ人によって奪われる

1 ペリシテびとは神の箱をぶんどって、エベネゼルからアシドドに運んできた。

2 そしてペリシテびとはその神の箱を取ってダゴンの宮に運びこみ、ダゴンのかたわらに置いた。

・・・

9 彼らがそれを移すと、主の手がその町に臨み、非常な騒ぎが起った。そして老若を問わず町の人々を撃たれたので、彼らの身に腫物ができた。

10 そこで人々は神の箱をエクロンに送ったが、神の箱がエクロンに着いた時、エクロンの人々は叫んで言った、「彼らがイスラエルの神の箱をわれわれの所に移したのは、われわれと民を滅ぼすためである」。

11 そこで彼らは人をつかわして、ペリシテびとの君たちをみな集めて言った、「イスラエルの神の箱を送り出して、もとの所に返し、われわれと民を滅ぼすことのないようにしよう」。恐ろしい騒ぎが町中に起っていたからである。そこには神の手が非常にきびしく臨んでいたので、

12 死なない人は腫物をもって撃たれ、町の叫びは天に達した。

(『サムエル記』第5章第1-2,9-12節)

紀元前11世紀ごろに活躍したといわれる最後の士師サムエルを育てた大祭司エリの時代にペリシテ人によって契約の箱が奪われてしまったそうです。ペリシテ人はもともとカナンに住んでいた人々で、イスラエル人がカナンに進行する際に対立した人々です。

ドゥラ・エウロポス・シナゴーグにある、ペリシテ人による聖櫃奪取のフレスコ画。

ペリシテ人はアシュドド、アシュケロン、エクロン、ガザ、ガトの5つの自治都市をもっていました。エベネゼルはイスラエル人とペリシテ人の戦場として旧約聖書の『サムエル記』に記述される地名であり、契約の箱が安置されていたシロの町の近くです。

ペリシテ人はイスラエル人から神の箱を奪い、大司祭エリの子も殺したそうです。そのショックでエリも死んでしまうのですが、この厄災を予言していたのが後の士師である幼いサムエルだったそうです。

ニコラ・プッサンによる『アシドドのペスト』。

神の箱を奪ったペリシテ人でしたが、それ以来腫物ができてしまう災いが起きるようになったそうです。腫物(はれもの)の解釈はよくわかりませんが、ペスト(疫病)説もあるそうです。

ペリシテ人は疫病を終わらせるために占い師に相談し、ペリシテ人の5人の支配者を意味する5つの金の臓物と5つの金のねずみの像をイスラエルの神に対する罪の供え物として作り、契約の箱と一緒にイスラエル人に返したそうです。

参考文献

契約の箱(日本語WIKI)

契約の箱(英語WIKI)

ベツァルエル(英語WIKI)

アカシア(日本語WIKI)

シロ(日本語WIKI)

ペリシテ人による聖櫃奪取(日本語WIKI)

ペリシテ人のダゴンの像

1 ペリシテびとは神の箱をぶんどって、エベネゼルからアシドドに運んできた。

2 そしてペリシテびとはその神の箱を取ってダゴンの宮に運びこみ、ダゴンのかたわらに置いた。

3 アシドドの人々が、次の日、早く起きて見ると、ダゴンが主の箱の前に、うつむきに地に倒れていたので、彼らはダゴンを起して、それをもとの所に置いた。

4 その次の朝また早く起きて見ると、ダゴンはまた、主の箱の前に、うつむきに地に倒れていた。そしてダゴンの頭と両手とは切れて離れ、しきいの上にあり、ダゴンはただ胴体だけとなっていた。

5 それゆえダゴンの祭司たちやダゴンの宮にはいる人々は、だれも今日にいたるまで、アシドドのダゴンのしきいを踏まない。

6 そして主の手はアシドドびとの上にきびしく臨み、主は腫物をもってアシドドとその領域の人々を恐れさせ、また悩まされた。

7 アシドドの人々は、このありさまを見て言った、「イスラエルの神の箱を、われわれの所に、とどめ置いてはならない。その神の手が、われわれと、われわれの神ダゴンの上にきびしく臨むからである」。

(『サムエル記上』第5章第1-7節)、出典

ペリシテ人がイスラエル人の契約の箱を奪い取ったあと、アシドド(ペリシテ人の都市のひとつ)のダゴン(Dagon)の宮に運び、ダゴンのかたわらに置いたそうです。ダゴンはペリシテ人やカナンの人々が崇拝したといわれる豊穣神です。

ダゴンの像の破壊

「Depiction of the destruction of Dagon by Philip James de Loutherbourg, 1793.」出典

ダゴンの宮(神殿?)のダゴンの像の隣に契約の箱が置かれてた翌日、アシドドの人々が早く起きてみるとダゴン像が契約の箱の前にうつむきに地に倒れていたそうです。

その次の日になると、ダゴン像の頭と両手は切れて離れ、胴体だけになっていたそうです。アシドドにいたペリシテ人は相当驚いたでしょうね。自分たちの神が胴体だけになっているんですから。

それ以来ペリシテ人はダゴンの神殿に入らなくなってしまったみたいですね。次はどうなっているか怖くて見れないのでしょうか。入らないというより、ダゴンが発見された敷居の上を歩けなかったというほうが正しいですね。

ダゴンの像がバラバラになっているだけでも驚愕ですが、さらにアシドドの人たちがイスラエル人の神によって腫物をもって恐れさせたそうです。これは解釈によるのだと思いますが、疫病説があるみたいです。

契約の箱を別の町に映すと、移した町でも同じように腫物が民を襲ったらしいです。これで原因は契約の箱を奪ったことにあると嫌でもわかりますよね。そこでペリシテ人は祭司や占い師に相談し、5つの金の腫物と5つの金のネズミの像を契約の箱に添えてイスラエル人に返しに行ったそうです。

ここまで聞くと短期間のように思えますが、『サムエル記』によれば契約の箱は7ヶ月間もペリシテ人の地にあったそうです(6:1)。

1 キリアテ・ヤリムの人々は、きて、主の箱を携え上り、丘の上のアビナダブの家に持ってきて、その子エレアザルを聖別して、主の箱を守らせた。

2 その箱は久しくキリアテ・ヤリムにとどまって、二十年を経た。イスラエルの全家は主を慕って嘆いた。

3 その時サムエルはイスラエルの全家に告げていった、「もし、あなたがたが一心に主に立ち返るのであれば、ほかの神々とアシタロテを、あなたがたのうちから捨て去り、心を主に向け、主にのみ仕えなければならない。そうすれば、主はあなたがたをペリシテびとの手から救い出されるであろう」。

4 そこでイスラエルの人々はバアルとアシタロテを捨て去り、ただ主にのみ仕えた。

(『サムエル記』第7章第1-4節)、出典

キリアテ・ヤリムはエルサレムの西方11kmにあった古代イスラエルの町です。イスラエル人のカナン侵攻以前にはバール神の聖所があったそうです。バアルに関してはややこしいのですが、おそらく「バアル・ハダト(雷鳴の王)」が「バアル」に縮められた豊穣の神を意味するのだと思います。古代カナン人、フェニキア人の神です。アシタロテは豊穣の女神ですね。

神の箱がイスラエル人にもどったとき、サムエルが異教の神々であるバアルやアシタロテ、そしてダゴンなどを崇拝してはいけないと言ったのは重要なシーンだと思います。ユダヤ教は唯一神教であり、ただひとりヤハウェ(ユダヤ教の神)だけを崇拝しなさいということです。

ユダヤ教やキリスト教は異教の神を悪神や悪魔として扱っていくことが多いです。ミルトンがいうところの「古くから世に轟く令名をもつもの」です。もっともダゴンが明確に悪魔的な扱いを受けるのは中世以降です。

旧約聖書『歴代志』:イスラエル王の首をダゴンの神殿へ

『歴代志』とは
『歴代志』とは

『歴代志』(れきだいし;Books of Chronicles):旧約聖書の一つ。ユダヤ教では諸書(Ketuvim)、キリスト教では歴史書として扱われている。二巻に別れており、1巻はアダムの系図の話からダビデの死までの内容、2巻はバビロン捕囚までの内容である。原作者はエズラという説がある。ギリシア語聖書では『列王記』の補足的な扱いである。

参考文献

歴代誌(日本語WIKI)

歴代誌(英語WIKI)

サウルとは
サウルとは

サウル(Saul):旧約聖書に登場する紀元前10世紀頃のイスラエル王国の最初の王。

1:士師サムエルに王として選ばれたサウル

イスラエル人は約束の地であるカナン侵攻の際に、さまざまな民族と対立していました。民が王政を求めたので、サウルはそのデメリット(息子が取られて従軍させられるなど)を話します。しかし民は聞き入れなかったので、サムエルは王になるべき男を探したそうです。

そこで見つかったのがサウルです。サウルはベニヤミン族出身のキシの息子で、背が高く美しい若者だったそうです。

コラム:聖絶されたヤベシュの町

サウルは最初の戦闘でアンモン人に攻め囲まれたヤベシュ(ヤベシュ・ギルアデ)を救ったそうです。アンモン人は後に悪魔扱いされるモレクを崇拝していた民族です。

ヤベシュはヨルダン川の東にある町で、ベニヤ民族との戦いに参加しなかったので聖絶された町らしいです。『士師記』を読んでみましたが、かなり悲惨な内容でした。

発端はサムエルの時代のだいぶ前にあるみたいです。イスラエルの部族の一つにレビ族というある種の特殊な部族がいます。カナン侵攻の際に他の部族と違って継承する土地はなく、祭司の一族として特別な役割を担っていった民族です。

4 殺された女の夫であるレビびとは答えて言った、「わたしは、めかけと一緒にベニヤミンに属するギベアへ行って宿りましたが、

5 ギベアの人々は立ってわたしを攻め、夜の間に、わたしのおる家を取り囲んで、わたしを殺そうと企て、ついにわたしのめかけをはずかしめて、死なせました。

・・・

48 そこでイスラエルの人々はまた身をかえしてベニヤミンの人々を攻め、つるぎをもって人も獣もすべて見つけたものを撃ち殺し、また見つけたすべての町に火をかけた。

(『士師記』第20章第4-5,48節)

そのレビ族のある男の側女(正妻ではない妻)がベニヤミン族(同じくイスラエルの部族のひとつ)の男に乱暴され殺されたことが原因で、ベニヤミン族が全イスラエル人から征伐の対象となったそうです。規模の大きい村八分みたいなものですね。何万人ものベニヤミン族が死にました。またベニヤミン族を妻としてとらないという誓いをイスラエル人はしたそうです。

8 彼らはまた言った、「イスラエルの部族のうちで、ミヅパにのぼって主のもとに行かなかったのはどの部族か」。ところがヤベシ・ギレアデからはひとりも陣営にきて集会に臨んだ者がなかった。

9 すなわち民を集めて見ると、ヤベシ・ギレアデの住民はひとりもそこにいなかった。

10 そこで会衆は勇士一万二千人をかしこにつかわし、これに命じて言った、「ヤベシ・ギレアデに行って、その住民を、女、子供もろともつるぎをもって撃て。

11 そしてこのようにしなければならない。すなわち男および男と寝た女はことごとく滅ぼさなければならない」。

12 こうして彼らはヤベシ・ギレアデの住民のうちで四百人の若い処女を獲た。これはまだ男と寝たことがなく、男を知らない者である。彼らはこれをカナンの地にあるシロの陣営に連れてきた。

(『士師記』第21章第8-12節)

イスラエル人もベニヤミン族を一人残らず全滅させるのは躊躇したようで、残った600人のベニヤミン族に妻を与えて一族を存続させようとします。しかし自分たちの部族の女は呪われるので差し出したくないわけです。

そこで、ベニヤミン族を討伐するために集まらなかったのはどいつらだ?という話になります。それがヤベシュ・ギルアデの人々だったそうです。イスラエル人が結束して戦っているときに助けに来なかった罰として、女子供が処女以外滅ぼされたらしいですね。これを聖書の用語では「聖絶」というんですかね。

昔の人はやることが凄まじいです。現代社会のように警察や司法などが整備されていないので、見せしめとしてやる意味があったのですかね。ちなみに捉えられた400人の若い処女たちは生き残ったベニヤミン族(600人の男性しか生き残っていない)にあてがわれたそうです。ベニヤミン族自体は滅亡せずに続いたんですね。ところでヤベシュの人々はどの部族だったのでしょうか。

サウルがベニヤミン族出身だということは、生き残った600人の男性か、あるいはヤベシュ・ギルアデの女性たちとベニヤミン族との間にできた子供か、あるいはシロの町の女性との間にできた子供かいずれかになりますね(ヤベシュの女性だけでは結局数が足りなかったようです)。サウルからしたらヤベシュ・ギルアデは自分の出自に深く関連する町ということになります。

2:神の命令に背いたサウル

1 さて、サムエルはサウルに言った、「主は、わたしをつかわし、あなたに油をそそいで、その民イスラエルの王とされました。それゆえ、今、主の言葉を聞きなさい。

2 万軍の主は、こう仰せられる、『わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルがエジプトから上ってきた時、その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。

・・・

8 そしてアマレクびとの王アガグをいけどり、つるぎをもってその民をことごとく滅ぼした。

9 しかしサウルと民はアガグをゆるし、また羊と牛の最も良いもの、肥えたものならびに小羊と、すべての良いものを残し、それらを滅ぼし尽すことを好まず、ただ値うちのない、つまらない物を滅ぼし尽した。

10 その時、主の言葉がサムエルに臨んだ、

11 「わたしはサウルを王としたことを悔いる。彼がそむいて、わたしに従わず、わたしの言葉を行わなかったからである」。サムエルは怒って、夜通し、主に呼ばわった。

・・・

22 サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。

23 そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。

24 サウルはサムエルに言った、「わたしは主の命令とあなたの言葉にそむいて罪を犯しました。民を恐れて、その声に聞き従ったからです。

25 どうぞ、今わたしの罪をゆるし、わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください」。

26 サムエルはサウルに言った、「あなたと一緒に帰りません。あなたが主の言葉を捨てたので、主もあなたを捨てて、イスラエルの王位から退けられたからです」。

・・・

35 サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルを見なかった。しかしサムエルはサウルのために悲しんだ。また主はサウルをイスラエルの王としたことを悔いられた。

(『サムエル記上』第15章)、出典

アマレク人は古代パレスチナの遊牧民族だったそうです。『出エジプト記』ではエジプトから脱出したモーセ一行に最初に攻撃してきたのがアマレク人です。イスラエル民族の敵として以後認識されていきます。

士師であり預言者であるサムエルはサウルにアマレク人を飼っている動物もろともすべて滅ぼすようにと神の言葉を伝えました。しかしサウルは民の反応を気にしてアマレク人の王であるアガクを生かし、肥えた羊や牛とともに持ち帰ってきたのです。

こうして神の命令に背いたサウルは神に捨てられ、王位から退けられたとサムエルに言われてしまいます。そうはいったものの、サウルはそれ以降も王として過ごしていきます。政治と宗教の対立として解釈されることもあるみたいですね。生かすことが国益になったとしても、宗教的にはNGだということです。

3:サウルの最後

11 サムエルはエッサイに言った、「あなたのむすこたちは皆ここにいますか」。彼は言った、「まだ末の子が残っていますが羊を飼っています」。サムエルはエッサイに言った、「人をやって彼を連れてきなさい。彼がここに来るまで、われわれは食卓につきません」。

12 そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。

13 サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。そしてサムエルは立ってラマへ行った。

14 さて主の霊はサウルを離れ、主から来る悪霊が彼を悩ました。

(『サムエル記』第16章第11-14節)

サムエルは神の命令に反したサウルをあきらめ、エッサイの子ダビデの頭に油を注ぎます(ダビデが王に選ばれました)。あの有名なダビデ像のダビデです。

Saul and David by Rembrandt Mauritshuis 621

今まで神の霊はサウルのもとにありましたが、ダビデに移っていきます。その代わりにダビデは悪霊に悩まされましたが、ダビデの琴の音を聞くと悪霊が離れたそうです。ちなみにサウルはダビデの人気を妬んで命を狙ったそうです。それに対しダビデは「神の選んだ人に手をかけられない」といってサウルをころす機会があっても、それをしませんでした。

サムエルが死んだ後、ペリシテ軍がシュネムというイスラエル人のイッサカル族の相続した町で戦いの準備を始めます。

サルヴァトル・ローザ『エン・ドルの口寄せの家でサウルに現れるサムエルの霊』1668年 ルーブル美術館

サウルはペリシテ人を恐れて神に伺いを立てますが神はそれに答えなかったので、自ら禁じていたはずの口寄せによって死んだサムエルを呼び出します。サムエルは「主はイスラエルの軍勢をペリシテびとの手に渡される」とサウルに伝えます。つまりイスラエル人がペリシテ人に負けるということを予言したのです。

ギルボア山での戦い ピーテル・ブリューゲル – https://www.khm.at/objektdb/detail/322/

サムエルの予言通り、サウルはペリシテ人との戦いの中でギルボア山という場所まで息子たちとともに追い詰められます。サウルは追い詰められたので、剣の上に身を投げて自害したそうです。息子のヨナタン、アビナダブ、マキエ・シュアも戦死しました。

サウルが死んだことを理由に、のちのイスラエル第二代の王であるダビデはギルボア山を呪ったそうです。現代においても植物が育たないらしいです。

参考文献

サウル(日本語WIK)

ベニヤミン族(WIKI)

アマレク人(日本語WIKI)

ギルボア山(日本語WIKI)

サウルの首がダゴンの神殿に釘付けにされる

8 あくる日ペリシテびとは殺された者から、はぎ取るために来て、サウルとその子らのギルボア山に倒れているのを見、

9 サウルをはいでその首と、よろいかぶとを取り、ペリシテびとの国の四方に人をつかわして、この良き知らせをその偶像と民に告げさせた。

10 そしてサウルのよろいかぶとを彼らの神の家に置き、首をダゴンの神殿にくぎづけにした。

11 しかしヤベシ・ギレアデの人々は皆ペリシテびとがサウルにしたことを聞いたので、

12 勇士たちが皆立ち上がり、サウルのからだとその子らのからだをとって、これをヤベシに持って来て、ヤベシのかしの木の下にその骨を葬り、七日の間、断食した。

13 こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死んだ。すなわち彼は主の言葉を守らず、また口寄せに問うことをして、

14 主に問うことをしなかった。それで主は彼を殺し、その国を移してエッサイの子ダビデに与えられた。

(『歴代志』第10章第8-14節)、出典

サウルがギルボア山でペリシテ人にやられてしまった後、ペリシテ人がイスラエル人の装備などを剥ぎ取るために再び山に来たそうです。サウルの首と鎧兜を切り取り、それを見せつけて自分たちが勝ったということをペリシテ人の間に知らせたそうです。戦争では敵将の首をとって晒し者にし、自軍の指揮を上げることは多々あります。

そしてペリシテ人の神であるダゴンの神殿にサウルの首を釘付けにしたそうです。イスラエル人の契約の箱をダゴンの神殿に置いた時、ダゴンの像の首や手足がバラバラ担ったことがありましたが、その報復でしょうか。

9 彼らはサウルの首を切り、そのよろいをはぎ取り、ペリシテびとの全地に人をつかわして、この良い知らせを、その偶像と民とに伝えさせた。

10 また彼らは、そのよろいをアシタロテの神殿に置き、彼のからだをベテシャンの城壁にくぎづけにした。

(『サムエル記上』第31章第9-10節)、出典

『サムエル記』では『歴代志』と話が異なります。ダゴンというワードすら出てきていません。鎧はアシタロテの神殿に置かれ、サウルの体はベテシャンの城壁に釘付けにされたそうです。アシタロテはカナン人が信仰したと言われている豊穣の女神であり、ペリシテ人も信仰していたといわれるので文章自体に違和感はありません。

ちなみに英語でも「10 They put his armor in the temple of the Ashtoreths and fastened his body to the wall of Beth Shan(出典).」とあるので、誤訳ではなさそうです。

WIKIによると「No archeological evidence was found of Philistines occupation, but it is possible the force only passed there.[15]」とあり、ペリシテ人がイスラエル人を征服したという考古学的資料は見つからなかったそうです。

近代以降のダゴン:ミルトンによる「失楽園」(1667)

「失楽園」とは
失楽園とは

失楽園(しつらくえん、Paradise Lost):ジョン・ミルトンによる旧約聖書の『創世記』をテーマにした叙事詩。ヤハウェに叛逆して一敗地にまみれた堕天使のルシファーの再起と、ルシファーの人間に対する嫉妬、およびルシファーの謀略により楽園追放に至るも、その罪を自覚して甘受し楽園を去る人間の偉大さを描いている(WIKIより)。

ジョン・ミルトン

ジョン・ミルトン(1608-1674年):イギリスの詩人。代表作に『失楽園』やダンテ『神曲』などがある。『失楽園』ではサタンに関する記述があり、ダンテ『神曲』では有名なルシファーの挿絵がある。『失楽園』は旧約聖書の『創世記』をテーマにした叙事詩。堕天使ルシファーの再起やルシファーの人間に対する嫉妬、楽園追放などの内容。キリスト教文学の代表作。ミルトンによる旧約聖書の解釈はルシファーに関する逸話に影響を与えた。

ミルトンの悪魔一覧

 悪魔の名前出自 由来となった神などメモ
1サタン天使のときの名前はルシファー。堕天した。天使の三分の一を誘惑して神に背を向けさせるほど力とカリスマ性があった恐ろしい堕天使。
神が御子(イエス)を想像し、天使の首領にすると宣言したため、ルシファーは怒り堕天する。
怒りのあまりサタンの頭が割れ、罪という娘が生まれ、サタンと罪の間に死という息子が誕生した。
天国を奪えないと判断したサタンは人間へ目を向け、エデンの園にいたアダムとイヴを誘惑する。
2ベルゼブブサタンに次ぐ悪魔。古代のエクロンの神。ベルゼブブは地獄で立ち上がり、一時的な平和を求めるべきか天にたいして戦いを起こすべきかと地獄の会議によびかけた。
ベルゼブブは演説を行う。ベルゼブブは天使の名前を失ったことに対する懸念を述べ、謀反を起こしただけで地獄の王と呼ばれることに嘆く。
神に背をむけるやりかたをもって地上と人間への直接攻撃を提案したのはベルゼブブ。
3モロク古代のアンモン人の神モレク。盲目の激怒と戦のデーモン。「恐るべき王」。「アンモンの人々の神である憎むべきもの(『列王記上』第十一章七節)」。
アンモン人の神は幼児の燔祭(はんさい)を求めたと言われている。いわゆる生贄である。
4ケモシ古代のアンモン人の神ケモシュ。ケモス。ケモスの別称がペオル。ケモシュが「モアブ人の神である憎むべきもの」と『列王記上』第十一章七節にあるらしい。
5バアル古代フェニキアの男性の豊穣神。バーリム。ミルトンは男の象徴して扱う。
6アスタロト古代フェニキアの女性の豊穣神。アシュタロス。ミルトンはバールとアシュタロスをそれぞれ男および女のデーモンの頭目(バーリムとアシュタロス)とみなしている。
二人は夫婦として崇拝されている。フレッド・ゲディングズによればミルトンはフェニキア人が信仰したアスタルテを「三日月の角をもつ天の女神」と表現したが、 
古代の文献ではそのようになっていないという
。歴史家のエウセビオス(263-339)の「アシュトレトが牛の頭を持つ女の姿で崇拝されていた」という記述に影響を受けたかもしれないとある。
7タンムズ植物の死と再生を象徴するフェニキアの神。
8ダゴン古代フェニキアの農業神。半人半漁の海の怪物になっている。ミルトン以前ではデーモンではなかった。2つの世界を自在に行き来する奥義伝授の神、魚人だった。
ヘブライ語で「魚」を意味するdagと「偶像」を意味するaonに由来する。ペリシテ人はダゴンを神として信仰した。
ダゴンはアッシリアの神オアンネスと同一視されている。ミルトンのいう「古くから世轟く令名をもつもの」の一人。
ペリシテ人はサウロの首を切り落とし、ダゴンの神殿に釘付けにした(『歴代志上第十章十節』) 。
9リンモン古代シリア人の風雨の神。
10オシリス古代エジプト人の冥界神。
11イシス古代エジプトの女神。オシリスの妹にして妻。
12ホルス古代エジプトの神。オシリスの息子。
13ベリアル堕天し。堕天した天使の中で最もみだらで不埒。ベリアルほど悪徳のために悪徳を愛する下卑た者はいない。
ミルトンは厳密な聖書の解釈よりもグリモアの伝統における淫蕩(いんとう)と放縦(ほうじゅう)にえいきょうされているらしい。
14ティタン族古代ギリシアの古い神々。
15アザゼル堕天し。もと智天使。万魔殿の帝王旗をかかげた。『レビ記』第一六章のアザゼルや鬼神のイブリスとはなんの関係もないらしい。
16マンモン富が擬人化したさもしい悪魔。本来デーモンでも偶像でもなかった。シリア語で「金」や「富」をあらわす言葉に過ぎない。
マタイ伝第六章二十四節などで「汝ら神とマモンとに兼ね仕うることあたわず」とあるように、キ
リストの言葉によって擬人化されたものと受け取られたため、悪魔としてとりあげられる。
ミルトンいわく「堕天した天使の中でもっとも高潔とはほどとおいもの」である。
大地の中心をうろつかせ、黄金の鉱脈を掘らせて、のちに万魔殿と呼ばれる場所を掘り起こした。
神や人間に戦いを仕掛けるよりも地獄にとどまって富を利用するべきと『失楽園』第2巻で主張したことからか、
唯物論を代表するものとしても用いられている。
17ムルキベルギリシア神話の鍛冶の神ヘパイストス。地獄に万魔殿を築いた。よく万魔殿の建築家と呼ばれるが、実際には地獄の都の建築や塔の建築家だったらしい。
万魔殿の敷地を選んで掘り起こしたのはマモン。古典時代にまで出自はさかのぼり
、ローマ神話において「和らげるもの」を意味する向きルベルは火の神ウルカヌスをあらわす名前の一人。
ウルカヌスがユーピテルによって天から投げ落とされ、九日にわたって落下したことでデーモンの名前としてミルトンは採用したのかもしれないと『悪魔の辞典』にはある。
18アデランメレク古代ファルワイム人の神。もと座天使。
19アスモデウス堕天しアスモデウス。もと座天使。
20アリエル神の獅子という名の堕天使。
天使学では水を支配する七天使の一人。
21アリオク獅子のようなものという名の堕天使。
中世のカバラ主義者によって復讐の悪霊と考えられた。
22ラミエル「雷霆(らいてい)」という名の堕天使。
『シビュラの託宣』では人間の魂を神の審判の場につれだす五天使の一人。
23ニスロク古代アッシリアの神。権天使の首領だった。

アスタロト

「これらの一群の者と共にやってきた者に、アシトロテ――フェニキア人の呼び名でいえばアスタルテ、つまりあの三日月型の角を頭に頂いた天の女王がいた。月影さやかな夜ともなれば、彼女の煌く像に向かい、シドンの乙女たちは誓いの祈りを捧げ、歌を捧げたが、同じ歌声はシオンの山でも響いた。そこの背神の丘の上にも、聡明な心の持ち主ではあったが、偶像を拝する美しい女たちに惑わされ、自分自身もおぞましい偶像の前についに帰依した、妻に甘いあの王の手でアシトロテの宮が建てられていたからだ(『失楽園』)。」

詳細はアスタロトの記事で紹介しています。

モレク

「人身御供の血にまみれ、親たちの流した涙を全身に浴びた恐るべき王(『失楽園』)。」

詳細はモレクの記事で紹介しています。

ビヒモス

 ビヒモス、すなわち獣。なぜなら、彼は人間の獣性を生み出すからだ。

(『失楽園』)

詳細はビヒモスの記事で紹介しています。

ダゴン

この記事で後述します。

「失楽園」とダゴンの関係

次に来たのは、自らの神殿で、盗み出されてそこに置かれていた神の聖櫃(はこ)のために己の獣の像を傷つけられ、頭と両足を切断されて門閾(しきい)の上に無残に倒れ伏し、参拝者の心を忸怩(じくじ)たらしめるだけでなく、自らもまた深く悲嘆にかきくれたという或るものであった。その名はダゴン、海の怪物ー上半身は人間だが、彼はパレスチナの全域にわたって畏れられ、その宏壮な神殿は、アゾトに、ガテに、アシケロンに、アッカロンに、さらにまたガザの辺境にいたるまで、高々と聳(そび)えたっていた。

「失楽園」、ミルトン、平井正穂訳、岩波文庫、1981年、原典は1667年

門閾(もんいき):門の敷居

忸怩(じくじ):深く恥じ入るさま

聖櫃(せいひつ):契約の箱

かきくれる:悲しみに沈んで目の前が暗くなる

広壮・宏壮(こうそう):建物などが広大で立派なこと。

『悪魔の辞典』によるとダゴンはミルトン以前には悪魔として扱われていなかったようです。1667年にはじめてダゴンが悪魔扱いされたということになります。

『失楽園』はサタンとサタンに同調した天使たちが神によって天国から追放される話からはじまります。つまり、この流れでいうとダゴンは元天使であり、堕天使になり、悪魔と扱われるということになります。

サタンが天国から追放されてから、すぐそばにいたのがベルゼバブです。『失楽園』ではベルゼバブはサタンの次の地位である副官です。天使は天国から落とされた際に散り散りになります。そこで最初に駆けつけたのがモロクだったといいます。次はケモシ、バアル及びアスタロス、タンムズ、その次にダゴンです。その後は鱗紋、オシリス、イシス、ホルスが続きます。最後にベリアルがきます。

位階にに準じて順次一人ずつという言葉や、まず重立った者としてはという言葉があるので、判断に困ります。モロクが最初に馳せ参じてきたらしいですが、彼もまたその前に「それらのうち最初に来たのは」と説明されています。それらのうち、というのが主に異教の神々ということです。

つまり異教の神々の中で一番最初に馳せ参じたのがモロクであったという解釈のほうがしっくりきます。バアルやアスタロス、それにダゴン、オシリス等々もい今日の神々であり、ミルトンの言葉でいうと「古くから世に轟く令名をもつ」ものであり、神の座を奪われてデーモン化されたものたちです。

注釈でも「『まず重立った者としては』以下五〇六行にいたるまで、作者はイスラエルの人々と関係の深い、したがってなんらかの形で聖書の中で言及されている異神について語っている(336P)」とあります。

「いずれも、人間の姿を遥かに凌ぐ神々しくかつ英雄然たる姿、格好で、堂々たる王者の風を示している。かつては天国において、それぞれの王座についていた権力者だったのだ。だが、今では、あの謀反を起したために生命の書からは消され抹殺され、もはや天国の記録にはその名前をとどめざるにいたった者たちであった(27P)」とあることからも、ダゴンも天国から落とされる前は、同等たる王者の姿をしていたのだと思います。

サタンとともに天使たちが堕とされた時点では、まだアダムとエバは誘惑されれていません。したがって、人間はエデンからまだ追放されていないのです。つまりこの頃はまだ、モロク、アスタルテ、ダゴン等々は異神としてさえ人間に崇拝されていなかった頃です。堕落してからだいぶ時間がたったあと、「彼らが、人間を試練にあわせようといういと高き神の幽遠な容認のもとに、地上を彷徨し、腐敗堕落させ、創造主である神を棄てさせ、その眼に見えざる栄光を、虚飾と黄金とで飾り立てた絢爛たる儀礼で装われた獣の像に変えさせ、それらの悪魔を神々として礼拝させるにいたる時期まで、待たなければならなかった(27P)」とあるように、神の許可を得て人間を試すために異教の神として人間に崇拝されるようになるというストーリーのようですね。

旧約聖書ではダゴンは異教の人々が崇拝する神でしたが、ダゴンでは元々天使であり、堕天使となり、後々悪魔になったという設定らしいです。

なお、この頃はまだダゴンが魚に関連した神であるという説が一般的だったので、ミルトンもそれにならい、「海の怪物ー上半身は人間」としているようですね。

『地獄の辞典』(1826年)によるダゴン

『地獄の辞典』とは
『地獄の辞典とは』

『地獄の辞典』(じごくのじてん,Infernal Dictionary):1826年にフランスの文筆家コラン・ド・プランシーによって描かれた悪魔などのエピソードを集めた辞書形式の書籍。M・L・ブルトンによる挿絵が有名。情報が多いが、中には誤りも多くあるらしい。

ビヒモス

詳細はビヒモスの記事で紹介しています。

アスタロト

詳細はアスタロトの記事で紹介しています。

モレク

詳細はモレクの記事で紹介しています。

ダゴン

詳細はこの後の項目で紹介します。

『地獄の辞典』とダゴンとの関連について

「第二階級の魔神。地獄宮廷のパンの製造・管理を司る。オーソンヌの悪魔憑き事件の際に出現した。ペリシテ人は、人間の上半身と魚の下半身を持つ怪物として崇拝し、ほかの多くの魔神がそうであるように、かれに農業の創意の才を見ていた。(・・・)ペグー〔ビルマ南部の都市、または地方名〕ではダゴンは造物神とみなされ、いつの日にかキアキア(ペグーの魔神)がこの世を破壊することがあっても、ダゴンあるいはダグン(Dagoun)が別の世界を新たに出現させ、それは以前の世界よりずっと美しく、ずっと住みやすいものになるだろうと信じられている。

(「地獄の辞典」、コラン・ド・プランシー、床鍋剛彦訳、1997年、原典は1826年、講談社文庫 301-302P)

第二階級である根拠や、地獄宮廷のパンの製造・管理を司っていたという根拠が明示されておらず、類似した説が見つかりません。穀物に関連する神のため、パンにつながったのかもしれません。魔神という扱いをしたのは「失楽園」の影響かもしれませんね。

基本的には従来考えられていたダゴンの像と同じように、オアンネスのような魚人の怪物として説明されています。

キアキアやペグーという言葉が出てきますが、ペグー王朝のことでしょうか。調べても出てきません。

オーソンヌと調べると、フランスにある地域だそうですね。「図解 悪魔学」によれば、1660年頃にフランスのオソンヌにあるウルスラ女子修道院で起こった集団憑依事件に出現したとされているとありますが、この出典もまた「地獄の辞典」であるため、詳細はよくわからないみたいですね。かなり創作的な内容という印象を受けます。

その他:クトゥルフ神話におけるダゴン(20世紀)

クトゥルフ神話におけるダゴン、出典

クトゥルフ神話(cthulhu myth)とは20世紀にアメリカで創作としてつくられたとされる架空の神話だそうです。作家はラブクラフト(1890~1937年)とされています。

1917年には『ダゴン』、1921年には『無名都市』、1928(1926年執筆)年『クトゥルフの呼び声』などが作品にあります。

Dagon, and Yog!
出典

ダゴンのイメージ、出典

『ダゴン』はかなり初期作品みたいです。『父なるダゴンと母なるヒュドラ(Father Dagon and Mother Hydra)』という作品もダゴンに関連していますね。

水棲種族深きものどもの、巨大版。身長6メートル以上、よどんだ両目は突出し、分厚くたるんだ唇と水かきのついた手足を持つ2足歩行をする半魚人と言われる。ダゴンやヒュドラを、小型化し人間大にしたものが、深きものどもだと言える。ダゴンは「深きものどもの長老・指導者」兼「旧支配者クトゥルフに仕える従者(小神、従属神)」と位置付けられる。

出典

それにしても個人的にこういう巨大な怪物感すごい好きです。ダゴンが魚に関連する神は誤訳であるということをさんざん詳説してきたのにも関わらず、誤訳ナイスと思ってしまうほどです。神話が創作に影響を与えているってすごくいいなと思ってしまいます。すげえ!っていう感想さえ与えればもう立派な創造だと思うんですよね。語彙力がないですが、言語を超えてすげえ!となるのが創作だと思います。そういう素材にこの記事がなれたらいいなと思います。

ネットがない時代にラブクラフトは友人達と図書館などに通い詰めて神話の情報を一生懸命入手していたのでしょうね。それを考えると私達は神話の情報に容易にアクセスできるようになりました。せっかく情報があるのだから、創作にぜひ使いましょう。

参考文献

クトゥルフ神話(日本語WIKI)

父なるダゴンと母なるヒュドラ(日本語WIKI)

その他ダゴンが元ネタになっていると思われる作品

・呪術廻戦の元ネタと思われるダゴン(領域展開や七海健人が関連しているのですね)

・シャドバの元ネタと思われるダゴン

・ドラゴンクエストモンスターズ(イルルカSP)の元ネタと思われるダゴン

・ウルトラマンの元ネタと思われるダゴン

・宇宙戦艦ヤマトの元ネタと思われるダゴン

・バトスピ(バトルスピリッツ)の元ネタと思われるダゴン。異界王ダ・ゴン

その他参考文献

参考書籍

1:知っておきたい 天使・聖獣と悪魔・魔獣

2:悪魔の事典

3:図解 悪魔学 (F-Files No.027)

4:堕天使―悪魔たちのプロフィール (Truth In Fantasy)

5:悪魔事典 (Truth In Fantasy事典シリーズ)

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