【悪魔】モレクとはなにか?意味、エピソード、イラスト、元ネタ紹介

モレクとは

意味

モレク(Molech):メレク(Melek)、モロク(Moloch)という異称で呼ばれることがある。

Personagem retirado do livro Dictionnaire Infernal escrito e ilustrado por Jacques Collin de Plancy em 1818.

元々はアンモン人の信仰する神であったが、聖書ではイスラエル人に異教の神として扱われ、ヘブライの伝承では悪霊(悪魔)として扱われるようになった。名前の由来はヘブライ語の王を意味する言葉からきている。

元々は太陽神であり、人々を災害から守ると信じられていた。その代わりにモレクを讃えた牛の姿のブロンズ像をつくり、その空洞の腹で人間を燃やすことで生贄を捧げる必要があった。「親たちの流した涙を全身に浴びた恐るべき王」や「涙の国の君主」と言われるのはそのためである。『失楽園』では天使の中で最も強く、勇猛であると称されるほどの実力とされているが、知略の面ではそこまで優れていない。天使ガブリエルにモレクは破れ、逃走している。

語源・由来

どうやら聖書などではモク(Molech/)で、詩人ミルトンが使った異なった綴りではモク(Moloch)となっているみたいです。またグリモアではモクよりもモクと表記される方が多いそうです。またメレク(Melek)と呼ばれることもあります。

名前の由来はヘブライ語の「」を意味するそうです。ただ次の項目で扱いますが語源は不明確です。

ミルトンが『失楽園』で登場されるモレクは名をモロク(和訳ではモーロックとされることがある)といい、「親たちの流した涙を全身に浴びた恐るべき王」と形容されています。またコラン・ド・プランシーは『地獄の辞典』でモレクを「涙の国の君主」と形容しています。

ヘブライ語で王を意味することから、王であるという解釈がされたのだと思います。ただミルトンの理解では有力な天使は「かつては天国において、それぞれの王座についていた権力者だった(27P)」とあるので、この王を意味しているのかもしれません。時系列的には異教の神として崇拝される前に、すでに王座につく天使だったということです。

語源についての論争

英語版のWIKIを読みましたが、語源に「王」という言葉が出てきません。さまざまな日本で出版される書籍に「モロクの語源が王」として扱われる根拠はフレッド・ゲディングズの『悪魔の辞典』の、「ヘブライ語のmolechは実際には『王』を意味する(409P)」という箇所から来ているのでしょうか。

英語版のWIKIには「 most scholars derive it from the root mlk “to rule” 」とあります。「ヘブライ語:מלך (mlk)」のmlkは「to rule」で、和訳すると支配することなのでしょうか。あるいは支配するもの、つまり王という意味につながったのでしょうか?

もともとヘブライ語(セム語派)で王を意味するmlkの正しい読み方はマリクであり、モロクはmlkの「偽悪語法的発音」という説があるようです。偽悪語法とは礼儀正しい言葉・表現の代わりに故意に不快な言葉・表現を使うことです。ベルゼバブも同じですよね。

Otto Eissfeldt (1935)という人がmlkという言葉はポエニ語で「scrifice(犠牲)」を意味するものからきているという説を挙げているようです。和訳に自信がないので詳細はWIKIをどうぞ。

Heath Dewrell (2017)という人はシリア語で「to promise(約束すること)」という意味にに結びつけたそうです。

W. von Sodenという人は「to offer, present(捧げること、贈ること)」という意味に結びつけたそうです。

Kerrという人は元々「present,gift」という意味が、後に「sacrifice」を意味するようになったと述べているそうです。

地位

失楽園におけるモレクの地位

「有象無象の輩がまだ遥かに離れて佇んでいるのをしりめに、位階に準じて順次ひとりずつ、淒涼たる岸辺に起立している彼のところに、誰が初めに、そして誰が最後に馳せ参じたかを語り給え。(・・・)それらのうち最初に来たのが、人身御供の血にまみれ、親たちの流した涙を全身に浴びた恐るべき王モーロックであった(『失楽園』28P)。」

このシーンは神によって地獄におとされたサタンのもとに、天使などの賛同者たちが馳せ参じるシーンです。「位階に準じて順次ひとりずつ」とあるので、最初にきたモーロックが一番でしょうか。

たしかにここで一番最初に馳せ参じているのはモーロックですが、その前にベルゼバブがサタンのそばにいます。また文中でもベルゼバブがサタンに次ぐ地位とあるので、モーロックが2位ということではないです。

ベルゼバブはサタンが落とされ、目を覚ましたときにはすぐ近くにいたそうです。

「ああ、あそこで狂奔する火焔の洪水と旋風に翻弄されているのは、自分と共に天井から堕ちてきた仲間の群れではないのか。彼がなおも見わたすと、なんとすぐ横に浮きつ沈みつ漂っている者が入る。これこそ力においても罪においても彼のつぎに位するもの、やがて後にパレスチナで名を馳せ、ベルゼバブと呼ばれたものであった(『失楽園』11P)。」

モーロックが2番ではないとしたら、3番なのか。「位階に準じて順次ひとりずつ」と前置きがあり、次に「まず主だった者としては」と続き、「それらのうち最初にきたのは」ときます。また最後に馳せ参じたのがベリアルです。

重だった者としてはから続く堕天使はモーロック、ケモシ、バアル、アシタロテ(アスタロト)、ダゴン、リンモン、オシリス、イシス、ホルス、ベリアルです。

さまざまな堕天使が紹介されたあと、「以上述べた天使たちは、位と力において最も主だった者たちであった。他の者は、さらに有名ではあるが、語ればあまりに長くなるだろう(35P)。」とあります。

モーロックも位と力が主だったものたちの中の一人で、かつ最初に馳せ参じているので位と力が高いのだと思います。力に関しては最も高いとも形容されています。ただベルゼバブに次ぐ位なのかどうかは私にはわかりません。「位階に準じて」とは来た順位に応じての意味でしょうか。

モーロックの地位や身分、等級が馳せ参じた者のなかで1位かどうかはやはりわかりません。「他の者は、さらに有名ではあるが、語ればあまりに長くなるだろう」とあるように解説を省かれた堕天使がいるかもしれないからです。たとえばアスモデウスなどの一般的に高位とされている悪魔も紹介されていません(作中には登場します)。

解説では「主だった者としては」の項目で「以下506行にいたるまで、作者はイスラエル人と関連の深い、したがってなんらかの形で聖書の中で言及されている異神について語っている(336P)」とあります。たしかに聖書本文で異神として紹介されていないアバドンやリヴァイアサン、サマエル、アザゼルなどは紹介されていません。ベリアルはルシファーの次に創造された悪魔と言われるくらい位の高そうな悪魔なんですけどね。

イスラエル以外の民族で信仰されていた神の中で地位の高いものを、ミルトンは順にまずはまとめたのではというのが私の解釈です。

外見や能力の特徴

外見

Moloch | William Blake

William Blake | A child being sacrificed to Moloch | John Milton’s “Hymn on the Morning of Christ’s Nativity”, 1815

『失楽園』ではミルトンが笏をった悪魔としてモロクをイメージしているので、ウィリアム・ブレイクもそれを踏襲して笏のようなものをもたせているのかもしれません。

MILTON: PARADISE LOST.
The fallen angel Moloch in John Milton’s Paradise Lost. Steel engraving, American, 1844出典

モロクは牛の顔をした醜い悪魔として描かれがちですが、ミルトンの解釈では立派な王であり元天使でした。そのイメージを踏襲した絵がおそらくウィリアム・ブレイクのものだと思います。

Personagem retirado do livro Dictionnaire Infernal escrito e ilustrado por Jacques Collin de Plancy em 1818.

一方で、悪魔のモレクとしてイメージする場合は顔が牛ですよね。コラン・ド・プランシーの挿絵が著名です。王冠をかぶらせるのは共通しているようですね。王としてのイメージが強いです。

他で有名なのはモレクの像、いわゆる溶鉱炉の絵です。これはモレクの像の項目で扱いますが、モレク自身のイメージと、像のイメージは分けて考えたほうがいいのかもしれません。

能力

これといった文献での言及はない。ただ『失楽園』では「天において戦った天使のうち最も強く、最も獰猛なもの(『失楽園』57P)」されている。

天使ガブリエルに負けてしまいましたが、天から堕とされた後の戦いだったので、もし天で本来の力を発揮していたらガブリエルより強かったかもしれません。サタンやベルゼバブ、モレクたちは天から神の雷によって落とされた後、炎などに焼かれていてダメージを負っていたのでそも加味したほうがいいのかもしれません。

ただモレクの像が溶鉱炉としてのイメージが強いことから、に関する技を連想させますね。

モレクの像について

モロク アタナシウス・キルヒャー の Oedipus aegyptiacus (1652)

これは一七世紀にアタナシウス・キルヒャーによってつくられた古代モロクの像の版画です。

炉は7つありますね。1番は人間の子供、2番は牡牛、3番は子牛、4番はキジバト、5番は牡羊、6番は牡山羊、7番は小麦粉が入れられるそうです。これらの情報はコラン・ド・プランシーによるラビ(ユダヤの律法学者)の伝承からきているそうです。

コラン・ド・プランシーはモロクを「涙の国の君主」と呼んだそうです。

ヨハン・ランド DieAltenJüdischenHeiligthümer 1711、1738

18世紀のイメージがこちらです。ヨハン・ランドというひとが描いたもののようです。

「モレクへの捧げもの」チャールズ・フォスター

19世紀のイメージがこちらです。チャールズ・フォスターという人が描いたもののようです。

こちらはラビの伝承のように、ラッパや太鼓などの音楽を鳴らして子供の泣き叫ぶ声などを打ち消しているようですね。まさに火の祭壇ですね。

「コラン・ド・プランシー」とは?意味と定義

・コラン・ド・プランシー:19世紀のフランスの文筆家。『地獄の辞典』などが有名。

・『地獄の辞典』は1826年にフランスの文筆家コラン・ド・プランシーによって描かれた悪魔などのエピソードを集めた辞書形式の書籍。M・L・ブルトンによる挿絵が有名。情報が多いが、中には誤りも多くあるらしい。

モレクの神殿やゲヘナ、トフェテについて

トフェテの項目で詳細を扱っていますのでここでは簡潔に説明します。

まずモレクの神殿はイスラエルのソロモン王によって建てられたものと、ベン・ヒノムの谷にある神殿の2つがあると思います。

『列王記』にはソロモンがエルサレムの東の山に高き所を築いたとあります。それに対してベン・ヒノムの谷にあるトフェテ、別名ゲヘナはエルサレムの南の谷にあります。このような理由から別物であると思います。

つぎにベン・ヒノムの谷は聖書の中で「殺戮の谷」とも呼ばれています。ベン・ヒノムの谷にはモレクへの生贄のための溶鉱炉のようなものがあり、おそらくそれがトフェテに当たるのだと思います。トフェテの語源は一説には英語で言うhearth,日本語で暖炉や囲炉裏を意味するアラム語の「taphyā」から来ているらしいです。

モロクのために生贄の子供をブロンズ像の空洞の腹の中で燃やしたと言われているので、まさにこのブロンズ像がトフェテなのかもしれません。

ヨシア王によってトフェテが破壊された後、生贄は捧げられなくなりましたが罪人の死体を焼いたり、ゴミを焼いたりしたそうです。まるで地獄のような状態だったそうです。

ベン・ヒノムの谷はヘブル語でゲー・ヒッノームであり、ギリシャ語でゲエンナという言葉が使われるようになり、日本語訳でゲヘナという言葉使われるようになったそうです。

ゲヘナ(Gehenna)という言葉はこのような敬意から「永遠の懲罰の場所」と解釈されるようになりました。ただフレッド・ゲディングズによれば「死後の懲罰の場所」という意味のほうが正しい解釈だそうです。

ベン・ヒノムの谷ではモレクだけではなく、バールへの生贄もされていたようです。東の山の神殿ではモアブ人の崇拝する神であるケモシュ(ケモシ)も崇拝されていました。

モロクは生贄をほんとうに要求していたのか?

ポエニ語に関する解釈

「A minority of scholars,[9] mainly scholars of Punic studies,[34] has argued that the ceremonies to Moloch are in fact a non-lethal dedication ceremony rather than a sacrifice. 」とWIKIにありました。

少数の学者(主にポエニ語に関する学者)がモロクへの儀式は生贄というよりも、非致死的な奉納(供物を捧げること)であったと述べているそうです。つまり王の第一子を銅の像の中に入れて燃やすといったことはなかったと主張しているそうです。

「Stavrakopoulou note that the Bible explicitly connects the ritual to Moloch at the tophet with the verbs indicating slaughter, killing in sacrifice, deities “eating” the children, and holocaust.[9]

Paolo Xella と Francesca Stavrakopoulouという学者はモロクの儀式は非致死的な奉納であったということに否定的だそうです。聖書にはモロクへのトフェトでの致死的な生贄と結びつくものがたくさんあるそうです。たしかにslaugtherは殺戮の谷と言われる所以ですよね。

この分野は正直よくわかりませんが、ポエニ語等の原典から英語にどう訳すかどういう点で議論が別れているということでしょうか。

カルタゴでの生贄について

カルタゴはフェニキア人による国家です。イスラエル人からすると敵国ですね。

フェニキア人といえば悪魔アスタロトの起原として知られる女神アスタルテを信仰していましたね。紀元前9世紀頃に建設された都市であり、だいぶ昔からあったようですね。つまりモロクがイスラエル人やアンモン人の間で信仰されていた時期と重なるということです。アスタルテだけではなくバアル崇拝もあったそうです。どちらもイスラエル人たちの間では異教の神であり、信仰することは禁じられるべきことでした。

プルタルコス(46-119年)というローマのギリシア人の著述家によれば、「フェニキア人が子供を犠牲にして捧げ物にしていた」らしいです。赤ん坊が死産した場合、最も若い子供が両親によって生贄に供されていたそうです。どういうことかよくわかりませんが、そうらしいです。赤ん坊が死産したら、すでに産まれていた別の子供が生贄になってしまうのでしょうか。

WIKIにはモロクと同様に、トフェトという言葉が出てきます。カルタゴではトフェト(トペテ)という言葉は、子供のための共同墓地で、紀元前400年から紀元前200年の間に建造されたといわれているそうです。墓地からは20000個の骨壷が出土し、黒焦げになった新生児の骨が入っていたそうです。火葬された子供の名前は刻まれてなかったそうです。

WIKIによれば「子供の犠牲の記録が発見されていないことから、子供を犠牲にして捧げ物にする風習がなかったことが明らかになった」とあります。しかし結論はまだ出ていないそうです。記録が見つかっていないだけであるかもしれないので、わからないということでしょうね。

A temple at Amman (1400–1250 BC) excavated and reported upon by J.B. Hennessy in 1966, shows the possibility of bestial and human sacrifice by fire. While evidence of child sacrifice in Canaan was the object of academic disagreement, with some scholars arguing that merely children’s cemeteries had been unearthed in Carthage, the mixture of children’s with animal bones as well as associated epigraphic evidence involving mention of mlk led some to believe that, at least in Carthage, child sacrifice was indeed common practice.[94] However, though the animals were surely sacrificed, this does not entirely indicate that the infants were, and in fact the bones indicate the opposite. Rather, the animal sacrifice was likely done to, in some way, honour the deceased.[95]

出典

経験則ですが、日本語版WIKIより英語版WIKIのほうが情報量が多いです。英語が並んでいるので敷居が高いのが問題ですが、概略をページごとグーグル翻訳してしまい、そこから重要な箇所を特定し、英文に戻して解釈していくほうが効率が良さそうです。

J.B. Hennessyという人が1966年に、Amman寺院で発掘されたものは、「possibility of bestial and human sacrifice by fire(火による獣と人間の犠牲の可能性)」を示しているということを発表したそうです。

学者の間では人間の生贄があったかどうかは議論が分かれているそうです。日本語版WIKIにあったとおり、生贄に否定的な学者の意見では「子どもの共同墓地があっただけ」というものがあります。

生贄に肯定的な学者の意見では「 the mixture of children’s with animal bones as well as associated epigraphic evidence involving mention of mlk led some to believe that, at least in Carthage, child sacrifice was indeed common practice」とあります。

難しい。「 epigraphic evidence 」は和訳すると碑文による証拠でしょうか。モロク関連でも出てきたmlkというワードです。王やら犠牲やら贈り物といった意味があるそうですが、それらの碑文と子供と動物の骨を結びつければ、カルタゴで生贄の慣習があったと考えられるというわけですね。ちなみにカルタゴではポエニ語なんですね。

ルネ・デュソーという人はカルタゴで子供の生贄が紀元前4世紀頃にあったと述べているそうです。

カルタゴのWIKI

マリクとモロクの関連

Moloch has been traditionally interpreted the epithet of a god, known as “the king” like Baal was an epithet “the master” and Adon an epithet “the lord”, but in the case of Moloch purposely mispronounced as Molek instead of Melek using the vowels of Hebrew bosheth “shame”.[3]

マリクのWIKI(英語版)

英語は疲れますね。molochは伝統的に王の通り名として解釈されてきたそうです。バアルと同様にです。たしかに語源が王であるとどちらも説明されることが多いです。

しかし意図的に間違えてMelekではなくmolekと発音したそうです。侮蔑的な意味を込めて異なった発音をする、いわゆる偽悪語的発音とでもいうのでしょうか。メレクではなくモレクと発音しているということですね。

メレクは「using the vowels of Hebrew bosheth “shame”」とあります。bosheth はヘブライ語で「恥」を意味する言葉で、melekも同様の意味をもっているんですね。

イシュ・ボシェテという第二代イスラエル王国国王の名前はヘブライ語で「恥の人」を意味するそうです(誇り、強さという説もあります。)。元の名前はエシュバアルといい、バアルの人であったらしいです。

ソロモンが三代目、ダビデがその前なので二代目、初代がサウルという理解だったのですが、イシュ・ボシェテという人の名前は初めて知りました。

どうやらイシュ・ボシェテとダビデは争い合っていたそうです。つまり形式的には同時期に王が2人いたということでしょうか。結果的にイシュ・ボシェテ側は負けてしまいます。

英語版WIKIによれば以下のように名前に関する説明があります。

The names Ish-bosheth and Eshbaal have ambiguous meanings in the original Hebrew. In Hebrew, Ish-bosheth means “Man of shame”.[2] He is also called Eshbaal, in Hebrew meaning “Baal exists”,[2] or “fire of Baal”.

Critical scholarship suggests that Bosheth was a substitute for Baʿal, beginning when Baʿal became an unspeakable word;[3] as (in the opposite direction) Adonai became substituted for the ineffable Tetragrammaton (see taboo deformation).

WIKIによればイシュ・ボシュテの意味は曖昧な意味をもっているそうです。「Man of shame」とあるように、恥の人という意味が一般的な解釈なんですね。エシュバアルの意味は「Baal exists」バアルは存在する、「fire of Baal」バアルの火とかの意味らしいです。バアルは異教の神なので、不経験的な名前に見えますがどうなんでしょうね。

unspeakable wordとあるように、バアルという単語は言葉にしてはいけなかったみたいですね。その代わりにBoshethという言葉が当てられたということでしょうか。これは推測らしいですが。

話は戻りますが、「but in the case of Moloch purposely mispronounced as Molek instead of Melek using the vowels of Hebrew bosheth “shame”.」とあるように、恥を意味するboshethの母音を使ったMelekの代わりにMolekと誤って発音したという理解でいいのでしょうか。

本来なら王を意味するMelekを使うのに、boshethの母音であるoを組み合わせ、Molekにしたという説ですね。元々王を意味するマリクと呼ぶべきところを、恥という侮蔑的な意味を込めてMolekと呼んだといったところでしょうか。MLKが重要であり、その母音は何でも良かったのかもしれません。MLKは支配という意味であり、そこからMelek,Molek,Milkomと様々に派生していったのでしょう。

最古の形であるMalokaは王子を意味する言葉としてアッカド語やアッシリアで使われていたそうです。おそらくここから派生してカナンでも北西セム語系でMLKとして使われ、最終的にヘブライ語ではMelekに、アラビアでは Malikになったということでしょうね。いずれも基本的には王に関する言葉なんですね。

The earliest form of the name Maloka was used to denote a prince or chieftain in the East Semitic Akkadian language of the Mesopotamian states of Akkad, Assyria, Babylonia and Chaldea.[2] The Northwest Semitic mlk was the title of the rulers of the primarily Amorite, Sutean, Canaanite, Phoenician and Aramean city-states of the Levant and Canaan from the Late Bronze Age. Eventual derivatives include the Aramaic, Neo-Assyrian, Mandic and Arabic forms: Malik, Malek, Mallick, Malkha, Malka, Malkai and the Hebrew form Melek.

出典

一般的なマリクの意味は支配者という意味で、中等における君主号のひとつだそうです。11世紀以降のセルジューク朝ではスルターンとともにマリクという称号も併称されたそうです。女性形だとマリカだそうです。

そういえば遊戯王でマリクというキャラクターがいましたが、墓守の長的な立ち位置でしたね。

イシュ・ボシェテのWIKI

ミルコムとモロクの関係

ミルコムまたは神聖なアンモナイトの支配者を紀元前8世紀のミルコムとして描いている可能性のある像。 [1]

ミルコム(Milcom/Milkom/Mīlkōm)は国の神(いわゆる守護神)的なものです。アンモン人の間でモロクと同様に信仰されていた神です。

聖書にも出てきますが、いずれもイスラエル人からすると異教の神として出てきます。

それは彼がわたしを捨てて、シドンびとの女神アシタロテと、モアブの神ケモシと、アンモンの人々の神ミルコムを拝み、父ダビデのように、わたしの道に歩んで、わたしの目にかなう事を行い、わたしの定めと、おきてを守ることをしなかったからである。(『列王記』第十一章第三十三節)」

たとえば『列王記』には「アンモンの人々の神ミルコム」という名前で出てきます。アシタロテは後にアスタロトという名前の悪魔として有名になる原型の女神です。ケモシも失楽園では「モアブ人らが恐れた邪神ケモシ」として紹介される悪魔の原型の神です。いずれもイスラエル王国からしたら敵国であった人々が信仰していた神です。

Outside the bible, the name Milcom is attested in archaeology, such as on several Ammonite seals, where he is often connected with bull imagery.[9] These seals indicate that Milcom was seen as benevolent, exalted, strong, and has associations with the stars.[10]

ミルコムに関するWIKI(英語)

聖書以外では、考古学の分野で何度か名前が出てくるようです。「Ammonite seals」の訳がよくわかりませんが、アンモナイトの化石に関係するものなのでしょうか。そこでは牛のイメージ(bull imagery)との関連があるようです。またミルコムは博愛、高貴、強さ、そして星と関連付けられているそうです。

牛のイメージと聞けば、まさにモロクですよね。モロクとミルコムが同じ神ではないかと主張する人がいるのも納得できます。同じアンモン人の間で信仰される神であることも近似性が見受けられます。

おっと化石のアンモナイトと思っていましたが、Ammonite はアンモン人のという意味ですかね。「Ammonite is the extinct Canaanite language of the Ammonite people mentioned in the Bible」とあります。綴りが同じなのでややこしいですね。英語版WIKIだとアンモナイトはAmmonoidea(学名)です。

語源はアンモン人に関するものだと思っていましたが、どうやらギリシアの羊角神アンモ-ン(Ammon)から、岩石・鉱物を意味する-iteを添えて18世紀後半に動物学者のジャン・ギヨール・ブリュギエールという人が造語を作ったそうです。

カナン人の神のなかでEL(エール)という神がいるのですが、その神のほうがミルコムより多く、アンモン人の碑文では登場しているそうです。そのことから、ミルコムは神ではないと主張する人もいます(Walter Aufrech)。あるいはエールの通り名としてミルコムが使われていたという解釈もあるそうです。

ミルコムもモロクと同じように、支配という意味のmlkを語源にしているそうです。

Gods with similar names are also attested. A god called mlkm is mentioned on a list of gods from Ugarit, one called Malkum is also attested on tablets from Drehem, and a god called Malik is attested from Nineveh, as well as theophoric names in the Mari tablets and Ebla tablets.[4] The name is also similar to the potential god Moloch found in the Bible, and Moloch is once called the God of the Ammonites in the Masoretic text (1 Kings 11:6-7). The relations between these deities is uncertain; the description of Moloch as a god of the Ammonites may be a scribal error.[18][4] As further evidence against identifying Milcom with Moloch, E. Puech notes that both are portrayed as having separate places of worship in Jerusalem in the Bible.[6]

出典

この辺がモロクとミルコムとの関連性に言及している箇所です。

mlkという語源に由来する神(あるいは別のもの)はたくさんいるそうです。たとえばmlkmがウガリットで、Malkumがドレヘム文書で、Malikがメソポタミアで出てきます。

当然モロクも名前が似ていますよね。しかしWIKIには「The relations between these deities is uncertain」とあります。つまりMLKという言葉に由来する神々の間の関係は不明確ということです。ミルコムとモロクが同一人物かどうかも不明確ということになりますよね。

また「the description of Moloch as a god of the Ammonites may be a scribal error」とありますが、モロクをアンモン人の神とするのは聖書の間違った写本だという人もいるそうです。モロクが神かどうかはモロクのWIKIでも論争担っていましたねたしかに。

「As further evidence against identifying Milcom with Moloch」とあるように、モロクとミルコムは別の神と考えたほうがいいのかもしれません。

モラクス及びミノタウロスとの関連

モラクスやミノタウルスはモレクと関連する悪魔として扱われることがあります。ただ同一の悪魔だという説は見当たりませんでした。牛の頭をもった人間のような格好をしているという点で共通しています。

モラクスに関する基礎知識
予備知識
「モラクス」とは?意味と定義

・モラクス(Morax):ソロモンの霊72人の1人。マラクスともいう。牡牛(おうし)の頭をもつ人間の姿で魔術師の前にあらわれる。30軍団の長。天文学、教養学、薬草と宝石の効能を教え、よき使い魔を与えてくれる。

・位は侯爵または長官とされている。

・モラクスが登場するのは『悪魔の偽王国』(1577,Psedomonarchia Deamonum)であり、著者はヨハン・ヴァイやー。類似している『ゴエティア』にも登場する。

・英語版WIKIにはモラクスの名前の語源はラテン語のmoraxからきており、意味は遅らせること(delay)や止める(stop)ことです。

・Morax以外の綴はForaii、Marax、Fraraxです。

関連する悪魔
モロク

モロクの牛の像のイメージから関連付けられることがある。ミノタウロスも同様です。

参考文献

・「悪魔の辞典」,フレッド・ゲディングズ著,大滝啓裕訳,(青土社)

モラクスのWIKI

ミノタウルスの関する基礎知識
予備知識悪魔
「ミノタウロス」とは?意味と定義

・ミノタウロス(minotaur):ギリシア神話に登場する半牛半人の生物。クレタ島のミーノース王の妻であるパーシパエーの子供。ミーノータウロスともいわれる。

ミノタウルスの起原

クレタ島で行われた祭りに起源を求める説があるらしい。牛の仮面を被った祭司が舞い踊り、何頭もの牛が辺り一帯を駆け巡るというもの。牛たちの上を少年少女が飛び越えたらしい。また古代のクレタ島では実際に人間と牛が交わる儀式があったという。

ギリシア人の著述家であるプルタルコスはミーノースの子ミノタウルスを怪物ではなく将軍の一人だという解釈をしている。

ミノタウルスが生まれた経緯と、その生涯

・ギリシア神話ではミーノース王はゼウスとエウローペの間に生まれた子。ゼウスはギリシア神話における主神であり、神々の王であり、兄にハーデースとポセイドンがいる。

ミーノース王はクレタ島統治を巡って兄弟で争いが起きたとき、神が支持していることの証として神であるポセイドンに美しい白い雄牛を送ってほしいと祈る(やがて返すことを約束している)。しかしミーノース王は別の雄牛を生贄に捧げ約束を破り、ポセイドンを怒らせる。

約束の反故が原因でポセイドンは白い雄牛(クレータの雄牛)を凶暴にさせる。さらにミーノース王の妻であるパーシパエーをクレータの雄牛に恋を芽生えさせるように呪いをかける。

パーシパエーは工匠であるダイダロスに相談し、内部が空洞になった牝牛の空洞を造ってもらい、その中に入ってクレータの雄牛と交わう。その結果、牛頭の子であるミノタウロスが生まれる。

ミーノース王は奇怪な子であるミノタウロスを隠すために、ダイダロスに迷宮ラビュリントスを建設させ、ミノタウロスを隠す。

ミノタウロスも凶暴になり、またアテナイからミノタウロスの食料として9年毎に7人の少女、7人の少年を送らせる。その三度目の生贄として自ら志願したアテナイの英雄テセウスがラビュリントスに入り、ミノタウロスを倒した。その後迷宮から出ることに成功したのは、「アリアドネの糸」というミーノース王の娘アリアドネからもらった糸玉のおかげである。糸をたどることで入り口に戻ることができた。

クレータの雄牛はヘラクレスに捕らえられている。

悪魔としてのミノタウルス

古典時代ではミノタウルスは悪魔とみなされていなかったが、ダンテが『神曲』(1307年)でとりあげたことで、後に悪魔としてよく扱われるようになったらしい。地獄篇で暴力圏の倒錯した食欲の象徴として看守の一人にされた。

ギュスターヴ・ドレによるミーノース王。『失楽園』

ミノタウルスの父親であるミーノース王も同じく、地獄篇で弟ラダマンテュス、アイアコスと共に冥界の審判者として描かれている。

※倒錯(とうさく):さかさになること。また、さかさにすること。特に、本能や感情などが、本来のものと正反対の形をとって現れること。

関連する悪魔
モレク

モレクも同じく半牛半人の形で描かれることがあるので類似している。またポセイドンのために牛を生贄を捧げるという点も、モレクのために人間を生贄に捧げることが類似している。

参考文献

ミノタウルスのWIKI

ミーノース王のWIKI

・「悪魔の辞典」,フレッド・ゲディングズ著,大滝啓裕訳,(青土社)

時系列整理(表)

文献年代内容
旧約聖書『レビ記』(推定)紀元前16-13世紀贖罪のための雄山羊として出てくる。イスラエル人の罪を背負い、荒野に放たれる
旧約聖書『イザヤ書』(推定)紀元前783年-紀元前687年 預言者イザヤが活躍した時期第5十七章第九節「9あなたは、におい油を携えてモレクに行き、多くのかおり物をささげた。またあなたの使者を遠くにつかわし、陰府の深い所にまでつかわした。 」
旧約聖書『列王記』(推定)紀元前7世紀末から紀元前6世紀半第十一章第七節 アンモン人が崇拝する異教の神として出てくる ソロモンが崇拝
旧約聖書『エレミヤ書』(推定)紀元前7世紀末から紀元前6世紀半三二章第三十五節 またベンヒンノムの谷にバアルの高き所を築いて、むすこ娘をモレクにささげた。わたしは彼らにこのようなことを命じたことはなく、また彼らがこの憎むべきことを行って、ユダに罪を犯させようとは考えもしなかった。
『キリストの降誕の朝に』1629年
『失楽園』1667年
『地獄の辞典』1818年

関連文献整理

『レビ記』

・「あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。 」

(『レビ記』第十八章第二十一節)

・「1 主はまたモーセに言われた、

2 「イスラエルの人々に言いなさい、『イスラエルの人々のうち、またイスラエルのうちに寄留する他国人のうち、だれでもその子供をモレクにささげる者は、必ず殺されなければならない。すなわち、国の民は彼を石で撃たなければならない。

3 わたしは顔をその人に向け、彼を民のうちから断つであろう。彼がその子供をモレクにささげてわたしの聖所を汚し、またわたしの聖なる名を汚したからである。

4 その人が子供をモレクにささげるとき、国の民がもしことさらに、この事に目をおおい、これを殺さないならば、

5 わたし自身、顔をその人とその家族とに向け、彼および彼に見ならってモレクを慕い、これと姦淫する者を、すべて民のうちから断つであろう。」

(『レビ記』第一九章第一から第五節)

『イザヤ書』

「 あなたは、におい油を携えてモレクに行き、多くのかおり物をささげた。またあなたの使者を遠くにつかわし、陰府の深い所にまでつかわした。」

(『イザヤ書』五十七章第九節)

「焼き場はすでに設けられた。しかも王のために深く広く備えられ、火と多くのたきぎが積まれてある。主の息はこれを硫黄の流れのように燃やす。」

(『イザヤ書』三十章第三十三節)

『列王記』

・「そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた(『列王記上』第十一章第七節)」

・「 But he walked in the way of the kings of Israel, yea, and made his son to pass through the fire, according to the abominations of the heathen, whom the LORD cast out from before the children of Israel.」

(『列王記下』第十六章第三節)

・「And he made his son to pass through the fire, and practised soothsaying, and used enchantments, and appointed them that divined by a ghost or a familiar spirit: he wrought much evil in the sight of the LORD, to provoke Him.」

(『列王記下』第二十一章第三-六節)

・「And he defiled Topheth, which is in the valley of the son of Hinnom, that no man might make his son or his daughter to pass through the fire to Molech. 」

(『列王記下』第二十三章第十節)

『エレミヤ書』

・「またベンヒンノムの谷にバアルの高き所を築いて、むすこ娘をモレクにささげた。わたしは彼らにこのようなことを命じたことはなく、また彼らがこの憎むべきことを行って、ユダに罪を犯させようとは考えもしなかった。 」

(『エレミヤ書』第三十二章第三十五節)

モレクに関するエピソード

旧約聖書『レビ記』:異教の神としてのモレク

レビ記に登場するモレク:生贄を要求する異教の神

あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。」と『レビ記』の18章2節にあります。

どういった理由でアンモン人や、それに影響を受けたユダヤ人はモレクに生贄を捧げてきたのでしょうか。

モレク(molech)はもともとヘブライ語で「王」を意味します。この時代の王は普通の人々にはない能力を備えている必要があったそうです。そのひとつのかたちとして、太陽神であるモレクを通して豊作や長寿を叶えてもらうというものがあったということです。

もちろん何の見返りもなしにモレクが願いを叶えてくれるわけではありません。モレクは見返りとして「王権を継ぐものの初子の生命」を生贄として要求したそうです。

ソロモンが建てたモロクの神殿について

7 そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。

(『列王記』11章七節)

モレクの生贄のための神殿は、古代イスラエル王国第三代ソロモン王が建てたそうです。モレクを信仰していたアンモン人は二代古代イスラエル国王ダビデの時代に征服され、イスラエル王国の属国となっています。つまりアンモン人がユダヤ人(イスラエル人)として吸収された後、ソロモン王が影響を受けていたということになります。

『列王記』ではソロモンが異教の神を信じることに対して神が怒っていますね。「 このようにソロモンの心が転じて、イスラエルの神、主を離れたため、主は彼を怒られた。『列王記』11章第九節」とあります。ただ怒るだけではなく、ソロモンの子孫の時代に国を引き裂くとも神は言っています。父親であるダビデ王の功績のおかげで、1つの部族を子孫に与えるとも神は言っています。おそらく一つの部族というのがユダ族だと思います。

古代イスラエル王国は北と南にまさに分裂することになります。分裂する前はソロモンの子供であるレハブアムが第四代イスラエル王国の王でした。ソロモンの重税・重労働の政策を受け継ぎ、また軽減の要請を聞き入れなかったため、北と南に分裂したのです。

ソロモンの子孫であり子供であるレハブアムが南の国の王となりました。南に分かれた国をユダ王国と呼びます。北に分かれた国を北イスラエル王国と呼び、初代国王はヤロブアムです。ユダ王国はユダ族とベニヤミン族から構成され、北イスラエル王国はそれ以外の十部族から構成されています。イスラエル十二支族はヤコブの12の子孫であり、そこからイスラエル人は派生しているんですね。

それは彼がわたしを捨てて、シドンびとの女神アシタロテと、モアブの神ケモシと、アンモンの人々の神ミルコムを拝み、父ダビデのように、わたしの道に歩んで、わたしの目にかなう事を行い、わたしの定めと、おきてを守ることをしなかったからである。(『列王記』第十一章第三十三節)」

このシーンは北イスラエル王国の初代国王となるヤロブアムが神に十部族を与えられるシーンです。すなわち、北イスラエル王国として独立する根拠はソロモンの不敬虔な態度にあると示しているシーンです。

トフェテとは

10 それから王は、だれも二度と、自分の息子や娘をモレクのいけにえとしてささげることがないように、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテの祭壇を取り壊しました。

(『列王記下』第二十三章第十節)

ここでトフェテ(tophet)という言葉が出てきます。トフェテの祭壇を取り壊した王はユダ王国第16代国王であるヨシア王です。

There is no consensus on the etymology of tophet, a word which only occurs eight times in the Masoretic text.[1] The word may be derived from the Aramaic word taphyā meaning “hearth”, “fireplace”, or “roaster”

King, Philip J. (1993). Jeremiah: An Archaeological Companion. Westminster John Knox Press. p. 136. ISBN 978-0-664-22443-1.

tophetの語源はあまりよくわかっていないようです。英語版WIKIによると囲炉裏や暖炉(hearth)という意味であるアラム語の「taphyā」に由来しているかもしれないという指摘があります。

31 またベンヒンノムの谷にあるトペテの高き所を築いて、むすこ娘を火に焼いた。わたしはそれを命じたことはなく、またそのようなことを考えたこともなかった。

32 主は言われる、それゆえに見よ、その所をトペテ、またはベンヒンノムの谷と呼ばないで、ほふりの谷と呼ぶ日が来る。それはほかに場所がないので、トペテに葬るからである。

33 この民の死体は空の鳥と地の獣の食物となり、これを追い払う者もない。

34 そのときわたしはユダの町々とエルサレムのちまたに、喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声を絶やす。この地は荒れ果てるからである

31 And they have built the high places of Topheth, which is in the valley of the son of Hinnom, to burn their sons and their daughters in the fire; which I commanded not, neither came it into My mind.

32 Therefore, behold, the days come, saith the LORD, that it shall no more be called Topheth, nor the valley of the son of Hinnom, but the valley of slaughter; for they shall bury in Topheth, for lack of room.

33 And the carcasses of this people shall be food for the fowls of the heaven, and for the beasts of the earth; and none shall frighten them away.

34 Then will I cause to cease from the cities of Judah, and from the streets of Jerusalem, the voice of mirth and the voice of gladness, the voice of the bridegroom and the voice of the bride; for the land shall be desolate.

『エレミヤ書』第七章第三十一節~三十四節

『エレミヤ書』でもトフェトの言葉が出てきます。tophetではなくtophethとなっていますね。

預言者エレミヤが作者であり、エレミヤの時代のユダ王国の王はトフェテを破壊したヨシヤ王です。エレミヤは異教の神を信仰したことで「北からの災い」が怒ることを予言しました。

災いとはバビロン捕囚のことです。ヨシヤ王はメギドの戦いでエジプトに殺され、ヨシア王の子ヨアハズが即位しましたが、エジプトの王ネコ2世によってヨアハズの兄弟であるエホヤキムに王を変更させられました。エジプトは新バビロニア王国にカルケミシュの戦いで撃破され、ユダ王国は新バビロニア王国の属国となります。エホヤキム王は新バビロニア王国に対抗しようとしましたが殺され、その子であるエホヤキン(ヨシヤの孫)も第一次バビロン捕囚で連行されてしまいます。

こうした文脈で考えてみると、「主は言われる、それゆえに見よ、その所をトペテ、またはベンヒンノムの谷と呼ばないで、ほふりの谷と呼ぶ日が来る」というのは災いのひとつかもしれませんね。「ほふりの谷(the valley of slaughter)」はよく「殺戮(さつりく)の谷」と呼ばれています。slaughterは虐殺という意味もあります。

文脈的にいえば、儀式としてつかわれなくなり、また死体を置いたり焼いたりする場所がないという意味の「それはほかに場所がないので、トペテに葬るからである」ということでしょうかね。トペテ=殺戮の谷=ベン・ヒノムの谷でいいのだと思います。

2 アハズは、先祖ダビデのようには、主の前に正しくありませんでした。 3 それどころか、彼はイスラエルの歴代の王のように偶像礼拝を行い、イスラエルの民がこの地に入った時に主が滅ぼされた国々の異教の風習にならい、焼き尽くすいけにえとしてわが子を神々にささげることまでしました。 4 このほかにも、高台の礼拝所や繁った木の下の祭壇でいけにえをささげたり、香をたいたりしました。

(『列王記下』16章一-四節)

ヨシア王の父親であるアモン王(15代国王)や、そのまた親であるマナセ王(14代国王)、ひとつとばしてマナセ王の祖父であるアハズ王(12代国王)は神に背いた不敬虔な王でした。特にアハズ王とマナセ王は自分の子供をモロクに生贄に捧げたとまでいわれています。

ソロモンが建てたモレクの神殿はエルサレムのにあったそうです。エルサレムはイスラエル王国の都であり、第二代ダビデ王によって定められた都です。上の『列王記下』16章四節の「高台の礼拝所」というのがソロモン王の建てた「エルサレムの東の山に高き所を築いた(『列王記上』第十一章第七節)」なのかもしれません。

ベン・ヒノムの谷にあるゲヘナはエルサレムのの谷にあります。ソロモンはエルサレムのの山に神殿を築きました。アハズ王やマナセ王が自分の子供を生贄に捧げたのはエルサレムの南の谷にあるトフェテです。アハズ王が壊したのも、このトフェテです。したがって、ソロモン王の建てたモロクの神殿とトフェテは別のものなのかもしれませんね。

ベン・ヒノムの谷は「殺戮の谷」とも呼ばれ、後に地獄という意味で「ゲヘナ」と呼ばれることになります。

モロクの祭壇の場所があるトフェテはヨシア王の時代に破壊されました。そしてユダヤ人が生贄を捧げる習慣をやめると、次第にトフェテは荒廃していきます。罪人や浮浪者の死体がゴミとともに燃やされるようになり、悪臭や煙がたちこめる場所になっていくのです。まるで地獄のようだと当時の人々は考え、ギリシャ語で地獄を意味する「ゲヘナ」になったのでしょうね。

ラビの伝承によるモレクの儀式

モレクの神殿で行われる儀式では、シンバルやトランペット、太鼓が鳴らされ、親たちが生贄となる自分の子供を猛火の中に投げ込んだそうです。

モレクのための生贄は奴隷ではだめで、王族の第一子が必要になります。ソロモン王の時代に古代イスラエル王国は北と南に分かれますが、そのうちのユダ王国(南王国)の王であるアハズ王(?-紀元前715年)は自分の子供を生贄にしたそうです。

『列王記』16章13-14節では「 彼は全焼のいけにえ と穀物のささげ物をささげ、飲み物のささげ物を注ぎ 交わりのささげ物 血をまき散らした 、祭壇に 。 彼は、 にある青銅の祭壇 前 を 持っ 主の 、彼の祭壇と との間の神殿の前にの神殿て行き、彼の祭壇の北側に置いた。」とあります。

また同17節「それから、アハズ王は水車の枠を切り落とし 、それぞれから青銅製の洗面器を取り除いた。 彼はその 貯水池 下にあった青銅の牛から を取り出し、石畳の上に置きました」とあります。

文脈的にはアッシリアの属国であるダマスコ(シリア)にいたアッシリア王ティグラト・ピレサーに会いに行った時、ユダ王国からすると異教の神殿を見たそうです。その祭壇の寸法などを書き留めて祭司ウリヤに送り、同じものを作らせたそうです。

この作られたものが何なのかよくわかりませんが、全焼の生贄青銅の牛などというワードからモロクを連想しますよね。

モロクの像のイメージについて

モロクの像のイメージは聖書に文献があまりありません。「悪魔の辞典」,フレッド・ゲディングズ著,大滝啓裕訳,(青土社)では409Pに「古代の伝承によれば、モレクは牡牛の頭をもつ人間のブロンズ像のなかにあらわれる神であった(デーモンのモラクスの霊である)。なかが空洞になったこの像は熱せられ、子どもたちが生贄として投げ込まれ、太鼓やシンバルが打ち鳴らされて犠牲者の絶叫をかき消した。子どもたちの生贄を要求するデーモン神モレクは、デーモン学文献に熱烈に受け入れられ、恐るべきオーヴンとしてのモレクのイメージがさまざまに生み出される一方、テュニス(古代カルタゴ)近くの美しいトペテがモレクに結び付けられ、デーモン学を好む旅行者のメッカとなっている。」とあります。

出典が「古代の伝承」とあり、おそらく聖書ではないのだと思います。ラビの伝承でしょうか。ブロンズは日本語でいうと銅なので、青銅の牛との近似性があります。

モロク アタナシウス・キルヒャー の Oedipus aegyptiacus (1652)

一方で17世紀に中世の人々によって想像されたモロクの像は真鍮の像だそうです。真鍮は銅と亜鉛の合金なので、実質的には銅かもしれませんね。

イスラエルに関する基礎知識
予備知識
「イスラエル王国」とは?意味と定義

・イスラエル王国:紀元前11世紀から紀元前8世紀まで古代イスラエルに存在したユダヤ人の国家。

・「イスラエル」という国名はイスラエル12支族の祖であるヤコブが神に与えられた名前にちなんでいる。ヤコブはヤボク川の渡し(ペヌエル)で神と格闘し、勝利してイスラエルという名が与えられた。イシャラーが「勝つ者」という意味で、エルは「神」という意味である。

・初代国王はサウル。二代目国王はダビデ。三代目国王はソロモン。それ以降は南北に分裂し、北イスラエル王国は19代まで続く。

・イスラエル王国はカナンの地、いわゆる「約束の地」の上に建っている国である。第二代国王ダビデの時代に、「エルサレム」が都として定められ、エルサレム宮殿が建設された。

・「約束の地」はイスラエルの民がカナンの地に住んでいた人々を制圧して手に入れた地であり、神に与えられることを約束された地であった。

「あなたは、
あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、
わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、
あなたを祝福し、
あなたの名を大いなるものとしよう。
あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
地上の全ての民族は、あなたによって祝福される。

 旧約聖書『創世記』12:1-3、日本聖書刊行会の新改訳聖書より

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。

『創世記』12:7、日本聖書刊行会の新改訳聖書より

・旧約聖書『創世記』ではアブラハムが神からの啓示を受けてカナンへ旅立ったとある。アブラハムの子孫には、アブラハムの孫にあたるヤコブがいる。ヤコブはイスラエル12支族の祖であり、イスラエルという名が神から与えられた人物である。

・古代イスラエル王国初代国王サウルは、イスラエル十二支族のうちのひとつ、ベニヤミン支族出身である。「約束の地」を子孫に与えると神から啓示を受けたアブラハムの子孫であもる。

・「約束の地」にもともと住んでいたカナン人を制圧するのには時間がかかり、イスラエルの地がもっとも広がったのは第二代国王ダビデの時代だったという。

・第三代の王ソロモンの時代に古代イスラエル王国は南北に分かれ、南はユダ王国(南王国)、北は北イスラエル王国(北王国)になる。

・紀元前722年にアッシリアの進行を受け、253年にわたって存続した北イスラエル王国は滅亡した(『列王記下』)。

参考文献

イスラエル王国のWIKI

約束の地のWIKI

レビ記に関する予備知識
予備知識
「レビ記」とは?意味と定義

『レビ記』(英:Leviticus):旧約聖書の一書。伝統的に三番目に置かれてきたらしい。つくられたのが三番目という意味だろうか。モーセ五書のうちの一書。内容は律法の種々の規則が大部分を閉めている。

・モーセ五書はトーラーと呼ばれ、旧約聖書の最初の5つの書。『創世記(原題:初めに)』、『出エジプト記(原題:名)』、『レビ記(原題:神は呼ばれた)』、『民数記(原題:荒れ野に)』、『申命記(原題:言葉)』の順につくられた。モーセ五書はモーセが作者とされるが、諸説ある。

・モーセが作者であるとすれば年代は紀元前16世紀または紀元前13世紀ごろ(モーセが活躍した時期)。

・ユダヤ教では『レビ記』の内容を神がシナイ山でモーセに語ったことであるとみなされているらしい。

関連する悪魔
アザゼル

第十六章にアザゼルが登場する。

7 アロンはまた二頭のやぎを取り、それを会見の幕屋の入口で主の前に立たせ、

8 その二頭のやぎのために、くじを引かなければならない。すなわち一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。

10 しかし、アザゼルのためのくじに当ったやぎは、主の前に生かしておき、これをもって、あがないをなし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。

11 すなわち、アロンは自分のための罪祭の雄牛をささげて、自分と自分の家族のために、あがないをしなければならない。彼は自分のための罪祭の雄牛をほふり、

12 主の前の祭壇から炭火を満たした香炉と、細かくひいた香ばしい薫香を両手いっぱい取って、これを垂幕の内に携え入り、

13 主の前で薫香をその火にくべ、薫香の雲に、あかしの箱の上なる贖罪所をおおわせなければならない。こうして、彼は死を免れるであろう。

(『レビ記』)

・アロン(アアロン、ハールーン)はモーセの兄で、モーセとともにヘブライ人のエジプト脱出を指導した人物です。姉にミリアムという人物がいます。イスラエルの祭祀の祖ともいわれています。モーセの器官を心配した民のために、金の子牛を民に作らせ、神とモーセを怒らせた人物であもります。メリバの泉で神を怒らせてしまったので、結局約束の土地に入ることは許されず、ホル山の上で生涯を終えたそうです。

レビ記に登場する「アザゼル」について

イスラエルでは「例祭」があるそうです。例祭(れいさい)とは毎年決まった月日に行われる祭りを意味します。

イスラエルには「7つの例祭」があり、そのひとつが「贖罪の日」であり、ヘブル語で「ヨム・キプール」というらしいです。祝日などのように祝うものではなく、苦しみを体験して身を戒める(いましめる)日だそうです。断食や性行為、お風呂や贅沢品を避けるなど5つの項目があるとか。

アザゼルが登場する『レビ記』16章はこの「贖罪の日」に関するものです。例祭のきまりごとについて述べているものですね。たとえば許可のないものが聖所にはいってはいけないといった決まりです。聖所には贖罪の日にしか入ってはいけないというきまりがあります。きまりを破ったモーセの兄であるアロンの子供2人はこの聖所に勝手に入り、過った行為をしたために神のさばきの火によって焼き尽くされて死んだそうです。

このエピソードは祭祀は神の栄光を現すことが務めであり、自分の栄光を求めるべきではないという教訓のようなものらしいですね。自分の栄光を求めるために勝手に聖所に入り、火を捧げたアロンの子供を罰したということでしょうか。

アザゼルはこの聖所に入るためのきまりごとのひとつとして登場します。具体的にいうと生贄(いけにえ)のための雄山羊(おすやぎ)のうちの一頭です。

どうやら贖罪の日には大司祭(アロン)は罪のための生贄として雄山羊2頭と全焼の生贄として雄羊1頭をイスラエル人の会衆から出させて、自分自身も若い牡牛を自分の罪のための生贄として差し出す必要があるようです。

その中の雄山羊2頭を主の前に立たせて、くじびきを行い、くじが当たったほうの雄山羊はいきたまま立たせて贖い(あながい)のためにアザゼルとして荒野に放つそうです。

「 しかし、アザゼルのためのくじに当ったやぎは、主の前に生かしておき、これをもって、あがないをなし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。 」と10節にありますが、この山羊はアザゼルのために生贄にされ、アロンがイスラエルの罪をくじに当たった山羊に告白し転嫁させ、アザゼルとして荒野に送り出されるということです。

これをどう解釈するのかが問題になりますよね。文脈的にいえばアザゼルは神のための生贄ではないので、良いものではなさそうです。

キリスト教では山羊を「スケープゴート」として表現することがあります。山羊は英語でgoatです。逃れることを英語でescapeというので、その組わせてscapegoatというのでしょうね。スケープゴートの意味は「身代わり」や「生贄」だそうです。このスケープゴートはもともとこのレビ記に由来するものです。

現在では宗教的な意味合いから転じて、「不満や憎悪、責任を、直接的原因となるもの及び人に向けるのではなく、他の対象に転嫁することで、それらの解消や収拾を図るといった場合のその不満、憎悪、責任を転嫁された対象」を指すそうです。

たとえば学校のいじめの構造も、このようなスケープゴート的なものの場合があります。ホロコーストなどもその例として挙げられるそうです。

人々の罪をくじで当たった雄山羊(アザゼル)に転嫁させて、荒野に放つことで人々の罪がなくなるということでしょうね。

しかしヘブル語で「アザ”エ”ル」は「身代わり」という意味よりも、「出ていく」や「追放される」、「取り除く」という意味があるそうです。罪が身代わりにされるというよりも、罪が取り除かれたという解釈もできますね。

他にも解釈があります。雄山羊の一方を神に、もう一方を荒野のアザゼルのために生贄をささげるという意味では神と同等の力をアザゼルがもっているのではないか?というものです。

もともとアザゼルはカナン地方の砂漠の神であるアシズをルーツにした説があります。イスラエル人にとって異教の神であり、砂漠の神であり、荒野の神あるいは精霊ということです。異教の神が自分たちの神と同じくらいの力をもっていた、あるいは異教の神にも捧げておいたほうがよいのではないかという発想があったのか、不明ですが解釈として一応記述しておきます。

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参考文献

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%B3

http://otawara-church.com/?p=1728

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https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%93%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)

アンモン人にとってモレクとは?

アンモン人にとってモレクとはどのような神だったのか?

どうやら「太陽神」だったらしいですね。日光の有害な影響を擬人化した神らしいです。

日光の有害性とは一般的にどのようなものでしょうか。すぐ思いつくのは紫外線です。夏場に海で泳いでいると日焼けして皮膚が負傷しますよね。

また深刻な問題としては「干ばつ(かんばつ,drought) 」が挙げられます。いわゆる「日照り」です。長時間雨が振らないと水が枯れてしまいます。上の画像は長期の干ばつに見舞われたケニアの土地です。作物も育たず、動物も死に絶えます。干ばつは山火事や貧困、害虫、疫病、飢饉、戦争、砂漠化などの多くの問題を生じさせるそうです。

またモレクはヘブライ語で「王」を意味するそうです。

予備知識
「アモン人」とは?意味と定義

・アモン人(Ammon) :古代パレスチナのセム系民族の一つ。アンモン人と訳されることがある。

・現在はヨルダンの首都アンマンの地域にあたる

・ヨルダン川東岸のギレアデ地方、イスラエル王国の東に位置し、イスラエルとは敵対関係にあった。イスラエル二代目国王ダビデの時代に征服され、イスラエルの属国となる。

・テラの子供にはアブラハム、ナホル、ハラン、サライがいる。テラは中東地域の多くの国民の祖先であり、アブラハムはユダヤ人(あるいはアラブ人)の祖とされている。アブラハムはノア、モーセ、イエス、ムハンマドと共に「5大預言者」とされている。

・アモン人はテラの息子の一人であるハランの息子ロトを先祖としている。アブラハムの甥にあたる。ロトはアブラハムと一緒にカナンへと旅をしたがお互いの牧夫(家畜の世話をする男)との間に争いが起き、ロトはヨルダン地域へ移動し、後にソドムへと移住する。

・古代イスラエル王国第三代ソロモン王はアンモン人が信仰するモレクを信仰し、アンモン人の妻がいる。アンモン人の妻ナアマとの間には、ユダ王国初代国王となるレハブアムがいる。レハブアムは神に背いた政治を行った人物として知られる。異教の神を信仰した父ソロモンと近似性がある。

ソドムとゴモラに出てくるロトと、アモン人の出生

・ロトとその妻、娘たちはアブラハムと別れ、ソドムへ向かうことになった。ソドムは「ソドムとゴモラ(都市)」が天からの硫黄と火によって滅亡されることになるあの「ソドム」である。よく頽廃(たいはい)の代名詞として用いられる。

4 ところが彼らの寝ないうちに、ソドムの町の人々は、若い者も老人も、民がみな四方からきて、その家を囲み、

5 ロトに叫んで言った、「今夜おまえの所にきた人々はどこにいるか。それをここに出しなさい。われわれは彼らを知るであろう」。

6 ロトは入口におる彼らの所に出て行き、うしろの戸を閉じて、

7 言った、「兄弟たちよ、どうか悪い事はしないでください。

8 わたしにまだ男を知らない娘がふたりあります。わたしはこれをあなたがたに、さし出しますから、好きなようにしてください。ただ、わたしの屋根の下にはいったこの人たちには、何もしないでください」。

9 彼らは言った、「退け」。また言った、「この男は渡ってきたよそ者であるのに、いつも、さばきびとになろうとする。それで、われわれは彼らに加えるよりも、おまえに多くの害を加えよう」。彼らはロトの身に激しく迫り、進み寄って戸を破ろうとした。

10 その時、かのふたりは手を伸べてロトを家の内に引き入れ、戸を閉じた。

11 そして家の入口におる人々を、老若の別なく打って目をくらましたので、彼らは入口を捜すのに疲れた。

12 ふたりはロトに言った、「ほかにあなたの身内の者がここにおりますか。あなたのむこ、むすこ、娘およびこの町におるあなたの身内の者を、皆ここから連れ出しなさい。

13 われわれがこの所を滅ぼそうとしているからです。人々の叫びが主の前に大きくなり、主はこの所を滅ぼすために、われわれをつかわされたのです」。

14 そこでロトは出て行って、その娘たちをめとるむこたちに告げて言った、「立ってこの所から出なさい。主がこの町を滅ぼされます」。しかしそれはむこたちには戯むれごとに思えた。

15 夜が明けて、み使たちはロトを促して言った  「立って、ここにいるあなたの妻とふたりの娘とを連れ出しなさい。そうしなければ、あなたもこの町の不義のために滅ぼされるでしょう」。

16 彼はためらっていたが、主は彼にあわれみを施されたので、かのふたりは彼の手と、その妻の手と、ふたりの娘の手を取って連れ出し、町の外に置いた。

17 彼らを外に連れ出した時そのひとりは言った、「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。

18 ロトは彼らに言った、「わが主よ、どうか、そうさせないでください。

19 しもべはすでにあなたの前に恵みを得ました。あなたはわたしの命を救って、大いなるいつくしみを施されました。しかしわたしは山まではのがれる事ができません。災が身に追い迫ってわたしは死ぬでしょう。

20 あの町をごらんなさい。逃げていくのに近く、また小さい町です。どうかわたしをそこにのがれさせてください。それは小さいではありませんか。そうすればわたしの命は助かるでしょう」。

21 み使は彼に言った、「わたしはこの事でもあなたの願いをいれて、あなたの言うその町は滅ぼしません。

22 急いでそこへのがれなさい。あなたがそこに着くまでは、わたしは何事もすることができません」。これによって、その町の名はゾアルと呼ばれた。

23 ロトがゾアルに着いた時、日は地の上にのぼった。

24 主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、

25 これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。

26 しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。

27 アブラハムは朝早く起き、さきに主の前に立った所に行って、

28 ソドムとゴモラの方、および低地の全面をながめると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。

29 こうして神が低地の町々をこぼたれた時、すなわちロトの住んでいた町々を滅ぼされた時、神はアブラハムを覚えて、その滅びの中からロトを救い出された。

30 ロトはゾアルを出て上り、ふたりの娘と共に山に住んだ。ゾアルに住むのを恐れたからである。彼はふたりの娘と共に、ほら穴の中に住んだ。

31 時に姉が妹に言った、「わたしたちの父は老い、またこの地には世のならわしのように、わたしたちの所に来る男はいません。

32 さあ、父に酒を飲ませ、共に寝て、父によって子を残しましょう」。

33 彼女たちはその夜、父に酒を飲ませ、姉がはいって父と共に寝た。ロトは娘が寝たのも、起きたのも知らなかった。

34 あくる日、姉は妹に言った、「わたしは昨夜、父と寝ました。わたしたちは今夜もまた父に酒を飲ませましょう。そしてあなたがはいって共に寝なさい。わたしたちは父によって子を残しましょう」。

35 彼らはその夜もまた父に酒を飲ませ、妹が行って父と共に寝た。ロトは娘の寝たのも、起きたのも知らなかった。

36 こうしてロトのふたりの娘たちは父によってはらんだ。

37 姉娘は子を産み、その名をモアブと名づけた。これは今のモアブびとの先祖である。

38 妹もまた子を産んで、その名をベニアンミと名づけた。これは今のアンモンびとの先祖である。

『創世記』19章

・モーセ5書のひとつである『創世記』ではソドムとゴモラの話が出てくる。

・ロトがソドムの人々に囲まれ、ロトを訪ねてきた尋ね人(実はヤハウェ(神)の使いの天使)を差し出すように迫る。そこでロトは尋ね人を守るために処女の娘2人を差し出すから尋ね人には手を出さないでくださいと町の人に伝える。町の人がロトに迫りドアを破ろうとしたところ、尋ね人がロトを家の中に引き入れ、打ち破ろうとしていた家の入り口にいる人を打って目をくらます。そしてロトに自分は神の使いであり、ソドムを滅ぼすためにつかわされたと話す。

・御使いの人のアドバイス通り、ロトは夜明けに妻と娘たちを連れ出す。ゾアラ(ツォアラ)という町に避難したロトたちであったが、ロトの妻が後ろを振り向いてはいけないと言われていたのに振り向いてしまい、「塩の柱(ネツィヴ・メラー)」になってしまったという。振り向いた先はソドムが硫黄と火で滅ぼされている場面である。

・神はロトが避難したゾアラの町も滅ぼしたが、使わされたアブラハムによって救い出される。

・ロとはゾアラの町を出ていき、山の洞窟に住むことになる。ことのき、ロトの娘はロトを酒で酔わせて寝ている間に近親相姦を行い、子供をもうける。姉は後のモアブ人の祖となる子供(モアブ)を産み、妹は後にアンモン人の祖となる子供(ベニアンミ)を産んだ

関連する悪魔
ベリアル

『十二支族の遺訓』ではベリアルという名前が多く出てくる。悪行をそそのかす存在であり、ベニヤミンの遺訓ではソドムの破滅の原因がベリアルであることを匂わせる文章がある。

ソドムとゴモラの話は『創世記』に出てくる。『創世記』ではアンモン人の祖であるベニアンミの父親であるロトがでてくる。強く関連しているわけではないが備考として記しておく。

モレク

アンモン人が崇拝していたのがモレクであると言われている。

そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。(『列王記上』第十一章 七節)

https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%88%97%E7%8E%8B%E7%B4%80%E4%B8%8A(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC11%E7%AB%A0

ソロモンは旧約聖書『列王記』に登場する古代イスラエルの第三代の王で、在位は紀元前971年-931年。父はダビデ。古代イスラエルの最盛期を築いたが、堕落した王ともいわれている。

『列王記』に「アンモンの人々の神である憎むべき王モレク」とあることから、モレクはアンモン人が崇拝する神であったといわれるのだろう。

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参考文献

・『悪魔と悪魔学の辞典』,ローズマリ・エレン・グィリー,(原書房)

wikiのアモン人

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%BC

https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC18%E7%AB%A0

旧約聖書『イザヤ書』:異教の神としてのモレク

モロクと『イザヤ書』の関連性
『イザヤ書』第三十章三十三節

33 For a hearth is ordered of old; yea, for the king it is prepared, deep and large; the pile thereof is fire and much wood; the breath of the LORD, like a stream of brimstone, doth kindle it.

『イザヤ書』第三十章三十三節

https://www.mechon-mamre.org/p/pt/pt1030.htm#33

口語訳では「 焼き場はすでに設けられた。しかも王のために深く広く備えられ、火と多くのたきぎが積まれてある。主の息はこれを硫黄の流れのように燃やす。 」とあります。

焼き場は英語でいうところの「hearth」にあたります。ハースストーンのハースですね。

30:33 すでにトフェテも整えられ、特に王のために備えられているからだ。それは深く、広くされてあり、そこには火とたきぎとが多く積んである。主の息は硫黄の流れのように、それを燃やす。

 トフェテとは、新約聖書ではゲヘナと呼ばれている場所です。エルサレムの町の南にある谷、ヒノムの谷はいわば、ごみ焼却所でした。そこで絶えず火が焚かれ、消えることはありませんでした。エルサレムは異教のならわしに従い、そこで要らない子どもを燃やして、偶像の神へのいけにえとしてささげていたのです。

 この火が消えることがない物を遺棄する場所ゲヘナの名称を、主イエスは地獄を言い表す時に用いられたのです。ですから、王たちが今、ゲヘナつまり地獄へと投げ込まれることがここに預言されています。

http://www.logos-ministries.org/old_b/isa30-32.html

別のサイトではhearthの訳がトフェテになっています。トフェテというワードが出たのは「10 それから王は、だれも二度と、自分の息子や娘をモレクのいけにえとしてささげることがないように、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテの祭壇を取り壊しました(『列王記下』第二十三章第十節)」のところですね。

トフェテ、あるいはトフェト(tophet)は「焼き場」であり、炉を示すワードですね。アラム語で「taphyā 」という言葉に由来するという説があるようです。聖書では儀式の火や燃える場所を示す場所としてつかわれています。

つまりhearth=tophetという解釈でもよさそうですね。

引用した解釈によれば、トフェテはゴミ焼却所だったそうです。以前はモロクの生贄のためにつかわれていましたが、ヨシア王の時代にトフェテの祭壇が壊されたそうです。儀式として用いられなくなった後、トフェテはゴミを燃やしたり、死体を燃やしたりする場所としてつかわれ、それが地獄のような場所としてイメージされたそうですね。ギリシア語で地獄を意味するゲヘナと呼ばれるようになったのも納得です。

「王のために備えられている」とは文脈的に、敵国であるアッシリアの王(センナケリブ)でしょうか。三十一節に「アッスリヤの人々は主の声によって恐れおののく」とあるので多分そうです。意味的には地獄に敵国の王が落ちるといった予言でしょうか。

アッシリアとエジプトは新バビロニア王国に撃退されることになるので、新バビロニア王国の台頭の前でしょうか。

イザヤが活躍した時代というとヒゼキヤ王(在位紀元前716年-紀元前687年)の時代ですね。ヒゼキヤ王の前の時代は、父親であるアハズ王の時代です。アハズ王は自らの子供をモロクに捧げたりした不敬虔な王として知られています。それに対してヒゼキヤ王は敬虔な人物として知られています。アハズ王はアッシリアに対して預言者イザヤの反対を押し切り、臣従していました。

ヒゼキヤ王の時代ではアッシリア王国がエジプトやバビロニア王国と争うようになり、アッシリア王国の勢力が小さくなっていたそうです。それに乗るようにヒゼキヤ王は反アッシリア王国側につきましたが、アッシリア王国は強く、バビロン軍とエジプト軍は鎮圧され、ユダ王国の46の街が占領され、ユダの人々の多くがアッシリアに連行されてしまったそうです(701年)。

このような文脈の中で、イザヤ書第三十章第二節の「彼らはわが言葉を求めず、エジプトへ下っていって、パロの保護にたより、エジプトの陰に隠れようとする」とはアッシリアに対抗するためにエジプトに助けを求めるということでしょうか。自分(イザヤ)の予言を信じずにエジプトに頼るなといった趣旨でしょうか。

ヒゼキヤ王はアッシリアの王であるセンナケリブにユダ王国のエルサレムの明け渡しを要求されましたが、断ったそうです。預言者はイザヤは敵が撤退することを予言していたそうです。なぜ撤退したかは不明だそうですが、聖書には「主の使が出て、アッスリヤびとの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆死体となっていた。(『イザヤ書』三十七章三十六節)」とあります。神様が出てきて、アッシリアのひとたちを全滅させたんですかね。

『イザヤ書』57章第9節

「 あなたは、におい油を携えてモレクに行き、多くのかおり物をささげた。またあなたの使者を遠くにつかわし、陰府の深い所にまでつかわした旧約聖書『イザヤ書』57章第9節)。」

モロクを信仰し、自分の第一子を生贄にしたとされているのがユダ王国の国王であるアハズ王やマナセ王である。アハズ王は敵国であるアッシリア国に親和的な態度を取り、反アッシリア同盟に参加しなかったことを預言者イザヤに避難されている。

イザヤがの証言が『イザヤ書』であるが、すべての章がイザヤによって書かれたものかは不明であり、議論が分かれているらしい。

第57章第三節で「あなたがた=女魔法使の子よ、姦夫と遊女のすえ」とあります。その後に「 あなたは谷のなめらかな石を自分の嗣業とし、これを自分の分け前とし、これに灌祭をそそぎ、供え物をささげた。わたしはこれらの物によってなだめられようか。」と第六節からあなたがたからあなたに変わります。

使者をつかわすという表現があることから、「あなた」は身分が高い人であることがわかります。アハズ王は敵国であるアッシリアの神々の偶像を国内に作ったり、偶像崇拝を広めた人物であるので、文脈的にアハズ王がモレクに生贄を捧げていると解釈できるかもしれません。

57章は時代区分的にいうとバビロン捕囚後であり、アハズ王の時代ではありません。アハズ王の時代は第一イザヤ書(1-39章)に相当します。バビロン捕囚後に帰還したいずれかのユダ王国の王が生贄を捧げていたのでしょうか。

ユダ王国のユダヤ人たちがバビロニア地方に捕虜として連行されたのが紀元前597年です。37年間ユダ王国の王エホヤキンとその次の王ゼデキヤが連行され、拘禁されたそうです。

もしバビロン捕囚後の王の誰かだとすれば、エホヤキンか、最後のユダ王ゼデキヤになりますね。エホヤキンが新バビロニア王国に高い位置を与えられたのに対し、ゼデキヤは両目をえぐられて鎖につながれたまま死んだそうです。

エホヤキンは預言者エレミヤに逆らい、エレミヤの予言の書を焼いて神の言葉を冒涜したそうです。異教の神を信仰していてもおかしくないので、エホヤキンかもしれませんね。

ゼデキヤはエホヤキンの叔父にあたるそうです。ゼデキヤはエレミヤの予言に従ったそうなので、エホヤキンとは対照に敬虔的な人物だったと言えます。

イザヤ書に関する基礎知識
「イザヤ書」とは?意味と定義

『イザヤ書』:預言者イザヤによる体験が記された預言書。紀元前8世紀の預言者イザヤによって語られたものとされている。諸説あるが、『第一イザヤ書(1-39章)』までがイザヤ自身によって語れれたものとされているらしい。旧約聖書の三大預言書のひとつ。他には『エレミヤ書』、『エゼキエル書』がある。

【歴史の知識補足】

イザヤは南王国ユダの首都エルサレムで活動した宮廷預言者だったとされている。ユダ王国は紀元前10世紀から紀元前6世紀にかけて古代イスラエルに存在した王国。統一イスラエル王国が南北に分裂し、その南にできた王国の名前がユダ王国。ヤコブの子であるユダの名前に由来している。

ユダ王国は紀元前609年に新アッシリア王国のバビロンの王であるシャルマネセル5世によって占領され、滅ぼされた。その後アッシリア王国は衰退したしユダ王国は独立したが、エジプトに負け、エジプトの支配下に入った(紀元前609年,メギドの戦い)。さらに紀元前597年にエジプトが新バビロニア王国のネブカドネザル二世に負け(カルケミシュの戦い)、ユダ王国も新バビロニア王国に屈した。

紀元前568年に有名な「バビロン捕囚」が行われますが、これはユダ王国がエジプトと組んで新バビロニアに対抗しようとしたことがバレたからエルサレムが破壊され、ユダ王国の支配者たちが首都バビロニアに連行された事件です。

【時代について】

『イザヤ書』は便宜的に「第一イザヤ書(1-39章)」、「第二イザヤ書(40-55章)」、「第三イザヤ書(56-66章)」に分けられるそうです。第一イザヤ書はアッシリアによる危機の時代、第二イザヤ書はバビロン捕囚の時代、第三イザヤ書はバビロン捕囚後の時代になります

【概略】

紀元前8世紀にイザヤによって伝えられたものと言われています。

内容は私は全て読んでいないのでWIKIの要約にまかせます。感覚的なイメージでは神様は私に言いました、愚かなことはやめてもっと信仰深くしましょうといったところでしょうか。「 かつては忠信であった町、どうして遊女となったのか。昔は公平で満ち、正義がそのうちにやどっていたのに、今は人を殺す者ばかりとなってしまった(第1章-21)。 」とあるように、退廃的な状況を憂いていますね。

戦争に関する予言、つまりユダ王国が今後どうなるか、神がどういうことを仰っているかというのがメインです。

  • 1章には、『アモス書』にあるような生贄祭儀批判が見られる。
  • 2章では、人間の傲慢戦争[5]が非難の対象となるが、この神ではない人間の高ぶりは、イザヤの預言の重要な主題の一つである。
  • 6章は召命記事である。
  • 7-8章はシリア・エフライム戦争英語版に関するものである。(インマヌエル預言)
  • 13-14章は、バビロニアに関する預言であり、アッシリアの時代に生きた第一イザヤの預言と考えるのは不自然なので、後代に帰される。
  • 24-27章は黙示的であり、バビロン捕囚以後に帰されることが多い。
  • 34-35章は、第二イザヤ書に類似していることが一般に認められている。
  • 36-38章では、アッシリアの王センナケリブによる侵略が描かれる。紀元前701年にエルサレムは辛うじて陥落を免れたが、これがシオンの選びの確証と捉えられたと考えられる。同一の事柄に関する『列王記』下18-20章の記述は、ヒゼキヤが貢納を課せられたことに触れているが、この『イザヤ書』では言及されていない。
  • https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E6%9B%B8
悪魔との関連
ルシファー

「ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。/お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒したものよ(旧約聖書『イザヤ書』14章第2節)。」

レヴィアタン

27章の第一節で「 その日、主は堅く大いなる強いつるぎで逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。 」とあります。この文章で「へび」と表現されていることから、レヴィアタンは蛇のイメージがつけられたのだと思います。文脈的にはよくわかりませんが、へび=レビヤタン=海におる龍ということで、殺されたみたいですね。

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参考文献

イザヤ書口語訳(WIKI)

tophet(英語版WIKI)

イザヤ書(WIKI)

時代区分の出典

ヒゼキヤ(WIKI)

旧約聖書『列王記』:異教の神としてのモレク

『列王記』とモレクの関連性
『列王記下』16章1-4節

・悪魔モレクのルーツとしてアンモン人の神モレクが登場する

「そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた(第十一章第七節)」

1 In the seventeenth year of Pekah the son of Remaliah Ahaz the son of Jotham king of Judah began to reign.

2 Twenty years old was Ahaz when he began to reign; and he reigned sixteen years in Jerusalem; and he did not that which was right in the eyes of the LORD his God, like David his father.

3 But he walked in the way of the kings of Israel, yea, and made his son to pass through the fire, according to the abominations of the heathen, whom the LORD cast out from before the children of Israel.

4 And he sacrificed and offered in the high places, and on the hills, and under every leafy tree.

16 ユダの新しい王、ヨタムの子アハズは、イスラエルの王ペカの第十七年に、二十歳で即位し、エルサレムで十六年間治めました。

2 アハズは、先祖ダビデのようには、主の前に正しくありませんでした。 3 それどころか、彼はイスラエルの歴代の王のように偶像礼拝を行い、イスラエルの民がこの地に入った時に主が滅ぼされた国々の異教の風習にならい、焼き尽くすいけにえとしてわが子を神々にささげることまでしました。 4 このほかにも、高台の礼拝所や繁った木の下の祭壇でいけにえをささげたり、香をたいたりしました。

https://www.mechon-mamre.org/p/pt/pt09b16.htm

https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E5%88%97%E7%8E%8B%E8%A8%98%E2%85%A1%2016&version=JLB

(『列王記下』16章一-四節)

たしかに『列王記下』16章三節には「 made his son to pass through the fire」とありますね。ユダ王国の王であるアハズが自分の息子を火にいれたとあります。「イスラエルの民がこの地に入った時に主が滅ぼされた国々の異教の風習」とはおそらく、カナン侵攻のさいに対立したアモン人ですかね。つまり異教の風習とはアモン人のモレクに対する信仰であり、生贄の儀式だということです。

3-5 彼は、父ヒゼキヤが取り壊した高台の礼拝所を再建し、イスラエルのアハブ王をまねてバアルのために祭壇を築き、忌まわしいアシェラ像を造りました。また太陽神をはじめ、月や星の神のための祭壇を、なんと神殿の中に置いたのです。 6 さらに、わが子を偶像の祭壇にいけにえとしてささげ、まじないや占いに凝り、霊媒や口寄せを行いました。このように、マナセ王のすることがあまりにもひどかったので、主の激しい怒りを引き起こしました。

6 And he made his son to pass through the fire, and practised soothsaying, and used enchantments, and appointed them that divined by a ghost or a familiar spirit: he wrought much evil in the sight of the LORD, to provoke Him.

(『列王記下』第二十一章第三-六節)

『列王記下』第二十一章第六節はマナセ王に関する文章です。アハズ王と同じように自分の子を生贄にしたんですね。

マナセ王は敬虔だったヒゼキヤの次の王です。不敬虔だったアハズ王の次が敬虔なヒゼキヤ王、その次に不敬虔なマナセ王、その次も不敬虔なアモン王、その次が敬虔なヨシア王ですね。

『列王記下』第二十三章第十節

アハズ王やマナセ王は自分の子供をモレクに捧げましたが、ヨシア王はモレクの神殿を壊します。

10 それから王は、だれも二度と、自分の息子や娘をモレクのいけにえとしてささげることがないように、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテの祭壇を取り壊しました。 11 また、神殿の入口に近い、宦官ネタン・メレクの部屋の隣にある馬と戦車の像を壊しました。それは、先のユダの王たちが太陽神に献納したものだったからです。 12 さらに、ユダの王たちが宮殿のアハズの部屋の屋上に造った祭壇と、マナセが神殿の二つの庭に造った祭壇も粉々にし、キデロンの谷にまきました。

10 And he defiled Topheth, which is in the valley of the son of Hinnom, that no man might make his son or his daughter to pass through the fire to Molech.

11 And he took away the horses that the kings of Judah had given to the sun, at the entrance of the house of the LORD, by the chamber of Nethan-melech the officer, which was in the precincts; and he burned the chariots of the sun with fire.

12 And the altars that were on the roof of the upper chamber of Ahaz, which the kings of Judah had made, and the altars which Manasseh had made in the two courts of the house of the LORD, did the king break down, and beat them down from thence, and cast the dust of them into the brook Kidron.

13 And the high places that were before Jerusalem, which were on the right hand of the mount of corruption, which Solomon the king of Israel had builded for Ashtoreth the detestation of the Zidonians, and for Chemosh the detestation of Moab, and for Milcom the abomination of the children of Ammon, did the king defile.

https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E5%88%97%E7%8E%8B%E8%A8%98%E2%85%A1+23&version=JLB

https://www.mechon-mamre.org/p/pt/pt09b23.htm

(『列王記下』第二十三章第十節)

『列王記下』第二十三章第十節でもモレクに関する言及があります。モレクの生贄が行われないように、エレミヤ王がベン・ヒノムの谷にあるトフェテ(トフェト)の祭壇を壊したそうです。ベン・ヒノムの谷は「殺戮の谷」とも呼ばれ、後に地獄という意味で「ゲヘナ」と呼ばれることになります。

『列王記』に関する基礎知識
予備知識
「列王記」とは?意味と定義

列王記(れつおうき):旧約聖書におさめられたユダヤの歴史書のひとつ。原作者はエレミヤという説がある。エレミヤは紀元前7世紀末から紀元前6世紀半に活躍した古代ユダヤの預言者。内容はイスラエル王国の歴史。

・本来は『サムエル記』と合わせて一つの書物だったらしい。

・『列王記』は上下に分かれている。

悪魔との関連
レヴィアタン

・レヴィアタンのルーツとしての蛇信仰が『列王記』に登場する

モーセがつくった青銅の蛇の像をユダ王ヒゼキヤが破壊するシーンがある。蛇の名前は「ネフシュタン」といい、多神教の時代に古代イスラエルの人はこの像を崇拝していたという。レヴィアタンは神が創ったクジラ、ワニ、ドラゴン、蛇などさまざまな強い生き物が合成された水に関連する獣だと言われている。

アスタロト

・アスタロトのルーツとしてのアスタルテが登場する

ソロモン王が外国の妻を何人もめとり、女神アスタルテを崇拝してしまう。異教の神を崇拝してしまうことになるので神の怒りを買い、イスラエルは南北に分裂してしまったという。主に11章にその旨の記載がある。「これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである(『列王記』11章5節)」

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参考文献

列王紀上(口語訳)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%A4

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%97%E7%8E%8B%E8%A8%98

『列王記下』の英文

ヨシヤ王に関する基礎知識
予備知識
「ヨシヤ」とは?意味と定義

・ヨシヤ:在位紀元前640年-紀元前609年。旧約聖書『列王記』に登場するユダ王国の国王。

・ユダ王国はいままでアッシリアの属国であったが、ヨシヤ王の時代にアッシリアは衰退していたのでユダ王国独立を回復していた。

・ヨシヤは前国王アモンの息子である。アモンは外国の宗教を熱心に信仰した前国王マナセの政策を踏襲していたらしい。22歳の即位から2年後にアモンは家臣に殺害され、ヨシヤは8歳で即位することになる。

・20歳になる頃にはヤハウェ以外の宗教崇拝を禁じる政策をとりはじめたらしい。この政策には有名なモロクの祭壇の破壊も含まれる。

ヨシヤの世にエジプトの王パロ・ネコが、アッスリヤの王のところへ行こうと、ユフラテ川をさして上ってきたので、ヨシヤ王は彼を迎え撃とうと出て行ったが、パロ・ネコは彼を見るや、メギドにおいて彼を殺した。その家来たちは彼の死体を車に載せ、メギドからエルサレムに運んで彼の墓に葬った。国の民はヨシヤの子エホアハズを立て、彼に油を注ぎ、王として父に代らせた。 日本聖書協会、『聖書 口語』(1955年)

・衰退していたアッシリア王国をエジプトのファラオ・ネコ2世が支援し、敵国であるバビロニアを攻撃するための道中に、ユダ王国を通ることになる。エジプトの王はユダ王国の王ヨシヤに無事と折れるように要請したが、ヨシアは断り、エジプトの王を妨害しょうとして出ていき、メギドでエジプト軍の矢を受けて死亡した。これをメギドの戦いという。メギドはイスラエルにあった丘である。

・ヨシアの子であるヨアハズがその後即位したが、バビロニア攻撃の後に再びエジプトの王であるファラオ・ネコ2世がユダ王国に立ち寄り、ヨアハズを廃位させ、ヨアハズの兄弟であるエホヤキムを即位させたらしい。

・こうしてユダ王国はエジプトの従属国となったが、そのエジプトを新バビロニア王国が撃破し、ユダ王国は新バビロニア王国の従属国になってしまう。エホヤキムは新バビロニア王国に反逆したため死ぬことになる。その後、ヨシヤの孫にあたるエホヤキンが即位したが、バビロンに連行される(バビロン捕囚)。エホヤキンの叔父であるゼデキヤが次に即位したが、新バビロニア王国に反逆してバビロンに連行されて死去する(2度目のバビロン捕囚)。ユダ王国は滅亡した。

関連する悪魔
モロク

モロクといえばモロクの神殿を作ったソロモン王や自分の子供を生贄に捧げたアハズ王が『列王記』に出てくる。

アハズの子でありアハズの次の王であるえるヒゼキヤは異教の神ではなく自国の神ヤハウェに対する信仰を重視した。しかしヒゼキヤの子で次の国王であるマナセは異教の神を信仰した。マナセの子であり次の王であるアモンもまた、父マナセの異教の神に対する信仰を踏襲した。

10 それから王は、だれも二度と、自分の息子や娘をモレクのいけにえとしてささげることがないように、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテの祭壇を取り壊しました。

(『列王記下』第二十三章第十節)

しかしアモンの子は父マナセの異教の神に対する信仰を踏襲しなかった。『列王記』ではモロクの祭壇を壊している様子などが記述されている。

ベン・ヒノムの谷にあるトフェト(トフェテ)はモロクの生贄の儀式が行われた場所であり、「殺戮の谷」であり、別名を「ゲヘナ」という。転じて「地獄」の意味でも用いられるようになった。

マナセ王は父アモンを含む先代国王たちの異教信仰を非難し、神殿を破壊していきました。神殿はだれも利用することがないので荒廃していきました。この場所では生贄が捧げられたり、汚物が焼かれていたり、罪人や浮浪者の死体が燃やされていたそうです。ユダヤ人たちはこのような場所を地獄と同じように考えました。ヒノムの谷はヘブル語でゲー・ヒッノームであり、ギリシャ語でゲエンナという言葉が使われるようになり、日本語訳ではゲヘナという言葉が使われるようになったそうです。

参考文献

ヨシヤのWIKI

ゲヘナ関連

旧約聖書『エレミヤ書』:異教の神としてのモレク

『エレミヤ書』とモロクの関連
『エレミヤ書』第三十二章第三十五節

またベンヒンノムの谷にバアルの高き所を築いて、むすこ娘をモレクにささげた。わたしは彼らにこのようなことを命じたことはなく、また彼らがこの憎むべきことを行って、ユダに罪を犯させようとは考えもしなかった。

『エレミヤ書』第三十二章第三十五節

第三十五章はユダ王国第20代の王であり、ユダ王国最後の国王ゼデキヤの時代である。ゼデキヤの兄エホヤキムは第16代国王ヨシアの第二子であり、第18代国王である。第19代国王はエホヤキンであり、父はエホヤキムである。エホヤキンはゼデキヤの叔父にあたる。

ゼデキヤの時代はアッシリアとエジプトに打ち勝った新バビロニア王国が覇権を握る時代であり、その王はネブカドネザルであった。王ゼデキヤは預言者であるエレミヤの予言に従い、諸外国が結束してバビロニア王国に対抗しようとしているときに、これに加わらず、自らバビロニア王国に和平交渉しに行ったという。

エレミヤの予言とはユダ王国の滅亡の予言である。『エレミヤ書』はエレミヤが書記であるバルクに書かせたものであり、内容は神ヤハウェに従わないイスラエル国民がバビロンによって滅ぼされるというものである。

和平交渉しに行ったゼデキヤであったが、最終的にはバビロニア王国に反逆する。そして紀元前586年に都エルサレムは陥落し、ユダ王国は滅亡する。ゼデキヤは新バビロニア王国に捕らえられ、目の前で子供を殺され、両目をえぐりとられ、死ぬまで鎖につながれて死んだという。

「 それは、イスラエルの人々とユダの人々とは、その若い時から、わたしの前に悪いことのみを行い、またイスラエルの民はその手のわざをもって、わたしを怒らせることばかりをしたからであると主は言われる。 」30節にあるように、イスラエルの人々とユダの人々の悪行について主が戒めていることを預言者であるエレミヤが伝えている場面ですね。

そのひとつとして、おそらくはユダ王国の国王であったアハズやマナセ王がモロクに自分の子供を生贄として捧げたことを例にとってあげているのだと思います。「むすこ娘をモレクにささげた。わたしは彼らにこのようなことを命じたことはなく、また彼らがこの憎むべきことを行って、ユダに罪を犯させようとは考えもしなかった」とありますが、異教の神に生贄を捧げることは憎むべきことであり罪であると神ヤハウェはおっしゃっているとエレミヤが伝えている場面だと思います。

『列王記』も作者がエレミヤだと言われていますが、同様に「そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた(『列王記上』第十一章第七節)」とあり、憎むべきこととして記述されています。

ユダ王国(南イスラエル王国)がバビロニア王国に滅ぼされてしまうのは、このような異教の神への信仰によるものであり、こうした行為が神を怒らせたということですね。

予備知識
「エレミヤ書」とは?意味と定義

・エレミヤ書:旧約聖書の一書であり、三大予言書の一つ。三大予言書は他に『イザヤ書』、『エゼキエル書』がある。

・預言者であるエレミヤが書記バルクに言葉を書き取らせたといわれている。時代区分では紀元前六〇五年のエホヤキム王の時代に書かれたそうです。

参考文献

エレミヤ書 口語訳

ゼデキヤ(WIKI)

エレミヤ書 WIKI

『キリストの降誕の朝に』:逃げ出した王モレク

『キリスト降誕の朝に』とモレクの関連

And sullen Moloch, fled,

Hath left in shadows dread

His burning idol all of blackest hue:

In vain with cymbals’ ring

They call the grisly king,

In dismal dance about the furnace blue.

The brutish gods of Nile as fast,

Isis and Orus, and the dog Anubis, haste.

その燃え上あがる偶像はもっとも黒く、

彼らは青い溶鉱炉のまわりで、

シンバルの音色とともにむなしく、

陰うつな踊りにふけって恐るべき王を呼ぶ

ミルトン「キリスト降誕の朝に」

https://www.poetryfoundation.org/poems/44735/on-the-morning-of-christs-nativity

「 sullen Moloch, fled」はどう訳されるのか。sullenは物憂げな、陰うつななどの意味で、fledはfleeの過去形で逃げたという意味になるのでしょう。つまり「モロクは陰うつな顔をして逃げ出した」という意味になります。

なぜ逃げ出したのか。題名に「キリスト降誕の朝に」とあるように、キリストがうまれたからなのでしょうか。

不学ゆえに原文を見ても正直意味がわかりません。正直邦訳を見てもいまいち意味がわからないと思います。おそらく行間を読む必要があるのだと思います。

ミルトンは失楽園を含め「古くから世に轟く令名を持つもの」がよくでてきます。令名とは評判がいいということで、轟くとは知れ渡っているということです。モロクも昔はアンモン人の神であり、人々を災害から守る神(守護神)として知られていました。他にもアスタルテやイシス、オシリス、アヌビスなど他の宗教で有名な神がミルトンの文章では出てきます。

アスタルテは「天の女神にして母であるアシュタロスは、いまや蝋燭(ろうそく)にとりまかれて神の座に腰をおろすこともなく」とあるように、まさに神の座を追われているのです。キリスト降誕の朝に追われたのかどうかはわかりませんが、旧約聖書などではモロクやアスタルテは異教の神であり、憎む対象であり、穢れとしてさえ扱われています。

William Blake | A child being sacrificed to Moloch | John Milton’s “Hymn on the Morning of Christ’s Nativity”, 1815

「Hath left in shadows dread 」はどのように訳せばいいのでしょうか。Hathはどうやらhasでいいみたいですね。Moloch has left in shadows dreadでしょうか。dreadは恐怖・不安です。left in で~を残すなので、モレクは恐怖の影を残しているということでしょうか。あの勇猛で知られるモロクが恐怖しているとはとても考えられません。あるいは勇猛なモロクが恐れるほどキリストの降誕は凄まじかったのかもしれません。

逃げた後でもモロクの影響がまだあると言いたいのでしょうか。だれが呼び出しているのかはわかりません。人間かもしれません。シンバルの音を鳴らし、恐怖の王であるモロクを呼び出しますがモロクは来ないのでしょうか。それとも過去にユダ王国でアハズ王などのイスラエル人が自分の子供を生贄に捧げ、モロクを呼び出そうとしたことを指しているのでしょうか。

いずれにせよこれらの生贄の習慣はヨシア王の時代に神殿が壊されて終わりました。イエス・キリストが誕生したと言われている説のひとつには紀元前4年というものがあり、世俗的には12/25日だとされています(正確な日付などはわからないそうです)。

ヨシア王の時代は紀元前7世紀なので、それよりも前です。ユダ王国の滅亡が紀元前6世紀です。ヨシア王の時代の後も、モロクの儀式が続けられていたのかもしません。キリストの降誕の朝に、モロクはなぜ逃げ出したのでしょう。

恐るべき王であり、大天使ガブリエルとも戦ったと言われるモロクがイエスの前では逃げ出してしまったのでしょうか。

逃げ出したというエピソードはガブリエルとの戦いから来ているのかもしれません。モロクは「失楽園」で天使ガブリエルに勇猛に挑みますが、手痛い斬撃を受けて逃走したそうです。

キリストの降誕の朝にの基礎知識
『キリスト降誕の朝』
「キリスト降誕の朝」とは?意味と定義

・『キリスト降誕の朝』(“On the Morning of Christ’s Nativity”):ジョン・ミルトン著の『1645年詩集』のなかのひとつの詩。ミルトンによって1629年に描かれた詩。

ミルトンは異教世界の終焉を描いていて、そこには失墜する神々に対する一種の好意的な哀れみの情があるそうです。

「失墜する神々」はまさしく悪魔のことです。キリスト教にとって他の宗教の神々は異教の神であり、悪魔だということです。なぜならキリスト教にとって神はただひとり、ヤハウェだけだからです。

関連する悪魔
アスタロト

「ペオルとバーリムは、みずからの小暗い神殿を見捨て、それとともにパレスチナの神も打ち砕かれた。そして月形の飾りのあるアシュタロス、天の女神にして母であるアシュタロスは、いまや蝋燭(ろうそく)にとりまかれて神の座に腰をおろすこともなく、ハモンは角を縮め、テュロスの乙女たちは傷ついたタムズをむなしく嘆く(『キリスト降誕の朝』)。 」

アシュタロスはミルトンのデーモンの一人。アスタロトの元になったフェニキア人が信仰した女神アスタロトをミルトンが悪魔として扱ったもの。

関連する絵

Watercolor Illustration to Milton’s On the Morning of Christ’s Nativity, by William Blake

参考文献

・「悪魔の辞典」,フレッド・ゲディングズ著,大滝啓裕訳,(青土社)

紀要14号A

on-the-morning-of-christs-nativity

『失楽園』:勇猛な武将モロク

モロクは元天使なのか

ミルトンによる『失楽園』によればモレクはモク(moloch)と呼ばれています。平井正穂の訳では「モーロック」となっています。

『失楽園』のストーリーからすると、モロクはサタンに賛同した天使であり、神によって天国から追放された反逆天使の一人だということになります。悪魔はみな元天使だった、つまり堕天使であるという説に基づいているのでしょうか。

『失楽園』ではサタンとともに堕ちてきた天使が「火焔の洪水と旋風に翻弄されている(11P)」ようです。神によって天国から地獄におとされ、サタンに同調した天使たちが火や水や風などで苦しんでいるといったところでしょうか。モロクはその中の一人ですね。

モロクはもともとアンモン人たちが崇拝する神でした。異教の神が悪魔として扱われることはユダヤ・キリスト教ではよくあることです。しかしモロクが天使だったというのはどのように理解すればいいのでしょうか。『失楽園』では有名な悪魔アスタロトもでてきますが、こちらも異教の神(女神)です。

以下で引用をみていきますが、どうやらエバの子孫がまだできていないような、ユダヤ人たちが登場していないような時代背景のようです。つまり『失楽園』はモロクが異教の神になる前のストーリーです。作中では天使の中で最も強いとさえいわれています。

「いずれも、人間の姿を遥かに凌ぐ神々しくかつ英雄然たる姿、格好で、堂々たる王者の風を示している。かつては天国において、それぞれの王座についていた権力者だったのだ。だが、今では、あの謀反を起したために生命の書からは消され抹殺され、もはや天国の記録にはその名前をとどめざるにいたった者たちであった。そしてまた、イーヴの子孫の間で新しい名前をうるまでには、かなり後まで、ー彼らが、人間を試練にあわせようといういと高き神の幽遠な容認のもとに、地上を彷徨し、腐敗堕落させ、創造主である神を棄てさせ、その眼に見えざる栄光を、虚飾と黄金とで飾り立てた絢爛たる儀礼で装われた獣の像に変えさせ、それらの悪魔を神々として礼拝させるにいたる時期まで、待たなければならなかった。その時になって、これらの者たちは、異教徒の世界を通じて確立されたさまざまな名と、さまざまな偶像とによって、遍く人々に知られるようになったのだ(27P)。」

「まず重立った者としては、地上の獲物を求めて地獄の底から彷徨い出て、後になって神の御座の傍に己の座を定めて自らも神々として近隣の民に崇められ、エホバに向かいー智天使の間に座し、シオンの丘から雷の如き大音声を発し給うたあのエホバに向かい、あえて対決を望んだ者たちがいた。それだ、彼らは、しばしば、所もあろうに神の聖所内においてさえ不浄かつ憎むべきその宮を設け、神の聖なる儀式、厳粛なる祭典を忌むべきものでけがし、神の光を己の暗黒で汚し、辱めようとした者立ちであった(28P)。」

このような文脈を考えると、モロクも元天使であり、王座についている権力者であり、別の名前があったようですね。ミルトンはそのように解釈したようです。「イーヴの子孫の間で新しい名前をうるまでには、かなり後まで・・・待たなければならなかった」とあるように、まだモロクという名前すら地獄に堕ちた時点では存在しないようです。

人間を試練に合わせて信仰心を確かめるというのは神に容認されていた行為だったようですね。モロクも天使(あるいは悪魔)として人間を試練に合わせた結果、人間は堕落し、神ヤハウェを捨てさせ、獣の像を礼拝させていたということですね。像というのがおそらく牛の青銅の像ですかね。モロクは牛のイメージがありましたが、本当の姿は王者の風格をもって立派だったのかもしれません。獣の像のイメージばかりが先行してモロクは牛だという理解になってしまいますよね。

悪魔の一般論としては人間をそそのかすというものがありますよね。これが神に容認されているのかどうかは議論があると思いますが、マステマの話でも見たことがありますね。ヨブが神によって信仰心を試された話も関連付けできそうです。

ここまでは天使(あるいは悪魔)がわるいのではなく、人間が試練に打ち勝てなかったというように解釈もできます。いずれにせよこの後、人間の世界でさまよって人間を試練に合わせていた天使たちが一度天国に戻り、サタンに賛同し、地獄に落とされたと解釈するほうがよさそうです。地獄におとされて、さらに天国側の軍勢にも負け、神によって現代で言うところの悪魔のような役割を容認されたのかもしれません。「人間を試練にあわせようといういと高き神の幽遠な容認のもとに、地上を彷徨し、腐敗堕落させ、創造主である神を棄てさせる」ということをです。悪魔は人間を腐敗堕落させ、神を棄てさせようとしていますからね。

28Pは地獄におとされたサタンのもとにだれがはやく参じたかというシーンです。一番はベルゼバブでした。次に参じたのがモロクです。正確にはベルゼバブはサタンが堕ちた後すぐそばにいて、最初に馳せ参じたのがモロクですね。

そのモロクの前フリとして、「重だったもの」という言葉が出てきます。モロクはこの「重だったもの」のうち最初にきたものです。解説では「作者はイスラエルの人々と関係の深い、したがってなんらかの形で聖書の中で言及されている異神について語っている」とあります。

細かい話は別の項目で詳しく扱っていますが、ユダ王国のアハズ王やマナセ王は自分の第一子をモロクに生贄として捧げていました。またモロクのために異教の像をイスラエル人にとって唯一の神であるヤハウェ(エホバ)の聖所内においたそうです。智天使の間に座しというのはモロクが智天使の位にあったということではなく、聖所の様式を指すようです。律法を入れた櫃(はこ)の上に金で造った2つの智天使の像を置くことをモーセにエホバは命じたくだりが『出エジプト記』の25・22にあるそうです。

神に人間を試練に合わせることを容認されていたのはよかったのですが、その手段がよくなかったのかもしれません。あるいはやりすぎたのかもしれません。人間を堕落させること自体は試練の一環として正当化できるかもしれませんが、そのあと道を正してやることも天使の役割だと私は思います。

それにしても面白いですね『失楽園』。聖書を元にしている漫画・アニメ・映画は多種多様にありますが、とても参考になる膨らませ方です。

モロクの登場シーン

まずはサタンと、それに同調した天使たちが神によって天国から追放されます。つまり地獄に落ちたわけです。いわゆる堕天使になったわけです。堕ちた後にまず最初にサタンに話しかけたのがベルゼバブで、次がモロクでした。

「そうだ、彼らは、しばしば、所もあろうに神の聖所の内においてさえ不浄かつ憎むべきその宮を設け、神の聖なる儀式、厳粛なる祭典をいむべきもので汚瀆(けが)し、神の光を己の暗黒で汚し、辱めようとした者たちであった。それらのうち最初に来たのが、人身御供の血にまみれ、親たちの流した涙を全身に浴びた恐るべき王モーロックであった。火焔(かえん)のなかを通って、彼をたどる像のもとへ進んでゆく子どもたちの阿鼻叫喚こそ、大太鼓小太鼓の喧(かしま)しい音にかき消されて耳には聞こえなかったが、涙を流さぬ親はいなかったのだ。彼はラバとその周辺の豊潤な平野アルコブとバシャン、さらに遥か遠くアルノン河の流域にいたるあたりまで、アンモン人の間で拝まれた。しかもこのような不逞邪悪な隣人に拝まれるだけでは満足せず、ソロモンの聡明無比な心さえも巧みに姦計(かんけい)を弄して誘い、あの冒涜の丘の上に、神の宮居と面と向き合って、己の宮を建立させたのみながらず、麗しいヒンノムの谷をも己の森とするにいたった。その場所がトペテとも、暗黒のゲヘナとも呼ばれ、いわば地獄の代名詞として考えられるようになったのは、そのためだ(『失楽園(上)』28-29P)。」

「・・殺戮の邪神モーロックの森に近い・・・(30P)」

詳細は各旧約聖書にあるので別の項目で扱い、省略します。要するにアンモン人の間で信仰されていた異教の神だったということです。アンモン人の間だけならまだしも、イスラエル人の王であるソロモンまでモロクを信仰していたというのがすごいですね。30Pはほかの堕天使であるケモシの項目ですが「殺戮の邪神」という表現が出てきます。聖書の殺戮の谷からきているんですかね。

「そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた(第十一章第七節)」

天使の中で最も強いモロクの演説

「彼は言葉をきった。すぐその後に笏(しゃく)をもった王モーロックが立ち上がった。彼こそは、天において戦った天使のうち最も強く、最も獰猛な者であったが、今では絶望の余りさらに獰猛になっていた。そして、力において永遠者と同等と認められていると確信し、もし永遠者より劣るなら、むしろ生存しないことを願っていた。生存の意欲が失われると共に、恐怖心も全く失われていた。神も地獄も、いやもっとも悲惨なことも彼の眼中にはなく、したがって彼の語る次のような言葉も、まさにそのことを示していた。(57P)」

上記にあるように、モロクは天使のうち最も強く、獰猛であるとミルトンは『失楽園』でイメージしています。状況的にはサタンとその仲間の天使たちが神の雷によって地獄に堕とされ、さてこれからどうしようかと討論しているところです。サタンがなにか意見のあるものはときくと、真っ先にモロクが立ち上がり、演説を行います。結構長いですが、おもしろいです。

モロクは笏をもっていますが、解説によれば紀元前8世紀ごろの吟遊詩人であるホメロスの『イーリアス』に登場する王たちが笏を持っていたことが関係しているようです。日本で笏(しゃく)といえば昔の位の高い人がもっているイメージありますよね。元々備忘のためだったそうですが(笏紙)、威厳を持たされるために儀礼的に用いるようになったそうです。

アフラマズダー神から王権の象徴を授受されるアルダシール1世のレリーフ

中国が起源といわれていますが、古代ペルシャでもあったそうです。つまりホメロスの時代ですね。モレクの言葉がそもそも王を意味していたので、王つながりで『イーリアス』の王のイメージとして笏をもたせたのですかね。『失楽園』では神が黄金の笏や鉄の笏をもっていると表現するシーンがあります。

さて演説をみていきましょう。

「『わたしは公然たる戦いを主張したい。詭計(きけい)云々については、他のものほど経験がないので、にわかに賛成し難い。必要とする連中に、それも今ではなく、必要な時にやらせればよい。そういった連中が一堂に会して謀議を凝らしている間、他の者はーそうだ幾百万という、武装を整えて天に向かって攻めのぼる合図を、今か今かと待ちあぐねている軍勢は、天からの逃亡者としてここでぼんやりと時を過ごしていろ、というのであるか?

この暗澹(あんたん)として嫌悪すべき恥辱の窖(あなぐら)を、ーわれわれの狐疑逡巡をいいことにして我が物顔に君臨しているあの圧制者の設けたこの牢獄を、己の住処として、甘受しろというのであるか?否、断じて否!むしろ地獄の焔と憤恚(いかり)を武器として身に纏(まとい)い、われわれを苦しめているこの拷問の責具をあの拷問者に対する恐るべき武器に変え、即刻、天に翔け登ってあの高い塔を強襲し、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)、敵を蹂躙して進撃しようではないか。

その際、彼があの全能の兵器、あの雷霆(いかずち)を轟かせるならば、これに対しては、われわれはこの地獄の雷霆をもって彼の耳を聾(ろう)せしめ、あの稲妻の閃光に対してはわれわれの黒い、そしてまさに恐るべき焔をもって応じ、これを彼の指揮する天使の群れの真只中に、敵に劣らぬ激しさで炸裂させ、さらに、彼の王座そのものを、まさに彼の考案になる責具、すなわちこの奈落(タルタロス)の硫黄と異様な火をもって包もうではないか。

だが、おそらくは、今のわれわれには、上なる敵に向かって翼を広げて驀地(まっしぐら)に昇るには、その道、困難かつ険しいと思われるかもしれぬ!しかし、そう思う者も、あそこの忘却の水を飲み呆々然(ほうぼうぜん)として力を失っていない限り、われわれが天へ上昇し元の住処に戻ることこそ、我々本来の動くであることを、この際とくと考えてもらいたい。

下降し、墜落するのは、我々の本性にもとるのだ。先頃のことにしてもそうだ。あの恐るべき敵が、壊滅した味方の光栄に嘲(あざけ)るかの如く襲いかかり、混沌の中を追跡してきた時、いかにわれわれが苦しみ、踠(もが)き、逃げ廻り、この奈落まで落ちてきたか、あの時のことを骨身に徹して覚えていない者は一人もいないはずだ。だとすれば、上昇するのはむしろ容易なことだといわなければならない。だが、結果が恐ろしい、と諸君はいうのか?

あの強敵を再び挑発すれば、彼は激怒して、われわれを破滅に追い込むさらに過酷な手段をとるかもしれなうということか、ー勿論、現状よりもっと過酷な破滅の怖れが、この地獄にあるとしての話だ!しかし祝福の座を追われてこの無残な深淵に投げ込まれ、苦悩の極にあるわれわれにとって、ここに定住すること異常に苦しいことが果して他にありえようか?ここでは消えることのない劫火(ごうか)が、その終焉(しゅうえん)を迎える望みはない。

そして、彼の怒りの前に慴伏する奴隷然たるわれわれを、苛(さいな)み懲らし続けている。しかも、情容赦もない笞(しもと)と呵責(かしゃく)のときが、絶えずわれわれに悔い改めを求めている!こういう状況よりももっと残酷な亡びがあるとすれば、それこそ、われわれ自身が無となり、消滅すること以外にはない。

そうだとすれば、なぜ、われわれは恐れているのか?なぜ彼の苛烈な怒りを招くのを躊躇(ためら)っているのか?彼は極度に怒れば、われわれを完全に抹殺し、この霊質を無に帰せしめるであろうが、そうなれば、永遠に生き存えながら悲哀に呻吟(しんぎん)するよりその方がよほど幸福だといわなければならない!それとも、われわれの本質が真に神聖なもので消滅しえないとすれば、どんな最悪な事態に陥るとしても、その無の一歩手前で留まるにすぎまい。今までの経験によって、われわれは、自分たちの力が天国を攪乱(こうらん)し、たとえ近づき難いものであっても運命による彼の王座を、絶えざる侵入によって脅かしうることを知っている。もしそうであれば、それは勝利とはいえなくとも復讐と称するに足りるのだ。(『失楽園』57-60P)』」

長いですね。私はこの演説が好きです。この後ベリアルが演説をするのですが、モーロックに反論するような形で演説をすることになります。つまり天国へ攻めるのは無駄だ、神に勝てない、だから地獄にとどまろうというわけです。そのあとマンモンが演説を行い、地獄の財宝を掘り出して地獄の帝国を作ろうと演説をします。そして次にベルゼバブが演説を行い、人間が住む世界を侵略しようと主張します。この地上への侵略は元々サタンが漏らしていた案です。最後にサタンが、自分が地上にまずいくと主張します。地上へ行く道は険しく、ベルゼバブの提案で誰も手を挙げなかったため、リーダーであるサタンが手を挙げたといういわけです。

一連の流れからすれば恐怖などまるでなさそうなモーロックが自ら手を挙げなかったことが不自然な気もします。ただモーロックは知略(姦計)の面では他の悪魔に劣っていそうですね。人間世界にいくためには姿をくらましたり(姿を変えたり)、天使の陣営を突破する必要があるのです。いかに強い武力を有しているモーロックであっても、知略も同時に兼ね備えていなければいけないのです。そのことをモーロックは認識し、自ら手を挙げなかったのかもしれません。無謀と勇気は同じようで違うものですから。

モーロックの演説の後はこのように続きます。

「彼は渋面を作ったまま口を噤(つぐ)んだ。顔には、絶望的な復讐の念が濃い、もはや天使ならざる同僚達の眼には危険千万と映る戦意が漲(みなぎ)っていた。(同上,61P)」

モーロックの演説は仲間たちの戦意をみなぎらせたようですね。説得力をこのときは感じていたのでしょう。

モーロックが知略に優れていない、悪く言えば脳筋的なイメージとして扱われることがあるのは「詭計(きけい)云々については、他のものほど経験がない」という冒頭部分からきているのかもしれません。モーロックの演説の前に、サタンは「公然たる戦いか詭計による奇襲か、そういったものを討論したい」と言っているのでモーロックは前者側についたことになります。

詭計とは「人をだまし、おとしれようとする計略」のことですから、モーロックほど強ければ正々堂々と真正面から戦いを挑むので、騙し討ちのようなことをしたことないのでしょう。この一文から必ずしもモーロックが脳筋だとは思いません。

モロクとガブリエルとの戦い

「その同じ頃、戦場の他の地点でも、永く記憶され記念されるべき、同じような武勲がたてられていた。例えば、或るところでは勇敢なガブリエルが戦い、その軍旗を必死の勢いでおしたてて、あの獰猛な王モーロックの陣営深く突入していた。モーロックは勿論反撃を加え、御前なんか戦車の車輪に縛り付けて引きずり廻してやる、なぞと豪語したが、それどころか、天の聖なる存在者に向かってののしりの言葉を吐くことさえも辞せなかった。だが、それも次の瞬間には、腰のあたりまで切り裂かれ、武器も粉砕され、異様な苦痛に堪えかねて吠え声をあげて逃げる始末だった(『失楽園上』294P,岩波文庫)。」

勇敢で獰猛、いわゆる勇猛果敢な悪魔として知られるモロクがガブリエルに返り討ちにされ、逃げ出してしまうのは印象的です。相手のガブリエルは天使で一番が位が高いとされるミカエルに次ぐという説もあるほど位が高い天使なので強いんですね。

ミルトンによる『キリスト降誕の朝に』における「And sullen Moloch, fled,」で物憂げな顔をして逃げ出したとありますが、この戦いを意味しているのかもしれません。

ガブリエルに関する基礎知識
予備知識
「ガブリエル」とは?意味と定義

・ガブリエル(Gabriel):旧約聖書『ダニエル書』に名があわれる天使。名前はヘブライ語で『神の英雄』あるいは「強き者」という意味がある。天啓と智慧と慈悲と贖罪と約束の天使であり、神の王座の左側に立っているといわれている。キリスト教ではミカエル・ラファエルとともに三大天使の一人とされる。ユダヤ教ではウリエルを加え、四大天使の一人になる。イスラム教ではジブリールと呼ばれ、ムハンマドに『クルアーン』を伝えた存在であり、最高位の天使である。

呼ばれ方

受胎告知の天使、復活の天使、慈悲の天使、復讐の天使、死の天使、黙示の天使、真理の天使、エデンの園の天使(『失楽園』からだろう)

聖書におけるガブリエル

聖書に名前が出てくるのは四度である。旧約聖書では『ダニエル書』、新約聖書では『ルカによる福音書』で出てくる。

わたしはウライ川の両岸の間から人の声が出て、呼ばわるのを聞いた、「ガブリエルよ、この幻をその人に悟らせよ」。

— ダニエル書8章16節(口語訳)

すなわちわたしが祈の言葉を述べていたとき、わたしが初めに幻のうちに見た、かの人ガブリエルは、すみやかに飛んできて、夕の供え物をささげるころ、わたしに近づき、わたしに告げて言った、「ダニエルよ、わたしは今あなたに、知恵と悟りを与えるためにきました。

— ダニエル書9章21節と22節(口語訳)

するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたはおしになり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。

— ルカによる福音書1章18節から20節(口語訳)

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。

— ルカによる福音書1章26節と27節(口語訳)

『ダニエル書』ではダニエルのもとを頻繁に訪れ、大厄災が起きるという予言的幻視をもたらすものとして名前が挙げられています。幻視に天使が出てくるのは、ダニエル書が書かれた当時は反逆罪に当たることだったそうです。なぜ反逆罪にあたるのかわかりませんが、普通の人が幻視に天使が出たと嘘を言って過った言説を流布させないようにするためでしょうかね。

『ルカによる福音書』では洗礼者ヨハネの誕生を告げるものとして、またマリアにイエス・キリストの誕生を告げるものとて登場します。「わたしは神のみまえに立つガブリエル」

聖書外典にはなりますが、『トビト書』というものがあります。紀元前200年頃から紀元前170年頃に成立したとされています。そこでは神の玉座の左側にガブリエルが立っていると記されているそうです。ユダヤ人の習慣では主人の左側に座を占めるのは女性ということになっているらしいです。ガブリエルが女性である説はここからもきているようですね。

聖典・外典にも含まれない偽典である聖書『エノク書』にもガブリエルは登場します。エノクを励ましているシーンがあるようです。

「わたしはひとり天の端に置かれた。そして恐れ、ひれ伏した。そこで主は栄光の天使のひとりガブリエルをわたしにつかわし、ガブリエルはわたしに言った。『エノクよ、しっかりしなさい。恐れることはない。立って、わたしとともに来なさい。主の顔先に永遠に立つのです』。わたしは彼に答えて言った。『ああなんたることでしょう。わたしの魂は恐怖のあまりわたしの身から離れてしまった。・・・』するとガブリエルは、あたかも風が木の葉を持ち上げるように、わたしを持ち上げ、連れて行き、主の顔先に置いた(『エノク書』)」

聖書以後の言説におけるガブリエル

聖書以外の言説はどのように解釈すればいいのでしょうかね。『失楽園』にガブリエルは出てきますが、それも同じく聖書以後の言説ですよね。

ミドラーシュという文学ジャンルがあります。ヘブライ語で「探し求めるもの」を意味し、字義どおりでない聖書解釈を指すようです。

ガブリエルがアブラハムに魔法の石を授けた話や、ヤコブと戦った闇の天使の一人だという話があります。

その他

・智天使の長、第一天の支配者

・1月の天使

・月曜日の天使

・月の天使

・水瓶座の天使

関連する悪魔
モロク

『失楽園』でガブリエルは堕天使モロクと戦い、打ち負かす。『失楽園』におけるガブリエルは天使の長であり、エデンの園を守る存在である。

「その同じ頃、戦場の他の地点でも、永く記憶され記念されるべき、同じような武勲がたてられていた。例えば、或るところでは勇敢なガブリエルが戦い、その軍旗を必死の勢いでおしたてて、あの獰猛な王モーロックの陣営深く突入していた。モーロックは勿論反撃を加え、御前なんか戦車の車輪に縛り付けて引きずり廻してやる、なぞと豪語したが、それどころか、天の聖なる存在者に向かってののしりの言葉を吐くことさえも辞せなかった。だが、それも次の瞬間には、腰のあたりまで切り裂かれ、武器も粉砕され、異様な苦痛に堪えかねて吠え声をあげて逃げる始末だった(『失楽園上』293P,岩波文庫)。」

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ガブリエルの画像

ピントゥリッキオ-告知

百合の花は処女の女性器の隠喩として知られているらしい。聖母マリアが処女であることを示しているのだろうか。

参考文献

・『天使と聖霊の辞典』,ローズ・エレン・グィリー,(原書房)

・『「天使」と「悪魔」がよくわかる本』,(PHP文庫)

・「天使」,真野陸也,(新紀元社)

ガブリエルに関するWIKI

『失楽園』に関する基礎知識
予備知識
「失楽園」とは?意味と定義

『失楽園』(1667年):ジョン・ミルトンによる旧約聖書の『創世記』をテーマにした叙事詩。ヤハウェに叛逆して一敗地にまみれた堕天使のルシファーの再起と、ルシファーの人間に対する嫉妬、およびルシファーの謀略により楽園追放に至るも、その罪を自覚して甘受し楽園を去る人間の偉大さを描いている(WIKIより)。

ジョン・ミルトン(1608-1674年):イギリスの詩人。代表作に『失楽園』やダンテ『神曲』などがある。『失楽園』ではサタンに関する記述があり、ダンテ『神曲』では有名なルシファーの挿絵がある。『失楽園』は旧約聖書の『創世記』をテーマにした叙事詩。堕天使ルシファーの再起やルシファーの人間に対する嫉妬、楽園追放などの内容。キリスト教文学の代表作。ミルトンによる旧約聖書の解釈はルシファーに関する逸話に影響を与えた。

関連する悪魔
悪魔の名前出自 由来となった神などメモ
1サタン天使のときの名前はルシファー。堕天した。天使の三分の一を誘惑して神に背を向けさせるほど力とカリスマ性があった恐ろしい堕天使。
神が御子(イエス)を想像し、天使の首領にすると宣言したため、ルシファーは怒り堕天する。
怒りのあまりサタンの頭が割れ、罪という娘が生まれ、サタンと罪の間に死という息子が誕生した。
天国を奪えないと判断したサタンは人間へ目を向け、エデンの園にいたアダムとイヴを誘惑する。
2ベルゼブブサタンに次ぐ悪魔。古代のエクロンの神。ベルゼブブは地獄で立ち上がり、一時的な平和を求めるべきか天にたいして戦いを起こすべきかと地獄の会議によびかけた。
ベルゼブブは演説を行う。ベルゼブブは天使の名前を失ったことに対する懸念を述べ、謀反を起こしただけで地獄の王と呼ばれることに嘆く。
神に背をむけるやりかたをもって地上と人間への直接攻撃を提案したのはベルゼブブ。
3モロク古代のアンモン人の神モレク。盲目の激怒と戦のデーモン。「恐るべき王」。「アンモンの人々の神である憎むべきもの(『列王記上』第十一章七節)」。
アンモン人の神は幼児の燔祭(はんさい)を求めたと言われている。いわゆる生贄である。
4ケモシ古代のアンモン人の神ケモシュ。ケモス。ケモスの別称がペオル。ケモシュが「モアブ人の神である憎むべきもの」と『列王記上』第十一章七節にあるらしい。
5バアル古代フェニキアの男性の豊穣神。バーリム。ミルトンは男の象徴して扱う。
6アスタロト古代フェニキアの女性の豊穣神。アシュタロス。ミルトンはバールとアシュタロスをそれぞれ男および女のデーモンの頭目(バーリムとアシュタロス)とみなしている。
二人は夫婦として崇拝されている。フレッド・ゲディングズによればミルトンはフェニキア人が信仰したアスタルテを「三日月の角をもつ天の女神」と表現したが、 
古代の文献ではそのようになっていないという
。歴史家のエウセビオス(263-339)の「アシュトレトが牛の頭を持つ女の姿で崇拝されていた」という記述に影響を受けたかもしれないとある。
7タンムズ植物の死と再生を象徴するフェニキアの神。
8ダゴン古代フェニキアの農業神。半人半漁の海の怪物になっている。ミルトン以前ではデーモンではなかった。2つの世界を自在に行き来する奥義伝授の神、魚人だった。
ヘブライ語で「魚」を意味するdagと「偶像」を意味するaonに由来する。ペリシテ人はダゴンを神として信仰した。
ダゴンはアッシリアの神オアンネスと同一視されている。ミルトンのいう「古くから世轟く令名をもつもの」の一人。
ペリシテ人はサウロの首を切り落とし、ダゴンの神殿に釘付けにした(『歴代志上第十章十節』) 。
9リンモン古代シリア人の風雨の神。
10オシリス古代エジプト人の冥界神。
11イシス古代エジプトの女神。オシリスの妹にして妻。
12ホルス古代エジプトの神。オシリスの息子。
13ベリアル堕天し。堕天した天使の中で最もみだらで不埒。ベリアルほど悪徳のために悪徳を愛する下卑た者はいない。
ミルトンは厳密な聖書の解釈よりもグリモアの伝統における淫蕩(いんとう)と放縦(ほうじゅう)にえいきょうされているらしい。
14ティタン族古代ギリシアの古い神々。
15アザゼル堕天し。もと智天使。万魔殿の帝王旗をかかげた。『レビ記』第一六章のアザゼルや鬼神のイブリスとはなんの関係もないらしい。
16マンモン富が擬人化したさもしい悪魔。本来デーモンでも偶像でもなかった。シリア語で「金」や「富」をあらわす言葉に過ぎない。
マタイ伝第六章二十四節などで「汝ら神とマモンとに兼ね仕うることあたわず」とあるように、キ
リストの言葉によって擬人化されたものと受け取られたため、悪魔としてとりあげられる。
ミルトンいわく「堕天した天使の中でもっとも高潔とはほどとおいもの」である。
大地の中心をうろつかせ、黄金の鉱脈を掘らせて、のちに万魔殿と呼ばれる場所を掘り起こした。
神や人間に戦いを仕掛けるよりも地獄にとどまって富を利用するべきと『失楽園』第2巻で主張したことからか、
唯物論を代表するものとしても用いられている。
17ムルキベルギリシア神話の鍛冶の神ヘパイストス。地獄に万魔殿を築いた。よく万魔殿の建築家と呼ばれるが、実際には地獄の都の建築や塔の建築家だったらしい。
万魔殿の敷地を選んで掘り起こしたのはマモン。古典時代にまで出自はさかのぼり
、ローマ神話において「和らげるもの」を意味する向きルベルは火の神ウルカヌスをあらわす名前の一人。
ウルカヌスがユーピテルによって天から投げ落とされ、九日にわたって落下したことでデーモンの名前としてミルトンは採用したのかもしれないと『悪魔の辞典』にはある。
18アデランメレク古代ファルワイム人の神。もと座天使。
19アスモデウス堕天しアスモデウス。もと座天使。
20アリエル神の獅子という名の堕天使。
天使学では水を支配する七天使の一人。
21アリオク獅子のようなものという名の堕天使。
中世のカバラ主義者によって復讐の悪霊と考えられた。
22ラミエル「雷霆(らいてい)」という名の堕天使。
『シビュラの託宣』では人間の魂を神の審判の場につれだす五天使の一人。
23ニスロク古代アッシリアの神。権天使の首領だった。
ビヒモス

 ビヒモス、すなわち獣。なぜなら、彼は人間の獣性を生み出すからだ。

(『失楽園』)

注釈でミルトンはビヒモスを象と解釈したとあるそうだ。

アスタロト

「ミルトンの採用した綴りはデーモン学文献におけるさまざまな綴りのなかから選ばれたーたとえばAsteroth、Astarath、Ashteroth等があり、Astorothがもっとも一般的である。単数形がAshtorethで、複数形がAshtarothになる。しかしミルトンは正しく単数形を使用するべきときですら複数形を用いている(『悪魔の辞典』395P)。」

『図解 悪魔学』や「堕天使 悪魔たちのプロフィール」ではAstarothになってますね。悪魔の辞典でもミルトンのデーモンではアシュタロス(Ashtaroth)、他の項目ではアスタロス(Astaroth)になっています。

「これらの一群の者と共にやってきた者に、アシトロテ――フェニキア人の呼び名でいえばアスタルテ、つまりあの三日月型の角を頭に頂いた天の女王がいた。月影さやかな夜ともなれば、彼女の煌く像に向かい、シドンの乙女たちは誓いの祈りを捧げ、歌を捧げたが、同じ歌声はシオンの山でも響いた。そこの背神の丘の上にも、聡明な心の持ち主ではあったが、偶像を拝する美しい女たちに惑わされ、自分自身もおぞましい偶像の前についに帰依した、妻に甘いあの王の手でアシトロテの宮が建てられていたからだ(『失楽園』)。」

参考文献

・『悪魔の辞典』(青土社)

・『図解 悪魔学』(新紀元社)

ウィリアム・ブレイクによるモレクのイメージ

Moloch | William Blake

William Blake | A child being sacrificed to Moloch | John Milton’s “Hymn on the Morning of Christ’s Nativity”, 1815

これは先程説明したジョン・ミルトンによる『キリスト降誕の朝に』の挿絵です。

「ミルトンの『キリスト降誕の朝に』に付された三番目の挿絵で、ブレイクはモレクを人間の形に造られた溶鉱炉として示した。さらに個人的なシンボリズムとして、モレクを複雑なイメージの7つの『神の目』にふくめ、ルシファーの自己中心的なデーモンの状態からキリストの自由な霊性にいたる、霊的発展の段階を示すものとして『目』を描いている。モレクは明らかに他者が生贄としてささげられる神あるいはデーモンなので、この第二の段階にふさわしい象徴である(『悪魔の辞典』410P)。」

フレッド・ゲディングズは『悪魔の辞典』でこのように説明しています。溶鉱炉は鉄鉱石を熱処理して鉄を取り出すための炉です。人間を生贄に捧げるための炉にモロクの像をくっつけた感じですよね。悪魔というより人間の王のような姿をしています。これらのイメージはミルトンのイメージを踏襲したものですね。

シンボリズムとは「自然主義や高踏派の客観的表現に対し、内面的な世界を象徴的に表現しようとする芸術思潮。19世紀末、フランスに興った象徴派の詩を始まりとする。サンボリスム。シンボリズム。表象主義。」らしいですがよくわかりません。モロクに対するイメージとして聖書など目に見えてわかるような客観的な文章を超えたなにかを想像したということでしょうか。

ブレイクによればそのシンボリズムが7つの「神の目」らしいです。7つといえば17世紀の版画でモロクの真鍮製の像には7つの部屋がありましたね。そのうちのひとつの部屋が子供を閉じ込めて、下の炉に火をつけて生きたまま焼くというものでした。ラビの伝承ではそうなっているようです。

たしかに絵には7人の人間がいます。これが神の目なんでしょうか。上にはサタンらしき悪魔がいて、真ん中にはモロクらしき王、下には赤子がいます。この赤子がキリストなのでしょうか。そう理解すれば自己中心的なサタンから、自由な霊性であるキリストの中間にモロクが位置し、それを神の目が見守っているように見えます。

ウィリアム・ブレイクに関する予備知識
「ウィリアム・ブレイク」とは?意味と定義

ウィリアム・ブレイク(1757-1827):イギリスの詩人、画家。預言書『ミルトン』で有名。

悪魔との関連
レヴィアタン

「とぐろを巻く海の蛇」とレヴィアタンを表現している。ブレイクにとってレヴィアタンは「ねじまがった蛇」であり、「人間の内部で抗争する悪の象徴」だという。また、「もっとも深い地獄にそびえ、点のアーチに達する二本の柱」とも表現している(『ジェルサレム』)。「驕り(おごり)の子すべてを支配する王」とも表現しているらしい(『悪魔の辞典』)。

ブレイクはレヴィアタンを「無意識の存在」とし、「人間の意識下に救う邪悪」とも表現しているらしい(『堕天使 悪魔たちのプロフィール』)。邪悪だが、神に敵対する意識がないという意味だろうか。ヨナ書では神のいうことを素直に聞く魚としても表現されているので敵対するイメージはあまりない。「悪魔」として強く扱われるようになったのは16世紀以降の悪魔学の影響が強いと言える。

ビヒモス

ブレイクはレビヤタンと同様に、ヒビモスも「無意識の存在」としている。

レヴィアタンのイメージ

ウィリアム・ブレイクによる『ヨブ記』の挿絵(1825年)

真ん中にいるカバのような生き物がウィリアム・ブレイクによるベヒモスのイメージである。下の蛇のような生き物がレビヤタンである。

『悪魔の辞典』によれば「本来、聖書のベヘモットはカバを指すものだと考えられていたが、イギリスの詩人ジェイムズ・トムスンがサイと解し、おそれくこれに影響されて、ウィリアム・ブレイクは鎧をつけた牙のあるカバを描いたのだろう。ただしこれが『ヨブ記』40章の生物のかなりストレートな表現だという可能性もある(357P)」と解釈されている。

その他

モロクトカゲ

出典

モロクトカゲ(学名:Moloch horrdus)は外見がモロクを思わせることからモロクトカゲと名前がつけられたらしい。

体長15センチほどの小型のトカゲ。別名トゲトカゲともいう。thorny devil(直訳すると棘の多い悪魔)ともいう。

The names given to this lizard reflect its appearance: the two large horned scales on its head complete the illusion of a dragon or devil. The name Moloch was used for a deity of the ancient Near East, usually depicted as a hideous beast.[3]

出典

具体的にどの部分がモロクに似ているのか。英語版WIKIによると、大きな角が2本あることが悪魔やドラゴンを連想させるかとある。たしかにモロクは牛頭の悪魔としてのイメージが強く、牛も2つの角を有している。

出典

意外とかわいい。

toki

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こちらはほとんどアナログでイラストがつくられています。どれも素晴らしいイラストで、わかりやすいです。文章が少し専門的で、難しい印象があります。先程紹介したスカルプターのための美術解剖学よりも説明のための文章量が圧倒的に多く、得られる知識も多いです。併用したほうがいいのかもしれません。

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これが一番おすすめです。難易度は中です。

超入門 マンガと図解でわかる! パース教室

これは難易度は小ですが、とてもわかりやすく説明されています。

スコット・ロバートソンのHow to Draw -オブジェクトに構造を与え、実現可能なモデルとして描く方法-

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カラー&ライト ~リアリズムのための色彩と光の描き方~
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