目次
サタン・ルシファーの分類:旧約聖書と新約聖書の違い
旧約聖書のサタンとルシファー
旧約聖書 | |
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サタン | 神のしもべ(マクラ・ヤハウェ)としてのサタン。堕天使ではない。旧約聖書に登場するほとんどのサタンという単語は「敵」という意味。旧約聖書「ヨブ記」のはじまりでは神がサタンにこう言った。「お前はどこから来た」。するとサタンはこう答えた。「地上を巡回しておりました。ホウボウを歩き回っていました。」このように人間を試すために誘惑する存在として、すなわち神の僕としてのサタンのイメージもある。 |
ルシファー | 悪魔でも天使でもない、金星だった。「ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。/お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒したものよ(旧約聖書『イザヤ書』14章第2節)。 |
備考 | ルシファーの節はネブカドネザル二世の凋落を比喩したものだったが、やがて堕天使として詩的に、あるいは誤読として解釈された可能性がある。 |
新約聖書のサタンとルシファー
新約聖書 | |
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サタン | 新約聖書ではサタンは神に滅ぼされたものとして扱われている。サタンは天使によって1000年の間縛られ、ようやき解き放たれると神に戦いを挑むがやられてしまう。 「彼らは地上の広い場所に攻め上がっていってm聖なる者たちの陣営と、愛された都を囲んだ。すると、天から火が下がってきて、彼らを焼き尽くした。そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた(『ヨハネの黙示録』20章10説)」 |
ルシファー | 新約聖書ではサタン=ルシファーのようにすでに扱われている。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた(『ルカによる福音書』10章18節)」こうした扱いを受けて、2世紀後半ごろ教父のオリゲネスがルシファ=サタンだと解釈し、明言した。初期キリスト教のサタンやルシファーに関する解釈は誤読である説もある。 |
備考 | 旧約聖書のヨブ記から、新約聖書までさまざまな黙字文学や文章でさまざまな魔王が語られました。たとえばアザゼルやベリアルです。そうした魔王たちのすべての合成イメージがサタンであり、サタンという名がつけられたという節があります。黙字文学は神が預言者に対して語ったことを記録したとされる文学です。 |
中世以降のサタンとルシファー
中世以降ではルシファーという名前がサタンと同じくらい多く使われるようになります。また中世文学ではルシファーとサタンを別な悪魔とし、ルシファーは魔王、サタンはその配下として扱われることもあります。ルシファーは最高位の天使であり、最高位の悪魔としても扱われたので、もしお互いが別の悪魔だとしたらサタンよりルシファーが上位に来るからです。
神との戦いに負けたサタンが、元天使の悪魔や魔女、呪術師を配下に加えて恐怖の魔王としてのイメージが定着するようになります。悪魔憑きや魔王との契約もこの頃一般的なイメージなりました。
失楽園でのサタンとルシファー
イギリスの詩人であるジョン・ミルトンの叙事詩『失楽園』ではサタン=ルシファーの図式ができあがっています。ルシファーという名前はサタンが天使であったときの名前ではなく、サタンの栄光と輝きを例える場合の言葉として解釈されています。ルシファーとは元々「明けの明星」という意味や、「輝きを広げる」という意味があるからです。サタンが天使だった頃の名前は別にあると失楽園では解釈されています。天使だった頃の名前はこの世の言葉から消されて、反逆者という意味のサタンだけが残ったそうです。
ルシファーとはなにか:ルシファーとサタンの混同
サタンとは
ルシファーとは
ルシファーはバビロン王の比喩だった?
ルシファーの名前は旧約聖書の『イザヤ書』で出てきたのが出自で、ヘブライ語でheielという言葉で登場しました。意味は「輝きを広げる」といった意味があるそうです。この一度だけです。
「ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。/お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒したものよ(旧約聖書『イザヤ書』14章第2節)。」
この一説からすると一見堕天したように思えます。しかし旧約聖書の著者がどのような意図を持ってこの文章を書いたのが重要です。
亡くなったばかりのバビロン王になぞらえた一説として解釈する説があるそうです。野望のために破滅したバビロニア王ネブカドネザル2世をたとえていたのではないかということです。ネブカドネザル人はバビロン捕囚で有名な人物で、ユダヤ人を捕虜として連行した人物です。旧約聖書はユダヤ教の聖典でもあり、ルシファーの記述があったのは『イザヤ書』で紀元前8世紀にかかれました。
ネブカドネザル2世が紀元前6世紀の人物で、イザヤ書が8世紀なので一見矛盾していますが、イザヤは実は複数人いたり、イザヤの弟子が伝えたりと複雑なようです。
ネブカドネザル2世はエジプト軍を倒してシリア地方を制圧し、エルサレム(ユダヤ人の王国)を占領しました。したそうです。ユダヤ書にある「もろもろの国を倒したものよ」という箇所はこうした制圧を指しているのだと思われます。ユダヤ人からしたら自分の国を占領され、王をバビロンに連行されたので相当怒りと悲しみがこみ上げていたのだと思います。
ネブカドネザル2世の後半の治世は資料が少ないそうですが、旧約聖書には彼が発狂したと書かれているそうです。バビロニアの言い伝えでは晩年にカルデア王朝の危機が迫っていることを予言したそうです。カルデア王朝とはバビロニア王国の別名であり、ネブカドネザル2世が治世していた国です。
そうした背景をもって「ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。/お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒したものよ」という『イザヤ書』を読むと感慨深いものがあります。征服に成功して調子に乗っていた王様が、とうとう発狂して死んでしまったということでしょうか。
メモ
・シンババビロニア王国の王ネブカドネザル(前634~前562年):『旧約聖書』とギリシア人による記録から、前598年にユダ王国を服属せしめ、さらに前587年にはなおも反抗するユダを攻撃し、エルサレムを陥落させて多くの民を捕囚に拉致(らち)したこと(バビロン捕囚)、またそれと並んで、フェニキア人の町ティルス(ツロ)を長期にわたる包囲のすえに征服したことが知られている(コトバンク)。
オリゲネスの誤読によるルシファー=サタン説
フレッド・ゲディングズは「悪魔の辞典」で、「教父たちによってサタンとルシファーが結び付けられたのは、おそらくオリゲネスに始まったことであって、曙の明星あるいはルシファー(金星)を亡くなったばかりのバビロン王になぞえらえる『イザヤ書』の一節、『あしたの子、ルシファーよ、いかにして天より隕(おち)しや』を誤読したことに基づく(432P)」と説明しています。オリゲネス(185-254年)とは古代キリスト教最大の神学者ともいわれる人です。
このオリゲネスという人物はキリスト教初期の人物で、黙字文書などで初めてルシファー=サタンだと明言した人物です。それに続いて5世紀に聖アウグスティヌスもルシファー=サタンだと認めるようになり、時代を通して広がっていったのです。
個人的な感想をいえば、ユダヤ人からしたら自分の国を攻め、捕虜にした人物がネブカドネザル王なわけです。そんな人物は、実は悪魔だったと考えたほうが気持ち的には楽ですよね。キリスト教は他の宗教の神様を次々と悪魔としてイメージづくっていくイメージがあるので、王様を悪魔として比喩しても違和感がないです。天から落ちた、これは堕天使だ、堕天使は悪魔の王だとなるわけです。
「ルシファーは最初はセラフ(熾天使)という最高位に属する天使であり、自分こそ最高だと考える傲慢(ごうまん)の罪で堕天使・サタンと呼ばれるようになり、堕天するときに多くの天使を引きずり込んだ」というのが有名なルシファーのイメージですよね。こうしたイメージはオリゲネスのサタン=ルシファー説の影響が強いです。中世後期にはルシファーはサタンと同じくらい名前が使われるようになったそうです。
ルシファーは詩的表現?サタンとの関連
そもそも聖書自体が詩的表現じゃないか、という暴論は置いておきます。重要なのは旧約聖書ではルシファーを悪魔として明確に語っていないということ、バビロン王の比喩であることが重要です。ではどうして悪魔として解釈されるようになったのか、というのが重要になります。先程のオリゲネスによる誤読もそのひとつです。
フレッド・ゲディングズによれば聖ヒエロニムス(347-420年)というキリスト教の神学者はサタンをルシファーとしています。これは堕天する前にサタンがルシファーと呼ばれていたという詩的表現として説明されているそうです。ヒエロニムスの前にも初期キリスト教の文書ではルシファーはサタンの同義語とみなされ、デーモンの指揮官と考えられていたそうです。
ユダヤ教とキリスト教ってややこしいですよね。イザヤ書は旧約聖書のひとつです。そして旧約聖書はユダヤ教にとっての唯一の聖書です。そしてキリスト教には新約聖書があります。キリスト教徒にとっては旧約聖書も聖典なわけです。神は7日間で世界を創りーという有名な一節は旧約聖書の方です。新約聖書は紀元前1世紀から2世紀につくられた比較的新しいものです。
つまり旧約聖書ではルシファーは魔王(サタン)として明確に記述されていませんでしたが、キリスト教の最初の方の文章でルシファーはサタンの同義語だとみなされるようになったわけです。これを詩的表現としたり、誤読としたりといろいろ説があるようです。
サタンとはなにか:ルシファーとサタンの混同
『黙字録』
「かの大いなるドラゴン(drakon o megas)、すなわちデヴィル(Diabolos)と呼ばれ、サタン(Satanas)と呼ばれたる全世界をまどわす古き蛇(ophis a archaios)は地に投げ落とされ、その天使たちもともに落とされたり。」
初期キリスト教のサタンに関する記述が混乱や注解を生み出させたとして非難を浴びることが多いようです。このヨハネの黙示録のドラゴン・蛇・サタン・デビルを一緒にして、地に投げ落とされたという表現はたしかに混乱させますね。地に投げ落とされたといえばルシファーにも旧約聖書に類似した表現があり、ルシファー=サタン=デビル(魔王)という理解につながってしまいます。
ジョン・ミルトンの失楽園
ジョン・ミルトンの『失楽園』はサタンの一般的なイメージを強くもたせたと思います。『失楽園』はすべてのデーモンがかつて天使だったという神話なのです。そしてサタンは「堕天使の指導者」であり、「天の平和を最初に破った謀反の天使」であるとされています。
こうしてサタン=堕天使の指導者=ルシファーという図式が定着していったともいえます。
秘教家のデーモン論:ルシファー=アフラ・マズダー説
フレッド・ゲディングズによれば秘教家の間では一般的なデーモン論や詩的なデーモン論(失楽園など?)とは違い、サタンとルシファーを混同していないそうです。
秘教家の間ではサタンはアフリマンとして考えられており、神に対立するだけではなくルシファーに対しても部分的に対立しているそうです。
ルシファーは元々「輝きを広げる」というヘブライ語からきているので、旧約聖書では悪として必ずしも描かれていないのです。ゾロアスター教におけるアフラ・マズダー(善なる神)と同一視されてもおかしくはありません。さらにルシファーという言葉はラテン語で「炎を運ぶもの」という意味があり、ゾロアスター教の火と親しいものを感じますね。
元々ユダヤ教・キリスト教はゾロアスター教に強い影響を受けいていると思われます。ゾロアスター教は紀元前七世紀にイランで起こった善と悪の2つが存在する二元論を前提とした宗教です。キリスト教は基本的に一神教であり一元論なので、神は全能で唯一の存在です。悪魔も神が作ったとされています。一方、ゾロアスター教では善神と悪神がどちらが前とかではなく両方同時に存在しているのです。
キリスト教はこうしたゾロアスター教の二元論に影響を受け、神と悪魔の対立という構造を作り出したのではないか、という解釈があります。
シュタイナーによるルシファー論
「靈性」とは宗教心のあり方をさしている用語です。敬虔であることなどの意味があります。神様を深く敬って態度をつつしんでいるということです。一般的なルシファーのイメージとは真逆ですよね。一方サタンは「唯物論」の闇の霊です。唯物論とは精神的なものより物質的なものをより根源的な立場だとみなす説です。心は脳みその電気信号に過ぎない、みたいな言い方は唯物論的ですね。
このようにルシファーは光や熱、サタンは闇や冷たさとして扱われることがデーモン学においてはあるようです。
参考書籍
1:「悪魔の辞典」、フレッド・ゲティングズ、(青土社)
2:「図解 悪魔学」、草野巧、(新紀元社)
3:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94
5:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2
6:「悪魔辞典」、山北厚、(新紀元社)
引用画像
2:https://artsycraftsy.com/dore_prints.html
3:https://artsycraftsy.com/dore_prints.html
4:http://listverse.com/2014/11/04/10-things-everyone-gets-wrong-about-satan/
5:https://i.pinimg.com/originals/54/4b/ab/544bab9c7a866f76a76e95885559470a.jpg
6:https://www.thenotsoinnocentsabroad.com/blog/the-monsters-of-supernatural-season-1-episodes-13-16
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