【第一回】パースの基礎を学ぶ:パースはなぜ学ぶべきなのか、その魅力とは

パースの基礎知識
  1. はじめに
    1. 動画での説明
  2. パース(遠近法)とはなにか
    1. はじめに
      1. 芸術への関心がなくなったのか
      2. 絵が上手くなって、それでどうしたいのか
      3. 芸術の目的には「幸せ」が関係している
      4. 手段は芸術だけではない
    2. パースとはなにか
      1. パースとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      2. 2次元と三次元の違いとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
    3. パースはどこで使われているのか
    4. パースにおける奥行きとはなにか
      1. 奥行きとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      2. 遠近感とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      3. 「触ってみなければ2次元か3次元かは分からない」
      4. 外部に奥行き感があるのではなく、人間側が奥行き感を創出する
    5. パースの種類、区別について
      1. 最広義のパースの定義とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      2. パースの分類図
      3. 線の遠近法とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      4. 透視図法とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      5. 平行投影とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      6. 消失点について
      7. 軸測投影パースとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説
      8. 平行投影のメリット
      9. blenderにおける平行投影モードについて
  3. パースをなぜ学ぶべきなのか、その魅力とは
    1. 絵の正確性
      1. パースの狂った絵はお風呂に入ってないようなものか?
      2. 不自然な絵の例
      3. パースが正しいからと言って美しいとは限らない
    2. 絵の創造性
      1. パースを使わずにカメラで十分なのではないか?
      2. パースは「想像の世界」へと羽ばたかせてくれるツールである
      3. 大事なのは「総合」であり、「全体感」である
      4. AIは絵の敵か?
      5. 芸術の目的との適合性
      6. 技術によって減じられる美について
      7. 漫画家はいちいち現物を見て写生している暇はない
    3. 絵のリファレンス
      1. パースという、正しい見方のリファレンス情報
      2. 習慣のレベルに落とし込む技術
    4. 絵の再現性
      1. パースは「ごまかし」にすぎない
      2. 「生き生きとした光景そのもの」は存在するか
      3. 再現できていない要素への着目
  4. 参考文献
    1. 初心者でもわかりやすい本
      1. ロビー・リー「超入門 マンガと図解でわかる! パース教室」
      2. デヴィッド・チェルシー「パース!マンガでわかる遠近法
    2. 上級者向け
      1. 「スコット・ロバートソンのHow to Draw -オブジェクトに構造を与え、実現可能なモデルとして描く」
      2. 山城義彦「現代パースの基本と実際」
    3. その他(パースがメインではない本)
      1. 「デジタルアーティストが知っておくべきアートの原則 改訂版 -色、光、構図、解剖学、遠近法、奥行き」

はじめに

動画での説明

・この記事の「概要・要約・要旨・まとめ」はyoutubeの動画の冒頭にありますのでぜひ参照してください

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パース(遠近法)とはなにか

はじめに

芸術への関心がなくなったのか

お久しぶりです。だいぶ長い間、このチャンネルを更新できていませんでした。この項目では私がこの動画シリーズをつくることになった目的をざっと述べたいと思います。

芸術に対しての関心が薄れたわけではなく、逆に関心が強くなったために更新できずにいました。そもそも人が絵を描く理由、芸術や創造の目的や機能まで遡って考えたくなったからです。この考察については他のチャンネルで現在扱っています。

・他の運営サイト:https://souzouhou.com,https://souzoudiary.com

絵が上手くなって、それでどうしたいのか

絵が上手くなったからそれでどうなんだ?それを応援してどうしたいんだ?」という強い疑問が私につきまとっていました。

昨今ではデジタルソフトの発展やAIの発展等で、この疑問はなおさら響く人もいるかもしれません。端的に言ってしまえば「モチベ」の問題ともいえるかもしれません。

この問いは単なる「技術や表現(手段)」の問題であり、「目的」が達成されていれば大した問題ではないと気づきました。しかし、では「創造や芸術の目的とはなにか」という哲学的な問題に衝突することになります。また、「何を描きたいか」とも深く関わってくる問いです。

もちろん個人的な目的は各々あるとは思います。私はそれ以上の、あるいはそれらに共通しうる、大文字の社会的な目的や機能に関心があります。

この動画では創造論についてあまり語りませんが、私は多くのアーティストが直面する問題であると強く考えています。「どうやって描くか」ではなく、「なぜ描きたいか、描くべきか」のほうが極めて重要なのです。問題を発見するほうが、問題を解決するよりも難しいのです。

ジグソーパズルでピースだけはもっていて、はめる穴がない状態と似ています。あるいは、はめる穴がないから、ピースを獲得することに飽きてしまうこととも似ています。退屈で役に立ちそうにもない、目的に欠けた受験勉強をさせられて上手くいくはずがないこととも似ています。「なぜ」がわかれば、「どうすれば」という手段、スキルを磨くことは意外と上手くいくはずです。

芸術の目的には「幸せ」が関係している

私は目的の主要な要素として「幸せ」が強く関係していると思っています(これだとざっくりすぎますが)。

芸術は人と人とを繋ぐという社会にとって大切な機能であり、人間が「幸せ」に至るための重要な手段です。だからこそ、その一助として、芸術の技術に関する知識を広めることには価値があると強く信じています。

アーティストひとりひとりの目的は細かく見れば異なりますが、大きく見れば同じだと思います。

その多くは「コミュニケーション」のために芸術は手段として活躍しているのです。たとえば好きなキャラクターの絵を描くことで、同じ趣味の人と交流できたり、友人たちに褒められることも身近な例です。たとえ芸術によって他者と衝突したとしても、それもコミュニケーションであり、他者の視点になって他者のことを考えるきっかけを提供するひとつの重要な要素となりえます。

プロとして自分の描きたくない絵を描く場合ですらも、それは収入へとつながり、お金は人と人とを繋ぐ手段となりえます。

もちろん、単に「描くことが楽しい」と他の人間関係をシャットアウトする稀有な人もいるかもしれませんが、それが自分の幸せと関連している限り、やはり大枠では「幸せ」の手段となっているのだと思います。他者へ向かうためにはまずは自己が満足する必要があると考えれば、まずは芸術によって自己を満足させて閉じるという段階があっても他者に向けて開いているといえます。

建築家はパースを使って家を建て、人が生活する場所を提供します。工業製品や都市設計もまたパースが用いられています。広く見ると芸術に関する知識は趣味の領域だけではなく、さまざまな領域で役立っています。

芸術は「ちょっとした暇つぶし」や「すごい人たちだけができる高尚な趣味」に留まるものではないはずです。生きていく上での「生き生きとした大切な何か、質」へとアプローチする方法のひとつだと思います。もちろん、芸術以外でアプローチすることも可能であり、等価でありうると思います。しかし、だからといって芸術によるアプローチが他よりも劣っているとは思いません。また、他のアプローチと協同できるものであり、そうでなければ芸術は尻窄みになるのだと思います。たとえば芸術と科学は反発するものではないはずです。

手段は芸術だけではない

・別の動画で使用した図です

私の動画全てに言えることですが、学んだものをログ(履歴)として残し、共有していくという態度、スタイルをとっています。

全体を深く学んだあとで一から動画をつくるのではなく、一歩一歩学んでログを残すという作業です。それゆえに至らぬ点があるかもしれません。その時はアドバイスをお願いします。共に、知の係留点、交流点を創っていきましょう。

パースとはなにか

パースとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

POINT

パース(遠近法、perspective):3次元の世界を2次元の面で表現するのに使われる原理や技法のこと。

そもそも三次元とはなんだろうか。パースの詳細はじっくりと後で検討するとして、まずは次元の理解をしたい。

2次元と三次元の違いとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

POINT

3次元一般に、次元の数が三つあることを意味する。

例えば縦、横、奥行きの3つの次元があれば三次元である。我々が散歩しているときに動き回る犬を見る場合、犬には縦幅も横幅も奥行きもある。

POINT

2次元一般に、次元の数が二つあることを意味する。

例えば縦幅と横幅しかないようなケースが紙や写真、映像で表現されるものである。3次元の人間を撮った映像、たとえば映画も2次元である。紙で描かれた犬には奥行きがない。触っても平らです。もちろん、「奥行きがあるような感じ」を表現することは可能であるが、しかし実際に奥行きという次元があるわけではない。そしてこの「奥行きがあるような感じ」を出すテクニックをパース(遠近法)というのである。

ところで、パースの世界ではよく、x, y, zで3次元を表現する。左右、前後、上下がそれぞれの記号のいずれかに割り当てられる。

3次元の図の出典:URL

個人的にはBlenderソフトの表現で理解したい。Blenderでは、xが左右(横幅)、yが前後(奥行き)、zが上下(高さ、縦幅)を表している。

 

パースはどこで使われているのか

【ポイント】パースは建築、土木、造園、都市計画、工業製品、舞台、広告、サイン、イラストレーション、劇画・アニメーション、絵画などで主に用いられている。

個人的にはパースの技術が認識論に影響した、という学問的な要素も気になっている。

・主に参照したページ

山城義彦「現代パースの基本と実際」,10-11p

パースにおける奥行きとはなにか

奥行きとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

POINT

奥行き一般に、「物体の正面手前から奥にかけての寸法」を意味する。

奥行きとは「物体や空間の前後方向の広がり」であり、観察者から見たときに物体がどれだけ手前から奥へ伸びているかを示す概念である。視点に対して物体がどれだけ遠くまたは近くにあるかを表現する次元であり、blenderでいえばy次元に相当する。

遠近感とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

 

例えばblenderでy軸に移動させるとこのようになる。奥に行けば行くほど小さく見え、手前に行けば行くほど大きく見える。これがいわゆる「遠近感」である。

実際の立方体のサイズは「同じ」であるのにも関わらず、奥へ行けば行くほど「違って見える」という点が重要である。※「奥行き感」の中でも、人間の視点から見て自然に見える感じが「遠近感」であると考えたほうが良いだろう。たとえば奥へ行けば行くほど小さくしなくても奥行き感は最低限出せるという点は重要である(そういうパースの技法もある)。

もちろん、これは二次元の画像なので、実際に奥行きはない。大事なのは奥行き感を出しているということであり、その技術がパース(遠近法)であるという点である。

「触ってみなければ2次元か3次元かは分からない」

正直な話、実際に奥行きがあるかどうかはさほど重要ではない。我々が3次元に見える物体を見るときも、ほんとうはハリボテの2次元の画像かもしれない。極論を言えば「触ってみなければ2次元か3次元かは分からない」といえる。本当に精巧なパースで画像を作成し、それを適切な位置から見れば3次元と区別は容易につかなくなる。大事なのは人間側の解釈(知覚)であり、対象そのものではないということである。

外部に奥行き感があるのではなく、人間側が奥行き感を創出する

人間は「奥行き感」を自らの側で創り出す生き物であると言える。他の動物もそうかも知れないが、そうではない景色を創り出すものもいるだろう。

実際に測ってみれば同じ幅であることがわかる。しかし現実には違う幅で常に見られているのである。そしてこの奥行き感は人によっても違う。例えば人が立つ位置によって、色や光によって、あるいは気分の変化においてさえ、違って見えることがありうる。

全く同じ「何か」を見ているということはありえても、「全く同じ感じに見える」ということは厳密にはほとんどありえない。

パースの種類、区別について

最広義のパースの定義とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

最も広い定義におけるパース技法は「奥行きを出す方法」であり、ほとんど同義として扱うことができる。

したがって、パースというクラスのメンバーにおいて、多様な「奥行きを出す方法」があるということになる。

絵を描く人が一般に「パースを勉強したい」という場合はパースの中の1つの方法である「重ね、陰影、色彩」や「透視図法」を指す場合が多いかもしれない。工業科の人なら図学的な平行図法が念頭に置かれ、建築科の人は平行図法と透視図法だろう。

もちろん、それらを組み合わせてこその本当のパースであるが、人が単純化して思い描くパース概念はそれぞれ違う。例えば2次元の絵を単に描きたい人は平行図法をそれほど重視しないが、3Dモデルを作りたい人は平行図法も重視することになる。

パースの分類図

ざっくりと分類するとこのようになる。

各用語は後ほど軽く触れる。

たとえば山城さんはこのようにパースを分類している。重要な差異が「線的/非線的」という区別だろう。

もっとも、遠近法的要素と絵画的要素は重なり合うものが多く、理念的に区別されるに過ぎないものだろう。たとえば光と陰影は、明暗遠近法と重なる。

線の遠近法とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

POINT

線の遠近法線のみによって表される遠近法のこと。

もちろん一般に、線遠近法は透視図法(透視投影)と同義的に扱われることがあることを理解している。違いを明らかにするため、「線の遠近法」と表現しておく。

単に「線で表現される遠近法」を線の遠近法としたほうがスッキリする。平行図法(平行投影)も線で「奥行きの感じ(立体感)」を表現するので、線の遠近法に含まれるわけである。

透視図法とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

POINT

透視図法(透視投影、円錐パース):線の遠近法のひとつであり、主に「消失点」を使って遠近感と奥行き感を出すことに特徴がある。

消失点の数によって、◯点透視図法などと呼ばれる。代表的なものは一点、二点、三点である。

平行図法との違いは、平行図法が遠近感を表現しないという点にある。透視図法は人間による自然な見え方、つまり遠近感を表現しようとする図法である。平行図法は自然な見え方よりも実際のサイズ感、比率感が重視される。平行図法は比率を厳密に表示させつつ、かつ立体感(奥行き感) も最低限欲しい、というようなケースで役立つ。

山城さんによれば、以下のルールの上で透視図法は成り立つという。今回は詳説しない。

  1. 視線に角度を持つ平行線は無限遠で1点に交わる
  2. 1点に交わる点の位置は目の高さ(水平線)の線上にある
  3. 同じ大きさのものも遠ざかるにつれて短縮されていく

・主に参照したページ

山城義彦「現代パースの基本と実際」,16p

山城義彦「現代パースの基本と実際」,14-15p

平行投影とはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

POINT

平行投影(平行パース,平行図法):線の遠近法のひとつであり、主に「消失点」を使わずにすべての線が平行なまま「奥行き感」を出す技法のこと。

※一般に「平行図法」と表現することはない。透視図法と対比するために、平行図法と表現した。

パース初心者の人は「消失点」とは一体何なのか、「平行」とは何なのかと疑問が生じることになる。細かい話は今後の動画で扱う。今回は少しだけ触れる。

消失点について

POINT

消失点(vanishing point):線の遠近法で、画面の奥へ向かう平行線が収束する点。

たとえば消失点があるような画面は上の図のようなケースである。

この透視図法は消失点が1点なので、1点透視図法である。

もちろん、この画面上の全ての立方体の「実際のサイズ」や「実際の比率」は同じである。しかし奥へ行けば行くほど違って見える。つまり小さく見えるのであり、それによって「遠近感」が生じている。

先ほどと同じ景色を平行投影に変換したものがこちらである。

消失点へむかって各頂点が伸びることはなく、平行のままであり、すべて実際の比率で表現されている。

1点透視図法だと、正面の感じが平行投影と同じなのですこし分かりにくいかもしれない。二点透視図法で比較するとこうなる。

また、平行投影ではさまざまな角度に限定する手法がある。

軸測投影パースとはなにか、意味、定義、わかりやすく解説

平行図法には多様な種類がある。

POINT

軸測投影パース遠近感を無視して、すべての軸が一定の角度で「奥行き感(立体感)」を出す方法のこと。

たとえば等角投影法では軸を形成する3つの角度が等しく、二等角投影法では2つなどさまざまな下位分類がある。

【絵を描くために学ぶ図法幾何学】平行投影とはなにか?

平行投影のメリット

遠近感を無視して一体どんなメリットがあるのだろうか。平行投影は主に設計図や技術図面で用いられるという。絵を描く人というよりは工業製品を造る人などが用いる技術である。

人間が実際にどのサイズ感でどう自然に見えるかは重視しない。見た目が不自然であっても「実際のサイズ感」が重要なのである。それなら単に数字で表記すればいいという話になるのかもしれないが「それなりの立体感、奥行き感」を表現することが重要になるケースがある。また、面倒な遠近感を省略できるという意味で、手軽であるという。

・特に参照したページ

「デジタルアーティストが知っておくべきアートの原則」,65p

「デジタルアーティストが知っておくべきアートの原則」,66p

blenderにおける平行投影モードについて

blenderなどの3Dソフトではワンクリックで切り替えができる。実際のサイズ感でつくった後で、これに遠近感を出そうとしたらどうなるのか、と確認できるから便利だ。

教室などのモデルをつくる際に、実際のサイズ感(数学的な比率)で厳密に平行投影モードでつくった後で、それを透視投影モードにすれば整合的に作れることがあるだろう。始めから透視投影モードで作ろうとするとゴチャゴチャしてしまうかもしれない。

ただし、人体や自然などはすこし事情が違うのかもしれない。始めから透視投影モードでモデリングするタイプの人も多い。いわば、設計図なしに直感的に、粘土をこねるようにつくるタイプである。

我々が日常で見ている、あるいは描きたいと頭で想像している画面は透視投影における人体だからだ。絵の描き方などで表示される絵のほとんど全ては透視投影における絵であり、また透視投影における比率である。実際に物差しで測った比率ではない。これは極めて重要な点である。

そもそも平行投影モードにおける正確な比率を熟知する作業から始めること、つまり厳密な設計図を用意することは難解である。教室などの直線のみからなるオブジェクト(物)はまだ容易だが、曲線的な人体は難しい。だからこそ、人体を立方体に置き換えておおよその比率を掴む、という単純化が行われるのである。

良いモデルを平行投影モードに変換して観察する作業なども勉強になりそうだ。いずれにせよ、両方のモードに熟知することが3Dモデラーには求められているといえる。

パースをなぜ学ぶべきなのか、その魅力とは

絵の正確性

パースの狂った絵はお風呂に入ってないようなものか?

たとえばロビー・リーは「遠近法が不正確な絵は気が散る」と表現している。

逆を言えば、「パースを使えば気を散らさずに、自分の表現したい何かを鑑賞者に届けることができる」という魅力があるということになる。

デヴィッド・チェルシーは「パースが狂った絵はお風呂に入っていない人がおしゃれをした人たちのパーティーにいて、みんなが振り向くようなもの」だと過激に表現している。

どんなにおしゃれな絵を描いていても、歪なものがあるだけで全体が台無しになる、という話である。もちろん、そうした歪さを意図的に狙う場合の絵は例外である。

チェルシーは「パースは勉強する価値のあるものだよ。パースをものにすれば、3次元の世界を安定感と自信をもって二次元の紙の上に再現することができる」と、その魅力を表現している。

これはリーの言ったような「正確さ」と類似した表現だろう。もしかしたら自分の絵は歪んでいるかもしれない、下手だと指さされるかもしれない、という「不安」をアーティストは抱えている。だからこそ、そうした歪みを「チェック」する基準としてパースの知識は重要である。もちろん自分はパースの正しい絵を描くことができるという「自信」を得た後で、そこからはみ出た絵へと飛翔していくことも自由である。

・特に参照したページ

ロビー・リー「超入門 マンガと図解でわかる!パース教室」5p

デヴィッド・チェルシー「パース!マンガでわかる遠近法」,9p

不自然な絵の例

例えば適切な視野角で適切な画面内に収めている透視図法による画面は、人間の見え方として自然に見える。しかし、一定限度を超えると、不自然に見えてしまう。立方体が引き伸ばされてしまうのである。

これをある効果を狙って意図的にやるのはいいが、こうした不自然な絵を意図せず描くと問題が生じる。「パースが崩れている」、「下手な絵」、「デッサンが悪い」などと表現されてしまうかもしれない。

パースが正しいからと言って美しいとは限らない

ただし、「あまりにも正確性にこだわると、ほんとうに描きたいものや美しいものを取りこぼす可能性がある」ということに注意したい。

なぜなら、「正確な絵だからといって必ずしも美しいわけではない」からである。真っ直ぐな線よりも、すこし不正確なアナログ線のほうが美しく見える経験をみなさんはしたことがあるだろう。1か0かではなく、パースは大きな歪みをなくす方法として捉えたほうが安全なのだと私は信じている。

パースは拘束着ではなく、最低限の防弾ベストのようなものである。「美」については、別の記事で扱っているのでぜひ参照して欲しい。

https://souzoudiary.com/aesthetics-christopheralexander-1-1/

絵の創造性

パースを使わずにカメラで十分なのではないか?

パースがもし文字通り「3次元の世界を2次元の世界に単に写し取るだけに過ぎないもの」だとしたら、その機能は「カメラ」で十分なのではないか。人間の技術は単に写し取る、模写する限りではカメラには勝てないのではないか。ドローンの登場のように、より柔軟に写し取る技術は確立されてきている。

カメラがまだ発明されていなかった時代はパースもそれなりに重宝されていただろうが、高機能なカメラやビデオがるこの現代において、それでもパースの技術は必要か。

パースは「想像の世界」へと羽ばたかせてくれるツールである

たとえばスコット・ロバートソンはパースの魅力を「いったん習得してしまえば、想像したものを描き、デザイナーのように考え、これまでに目にしたことのない世界を描けるようになります」と述べている。

ここで重要なのは「これまでに目にしたことのない世界を描けるようになります」という箇所である。

カメラは「今、まさに目にしている世界を写し取る装置」である。芸術も極端なリアリズムの場合は「目の前の対象の模写」を目指す場合もある。

しかし、現代の芸術の多くは「今、まさに目にしていない、現実を超越した想像(創造)の世界」を写し取る、あるいは表現することを目指している。それゆえに、カメラがあるからパースの技術はいらない、ということはない。

・特に参照したページ

スコット・ロバートソン「HOW TO DRAW」,8p

大事なのは「総合」であり、「全体感」である

ただし、何事も1か0かでどちらかを切り捨てることはあまりいい判断ではないと私は信じている。

大事なのは「総合」であり、「全体感」である。たとえばカメラで撮った写真は創造のための資料(リファレンス)として用いることができる。サイズ感やポーズを参考にして、資料とは類似しているが、違ったものを2次元に表現することができるようになる。

AIは絵の敵か?

この「総合」という視点から見ると、科学やAIも切り捨てられる敵ではないだろう。

AIや学問も絵を描くための資料(入力)にすることができる。AIで作成した画像を参考にしたり、学問を通して得たイメージを元に絵を描くことができる。3Dソフト、2Dソフトのツールも同様であり、大事なのは「何を表現できるか、アウトプット(出力)できるか」だろう。

もちろん、結果だけではなく、その「過程」も重要だという意見も理解できる。

しかし、「本当に表現したい目的や対象」が定まっている場合、その過程に拘泥していることに一体どれほどの価値があるのか、熟考する必要がある。

芸術の目的との適合性

私は絵の目的と適合性を持つ限り、当該手段は許されると考えている。たとえば精神の健全性に強く目的を置く場合は、できるだけ自分の純粋な、自由な表現力を重視したほうがいいかもしれない。資料を参考にするということは一種の制約であり、表現における一種付のフィルター、曇ガラスとなりうるからだ。

他にも。自分の大事な人間関係のために楽をすることが好ましくない場にいるなら、楽をしない手段を採用することもまた適切でありえる。また、楽をしなかったために、得られる技術(デッサン力など)という点も考えられる。物事は単純ではなく、隠されたプラスとマイナスがあることを意識する必要がある。

AIや3Dソフトを使ったらズルだとか、写真を参考にしたらズルだとかいうのは、絵を描く目的と相関しているのだと私は考える。

たとえばGANTZの作品が3Dソフトを使って作られているから、その作品の価値が減じられると一体どれほどの人が考えるだろうか。目的と無関連に、盲目的に、一律に手段を批判したり否定する態度が私はあまり好きではない。

そもそも、我々の殆どがレストランで出てくる料理がどう作られるかを知らないように、芸術作品がどう作られるかを知らない。料理の味がひどいと作り方もひどいと類推できるように、あまりにも稚拙な資料の参照のやり方によって、それらが目立つことはありうる。しかし、目立たない、自然な調和も可能なはずである。

技術によって減じられる美について

もちろん、3Dソフトを参考にしたことで「減じられる美」があるという点は論争の価値があるかもしれない(例えば、AIにもよく見られるような、ぎこちなさ)。

しかし、単に使っただけでその作品の価値が減じられるとは私にはとうてい考えられない。大事なのは美へと総合、調和させる技術の問題だろう。AKIRAの美しい絵も、パースの技術がふんだんに、精密に使われているのである。

アウトプットされた絵よりも、アウトプットできる事自体に重きを置く人は、資料をたくさん使うこと、特に他人の作品を参照することをズルだと思うのかもしれない。

例えば電卓を使わずに手書きや暗算で計算できる人はすごいと思う。一方で、その技術にエネルギーを使うより違う場所にエネルギーを使ったほうがいいとも思ってしまう。走って日本を横断できることはたしかにすごいが、単に横断するだけなら飛行機でいい。このあたりは「個性」とはなにか、「創造」とはなにかとも密接に関わってくる(この内容については創造発見学第二回の動画で詳細に扱っている)。

https://souzouhou.com/2023/10/10/souzougaku-2-creativity/

漫画家はいちいち現物を見て写生している暇はない

たとえばチェルシーは、漫画家は「写生なんてめったにできないし、建築家が使うような設計図なんかなしにそれらしい光景をでっち上げないといけない」と述べている。

【ポイント】漫画家はそれらしい光景を「でっち上げる」必要がある。いちいち現物を見て写生している暇はない。参考資料を探したり、そこから「想像力」で絵を描く必要がある。

【ポイント】パースは想像力を補完するような道具だと言える。

【ポイント】「目の前の光景をそのままコピーするだけ」ならパースを使わなくてもできる。特殊な道具を作って「なぞれば」いいから。

【ポイント】目の前の光景や資料に「何かを付け加えるとき」にパースの知識が必要になる。あるいは「想像上の光景」を描くときにも必要になる。

・特に参照したページ

デヴィッド・チェルシー「パース!マンガでわかる遠近法」,7p

絵のリファレンス

パースという、正しい見方のリファレンス情報

マルコス・マテウ=メストレは「自分の脳の中に、どれだけのリファレンス情報を格納しているかということ」を重視している。

リファレンスは日本語で言えば「出典や参考資料、参照」のことである。この動画も様々な本というリファレンス情報のおかげで成り立っている。

絵を描く際も、たくさんのリファレンスを必要とする。たとえばデッサンの練習も、リファレンスとして暗黙知的に、習慣的な記憶に刷り込むという役割として捉えることができる。目に見える資料だけがリファレンスではない。

何度も何度も「自然な人体」を描くことで、不自然な人体に対して敏感に反応、修正することができるわけである。そういう意味でデッサンとパースは機能的に等価だといえる。パースもまた、自然な物体を何度も練習して描くことで、フリーハンドで自由に描いたとしてもパースの崩れがあまりない絵を描けるようになるからである。

・特に参照したページ

マルコス・マテウ=メストレ「パースによる絵作りの秘訣」,7p

習慣のレベルに落とし込む技術

デッサンもパースも、あらゆる技法も、こうした「習慣」のレベルに落とし込むことが重要だとわたしは考える。

いちいち、ここはこうか、そこはどうだ?と不安だらけのぎこちなさで溢れていては制作の流れが悪くなる。もちろん、最初のステップで迷うこと、試行錯誤することは大事だが、「毎回同じように不安が生じる」のではなんらかの対処が必要になるのだろう。また、習慣に落とし込みすぎてもそこへの反省が難しくなるので、実際はその中間レベルのほうが好ましいのかもしれない。

絵の再現性

パースは「ごまかし」にすぎない

ロバートソンによると、パースは「ごまかし」にすぎないという。

人間の視覚をそっくりそのまま紙の上に創り出すことはできない。我々は目に映る像を立体として再現するのではなく、「見せかける」ことができるだけである。

こうして考えてみると、カメラもまた「見せかけ」ではないだろうか。

写真であれビデオであれパースであれ、すべて「見せかけ」であり「ごまかし」ということになる。

実際の視覚とは異なる「一部の側面」を切り取ったものにすぎない。全く同じものを三次元から2次元へと再現することは不可能ということになる。

・特に参照したページ

スコット・ロバートソン「HOW TO DRAW」,21p

「生き生きとした光景そのもの」は存在するか

だからどうしたんだ、近似できればいいじゃないかという意見がある。私もそのとおりだと思うのと同時に、「一体私は何を見ているのか」という疑問が生じる。

カメラや絵で2次元に転換される前の、あの「生き生きとした光景そのもの」を再び見ることは難しく、「それ」がなにかも正直よくわからない。カメラで写し取ったものはたしかに客観的であり、私でも田中さんでも鈴木さんでも、同じような「それ」を見ていたと語ることはできる。しかし厳密に私が見ていた「それ」は田中さんとも鈴木さんとも違う何かであるはずである。

私はクロード・モネの『印象・日の出』が好きだ。これは写真では再現できないだろう。

「それ」を絵画で表現したものと、カメラで表現したもののどちらが「それ」をよく再現したものだろうか。

一般的な感覚では「カメラ」だというかもしれない。しかしそこには「私が見た、感じた」という要素が乏しい。

私は物をカメラのように見るわけではない。もちろん、視力だとか、立ち位置だとかそういう物理的な話だけではない。精神的な解釈の話として違う。青色の「それ」から受ける「青色の感じ」、赤色の「それ」から受ける「赤色の感じ」など、さまざまな「感じ」の総合によって目の前の景色が構成されているわけである。精神が衰弱しているときの赤色と健全なときの赤色とでは受ける感じが違う。そうした「それ」をカメラと絵画でどちらが表現できるのか、これは熟考に値する問題である。

再現できていない要素への着目

パースは確かにカメラと同様に、3次元の「それ」を2次元に転換する大事な技術である。

完璧ではないにせよ、ある要素を近似的に再現しているといえる。しかしある要素は「再現できていない」という点にも着目するべきだと私は考える。技術(パース)さえ揃えば何もかもが再現できるのだとは考えず、より多角的な視野と多様な経験を持って、その時々の一瞬の、複雑な「それ」を表現しようと努め続けていくのがアーティストの真骨頂だと思うからである。

重要なのは、「それ」をより洗練した表現へと昇華、発展させていくためにパースもカメラも重要な資料(リファレンス)となるという点である。

どの技術も参考にしながら、自分が良いと思う絵、美しいと思う絵、より「それ」に近い絵を、芸術作品を創っていけたら良いのだと思う。もちろんこれは写実の領域だけではなく、アニメなどの想像の領域でも同じである。自分が頭の中で考えた「それ」を2次元に再現するためにどうするか、という点で同じ問題に突き当たるからである。

参考文献

初心者でもわかりやすい本

 

ロビー・リー「超入門 マンガと図解でわかる! パース教室」

ロビー・リー「超入門 マンガと図解でわかる! パース教室」

・パース全般の基礎において一冊目にこれを手に取るのに適している。 ・私は「パース!マンガでわかる遠近法」よりも平易に、かつ丁寧に説明されていると感じた。それゆえに、初心者は特に一冊目にこの本をおすすめする。

デヴィッド・チェルシー「パース!マンガでわかる遠近法

デヴィッド・チェルシー「パース!マンガでわかる遠近法

デヴィッド・チェルシー「パース!2 マンガでわかる遠近法

・イラストが多く、わかりやすい。パースの基礎用語の説明もされていて、かつ平易にパースの使い方が説明されている良本。ただし、建築パースに特化しているわけではなく、「イラストレーション(漫画)」に特化している点を注意する必要がある。 ・パース全般の基礎を学ぶという目的において一冊目にこれを手に取るのに適している。

上級者向け

「スコット・ロバートソンのHow to Draw -オブジェクトに構造を与え、実現可能なモデルとして描く」

「スコット・ロバートソンのHow to Draw -オブジェクトに構造を与え、実現可能なモデルとして描く」

絵を描く、特に線画に特化した本。小難しいが広く、深く説明されている良本。

山城義彦「現代パースの基本と実際」

山城義彦「現代パースの基本と実際」

・パースの歴史や細かい用語が説明されていて便利。ただしメインはイラストレーションではなく「建築パース」に特化している点を注意する必要がある。 ・かなり小難しく説明されている(建築パースゆえにそうならざるをえないのだろう)。例えるなら文系が理系の数学を見たときのあの感覚に近い。建築家ならば通らなければならない道ではある。ただし、この本はだいぶ古く、現代ではコンピューターグラフィックスをもっと多用して楽をするのだと感じた。ただし、楽をするにもその原理を知っておいて損はない。

その他(パースがメインではない本)

「デジタルアーティストが知っておくべきアートの原則 改訂版 -色、光、構図、解剖学、遠近法、奥行き」

「デジタルアーティストが知っておくべきアートの原則 改訂版 -色、光、構図、解剖学、遠近法、奥行き」

・全般的な絵の知識が語られている本であり、パースに割かれる箇所は少ない。ただし、それなりにそれぞれ濃く説明されている本である。 ・パースを学ぼうとしてとる本ではないが、絵の描き方を学ぼうとする場合は選択肢に入ってくる。ただし高いのが難点。

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