目次
芸術、デッサン、絵とものの見方|新しい視点でものを見る方法を学ぶ
ベティ・エドワーズの『脳の右側で描け』は分厚い本で300ページ近くあります。どれも絵を描くためには有益な情報です。今回は主にデッサンや模写などをする前提知識としてこの本を読み、私が重要だと思った一部をピックアップして紹介したいと思います。とくに初心者の人は必見です。
絵の上達のための知識とはなにか。~視点(物の見方・考え方)という知識の重要さについて~
私は絵に関する知識さえ学べば絵のスキルは上がると思っています。絵の知識といっても、パースや解剖学、黄金率、色に関する知識、陰影に関する知識、シワの描き方、構図の決め方、塗り方など細かく言えばきりがないです。その中でも「ものの見方」に関する知識は大前提として重要なのです。ものの見方とは、いわゆる「知覚の方法」です。濃淡の付け方といった「描くための技能」ではありません。
エドワーズはものの見方について、5つの基本技能を挙げています。エッジ、スペース、相互関係、光と影、ゲシュタルトの5つです。この5つの知覚の方法をすべて使いこなせることができれば、絵がうまくなっていることを意味します。ものの見方には主観的なものや客観的なものがありますが、絵に関しては客観的な法則なども多いです。天才はものの見方が違うとよく言われますが、ある程度までは学ぶことによってプロのデザイナーや芸術家のものの見方をみにつけることができます。
「絵が上手くなる」とは、今回の場合「見たものを描く(写実する)」ことが上達することを意味します。もちろん写実的に描くスキルが上がれば、1から創造的にキャラクターを描いたり、風景を描いたりスキルも上がります。つまり、創造スキルが上がります。エドワーズによれば「デッサンという知覚の基本技能を他の分野での学習や思考一般に応用」することもできるそうです。絵のスキルがスポーツや科学、ビジネスなどに役立つのです。
絵の描き方を習うことは、じつは、ものの見方――正しい見方――を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味している(キーモン二コライデス『デッサンの道しるべ』,1941)
脳の機能、RモードとLモードの違いについて
要約
右脳を鍛えても意味がない?脳に関する科学的な知見、デマや嘘、信ぴょう性
脳の機能が左右で違う分担をもっているという説のことを、脳機能局在論といいます。専門的な用語でいえば、右脳・左脳という区別ではなく、右半球・左半球という区別です。
理屈っぽい人は左脳が優位だったり、芸術肌の人は右脳が優位といった説があるそうです。wikiによればこうした分類は科学的な知見からかけ離れた通俗心理学のようなものだと批判されているそうです。つまり芸術的なものの見方をもつためには、右脳を優位にする(Rモードを優位にする)というエドワーズの説は批判されていることになります。
経済協力開発機構では『脳の理解:教育科学の誕生(2007)』で論理的な左脳と創造的な右脳というイメージを迷信として批判しています。
wikiではこんなことも書かれています。
脳の右半球と左半球は脳梁に結合されて協調して認識を行う。「右脳を鍛える」と称する訓練等によって「イメージ能力」や「創造性」が向上するという説は、科学的根拠がなく否定も肯定もできない。
(・・・)
科学的根拠が乏しいと結論づけられている理論であるが、現在でも右脳を鍛えることを謳った教材が散見される。(
オスロ大学の末神翔博士によれば、世間で言われている左脳と右脳に関する情報の大半はフィクションだといいます。つまり嘘なのです。wikiにもある通り、左右の脳は脳梁(のうりょう)でつながっていて、左右の脳で処理されている情報は行き来しているのです。したがって、ある知的作業に一方の脳だけしか使われないということは考えられないそうです。
右脳と左脳の機能の違いとは|役割の違いについて
え、じゃあ『脳の右側で描け』も眉唾もので意味がないの?と思われるかもしれません。確かに右脳だけが芸術的で、左脳だけが芸術的だなんていうのは嘘です。 極端な二分化は意味がありません。左脳と右脳は脳梁(のうりょう)で繋がれているのであって、完全に分離しているわけではないからです。
しかし、右脳と左脳の機能は異なることも事実です。一般的に左脳は言語、推論、計算などの「論理的な」機能、右脳は音楽、直感、図形などの「感覚的な」機能をつかさどっていると言われています。左脳は人間的な脳、右脳は動物的な脳という人もいます。
オスロ大学の末神博士も左右の脳に構造的・機能的な差があること自体は認めているのです。左の脳が計算、右の脳が創造的という極端な二分化は科学的な根拠がないといっているにすぎません。
医学博士であるジェフ・アンダーソンは
ある種の脳の機能は左右のどちらかの側で生じることは疑いない事実。言語機能は左脳、注意機能は右脳で生じる傾向がある。しかし、左脳寄り、または右脳寄りの脳ネットワークを持つという傾向はない。脳内の機能のコネクションごとに決定されるようだ
と述べているそうです。
エドワーズもノーベル賞を受賞したカリフォルニア工科大学のロジャー・W・スペリーらの研究を例に挙げ、「神経学者たちは、当初はやや消極的でしたが、脳の両半球が人間レベルの高度な認識能力をもち、それぞれの半球が非常に複雑な別々の思考モードに特化していることを認めるようになsったのです。(前掲,31頁)」といっています。
つまり、右脳が絵を描くためのモードに特化していることを示唆しています。
LモードとRモードの違い|Rモードは絵を描くために適したモード
そのままですね。LEFTMODEの略。
イメージ:言語的、分析的、象徴的、抽象的、時間的、逐語的、理性的、デジタル、論理的、直線的
これも同様です。RIGHTMODEの略。Rモードを使うと心の目でものを「見る」ことができるそうです。
イメージ:非言語的、統合的、現実的、客観的、類推的、非経時的、想像的、非合理的、空間的、直感的、全体論的
重要なのはRモード(右脳の機能)が絵を描くのに適したモードであるということです。
Lモードは論理的、理性的などといったイメージのように、過去の経験や論理を元に頭で考えてしまいます。こうした機能は議論や学習の場合に役立ちますが、絵を描くために必ずしも役立つとは限りません。
それに対してRモードは、直感的、感覚的という言葉のとおりに、あるがままの現実を見ることができます。絵を描くときにLモードを使ってしまい、正確に模写できない人がいると思います。しかし、Rモードを使えば正確に模写できるようになる道が開けてくるのです。
もちろん、前項のように右脳だけが芸術的で、直感的、感覚的ということではありません。左脳にもそのような機能もありますし、右脳と左脳は脳梁で繋がっていてるので、どちらかに機能を極端にふりわけるべきではありません。しかし、右脳が芸術に向いている機能に特化している傾向があることもまた事実なのです。
Rモードと創造モード
創造的なモードに入っているとき、人は直感に頼って、一足跳びにものごとの本質を見抜きます。それは、ものごとを論理だてて理解しなくても「すべてが正しい場所におさまる感じがする」瞬間です。(前掲,37頁)
論理的にものごとを理解するのがLモードだとしたら、直感的に理解するのはRモードです。したがって、Rモードは創造的なモードだといえます。この直感的、全体論的に理解するような体験をアハ体験やエウレカともいいます。「見えた」、「わかった」という経験です。
絵が上手い人はいちいち絵を描くときに論理建てて描いているのでしょうか。本当に絵が上手い人は直感的に描けているのだと私は思います。もちろん絵を描く練習や、知識は必要です。しかしたんに知識や経験だけで絵が上手く描けるようになるとは思えません。絵を描く練習も、右脳の機能を働かせるような練習やが必要なのです。Rモードを自然と使えるようになった結果、いちいち論理建てて考えなくても絵がかけるようになると思います。
左利きはほんとうに芸術家向きなのか?利き手を変えるべきか?
左脳は主に右手を動かし、右脳は主に左手を動かします。つまり、「右脳をよく働かせる左利きのほうが絵が上手くか」ということです。エドワーズによれば、左利きの人は右利きの人にくらべて左右の脳の機能分化が進んでいないそうです。たとえば左利きの人は言語と空間情報を両方の脳で処理する人の割合が右利きの人より多いそうです。
右利きの人は90%近くの割合で言語を左脳で処理します。それに対して、左利きの人は右脳で処理したり、左脳で処理したり、あるいは両方の脳で処理するのです。具体的な数値でいうと、左利きの人の中で60%が左脳で処理し、のこりの40%の人は右脳、あるいは左右の脳で処理しているのです。
一部の専門家は左右両方の機能をつかうことで、吃音(きつおん)のように言葉をうまく発せないような障害が生じやすくなるといっています。また、別の専門家は両方の脳にアクセスできる左利きのほうが、優れた知能をもっているといいます。実際に左利きの人たちは数学、音楽、スポーツ、チェスなどで能力を発揮しているそうです。レオナルド・ダ・ヴィンチなどの芸術家も左利きでした。
左脳と右脳、優位半球と劣位半球
左脳は有能で、優位半球や大半球と言われています。それに対して右脳は劣位半球や小半球と言われています。左脳は有能で、自分がどうしても処理できないような仕事以外は自分で処理し、右脳に譲らないそうです。左脳ができない仕事を右脳で処理できるように働きかけること、つまりRモードにうまくアクセスすることが必要になってきます。右脳は劣位半球なんて呼び方をされていますが、とても優秀な機能をもっているのです。
左脳が右脳を抑制し、絵を描くための右脳の機能を妨げてしまっているのです。右脳の空間把握機能抑制せず、左脳の言語機能や象徴化機能を抑制することで、Rモードを優位にさせ、うまく絵を描くためのシステムを創るのです。
LモードからRモードへの移行の方法について|右脳の活性化、トレーニング
Rモードがなにか、Lモードが何か、Rモードが絵を描く際に適していることはわかりました。問題は、どのようにしてRモードにアクセスするかということです。
要約
Rモードにアクセスするための実習について~左右対称~
花瓶と顔を使って支配的なLモードからRモードへ移行させるための実習があります。
1:右利きの人は左半分の顔を模写します
2:そして水平線を引きます
3:今描いた顔を「ひたい、鼻、上唇、下唇、あご、首」とそれぞれの部分を言いながらなぞります
4:反対側の顔も描きます
5:心のなかで迷いや混乱が生じたら心のなかで記憶しておく
全然うまく描けません。これはおそらく左側の顔を右側にトレースする際に、左脳を使って左右対称であることを気にせず、論理的に考えてしてしまい、混乱した結果だと私は考えます。
Lモードは言語を通した機能です。ここはおでこで、鼻で、口でと頭で考えてしまいます。それに対してRモードは視覚を通した空間的なモードです。トレースする際にいちいち顔の目鼻立ちを言葉として考えないようにすることが重要です。
グリッドとなる線を引いたり、曲線にしるしをつけたりして空間的なモードにはいっていきます。見たものをそのまま写し取る視覚的なモードです。キーワードは空間と関連性とプロポーションです。
顔を書いているのだと考えない方で描くのがいちばんです――つまり、言葉ではなにも考えない、ということです。右脳モード、すなわち画家モードで絵をくとき、言葉を使って考えようとしても、脳のなかではこんなやりとりしかありません。
「この曲線はどこからはじまっているのだろう?」
「線の曲がり具合はどれくらいか?」
「この角度は、紙の端の垂直線にくらべて何度傾いている?」
「反対の方向から見たとき、この点は紙の一番上の端(または底辺)からどれくらい離れているだろうか?」
(前掲,50頁)
こうしたRモードを意識しながら描いてみます。
すこしマシになってきました。もっといろいろ考えながら描いてみます。
対象が複雑なほど左右対称にするのは難しいと思います。また、その対象に詳しいほど、左脳が機能しやすいです。わけのわからないものほど右脳が機能しやすいです。たとえば人間の顔は、顔を言語として捉え、意識して顔を描いてしまいます。したがって、正確に左右対称になりにくいです。こういった左脳の機能を抑制し、右脳の機能を働かせることが重要となるでしょう。
まずは描いてみて、どうしたら正確に描けるかについて自分で観察し、考えることが重要ですね。Rモードは言語を用いずに、ものの大きさ、曲線、角度、形態といった視覚的な相互関係を知覚することが得意です。
Rモードにアクセスするための実習について~上下逆さま~
パブロ・ピカソ「イーゴリ・ストラヴィンスキーの肖像」の上下逆さま
これをスケッチします。LモードからRモードへシフトさせる実習です。描き終わるまで正しい位置に直さないことがポイントです。どこから描き始めてもいいそうです。ただし、全体の輪郭から描き始めるのはNOです。
私が一番重要だと思ったのは「視覚言語だけを用いること」です。「この線はこっちに曲がっている」といった言語です。ここは耳だから、こう曲がるといった言語はだめです。手や顔に名前をつけずに、形体として見たほうがいいそうです。
一応私も実習してみました。
少しバランスが悪いような気がしなくもないですが、わりと上手くかけていてびっくりです。この絵は描いたものをひっくりかえしたものです。Rモードにはいっていたからこそ描けたのだと思います。距離や角度、空間に集中できた気がします。顔を描こうとか、シワを描こうという意識がありませんでした。
こうした実習の利点は、「Rモードへの転換ができるようになれば訓練を積んだ画家と同じ見方でものを見られるようになる」ということです。本記事でもっとも重要な点です。上下逆さまの絵を描くときにRモードへ転換しているのです。そうした転換の記憶、いうならば「知覚の転換」を練習で記憶し、いつでも呼び出せるようにすることが画家の見方を身につけることです。Rモードへはいる感覚について、エドワーズが引用している文章を紹介したいと思います。
作業がほんとうにうまくいっているときは、ほかのことではけっして味わえない感覚が生まれる。その作業と一体になったように感じる。画家と絵とモデル、すべてが1つに溶け合う。神経は研ぎすまされているが、穏やかな気分だ――全神経を集中させ、完全にコントロールしている。正確にいえば、それは幸せとはいえない。それ以上の幸福の状態なのだ。それがあるからこそ、私はなんども戻ってきて、飽きずに絵を書き続けるのだろう。
エッジ、スペース、相互関係、光と影、全体(ゲシュタルト)という5つの知覚
ここで詳細に全て扱っていると記事の量が膨大になってしまうので、簡単に紹介したいと思います。
理想をいえば(私が思うに)、美術の学び方は次のようであるのが望ましい。まずエッジを認識します(線)。それからフォルムについて理解します(ネガ・スペースとポジのフィルム)。そして、正しいプロポーションと遠近法で欠けるようにします(見ること)。これらの技術は光と影の認識へとつながります(光の論理)。それが身についたら、バルール(色価)としての色彩を認識できるようになります。(前掲,210頁)
要約
エッジとはなにか|絵の輪郭線と知覚
エドワーズはこのエッジの感覚を鍛えるために、純粋輪郭画法(じゅんすいりんかくがほう)という練習法を提案しています。
純粋輪郭画法の効果としては、Lモードを抑制し、Rモードを活性化させ、知覚の転換を生じさせることが挙げられます。エドワーズは自分の手のシワを純粋輪郭画法によって実習することを提案しています。
ピクチャープレーンとは|PP、画面
この章ではエッジの説明よりも、ピクチャープレーンの説明のほうが面白かったです。ピクチャープレーンとはこういうやつです。
デザインスケールともいいますね。こうしたグリッドを使ってスケッチすることで、写実的な絵が描けるようになります。ピクチャープレーンという道具がなくても、訓練次第で想像上のピクチャープレーンを使えるようになるといいます。これは目からうろこですね。本書ではピクチャープレーンの使い方や実習方法が載っています。
ネガ・スペースとは|ポジのフィルムとの関係について
言葉で説明するよりは、図で説明したほうが簡単ですね。適当に画像を拾ってきます。
この羊を軽く模写してみます。
なにも意識せずに模写をしたら、まずはこうなりました。
あまり正確に描けてないですね。今度はネガ・スペースを意識して描いてみます。
ちょっとはましになった気がします。切り絵みたいなイメージですね。ここからハサミを使って羊を取り出したあとに残る空間がネガ・スペースです。切りだされた羊がポジのフィルムですね。RモードとLモードの話でいうと、ポジのフィルムを意識すると、羊という言葉や足という言葉を連想してしまい、Lモードで描いてしまいます。ネガ・スペースを意識すると、角度やかたちなどに集中でき、見たものを視覚的な知覚で把握できるRモードを使って描くことができます。ネガ・スペースを重視することで、複雑なフォルムを描くことができ、デッサンに統一感が生まれ、構図がしっかりとするようになります。
エドワーズは「ファン・ゴッホの椅子」をネガ・スペースを意識して描く実習を提案しています。今回私はピクチャープレーンがないのでパスします。機会があればピクチャープレーンと鉛筆も買っておくことにします。
相互関係と遠近法とは|公式の遠近法と非公式の遠近法
相互関係を学ぶということは、遠近法とプロポーションを学ぶということに等しいです。
遠近法を学び、自然に使いこなせるようになれば「対象がなんであっても、角度とプロポーションの相互関係を目測できるようになる」そうです。
エドワーズによれば、遠近法は公式のものと非公式のものがあるそうです。公式の遠近法のなかでも重要な基礎概念が5つあります。視点、ピクチャー・プレーン、目の高さ(水平線)、消失点、収束線です。
プロポーション、陰影、遠近法についての決まりごとがあり、うまく描くためにはそれを知っておかなければならない。その知識がなければ、いくら努力しても報われないまま、なにも生み出すことができない。 フィンセント・ファン・ゴッホ
遠近法についてここで詳細まで説明するのはヘビー過ぎるので用語の意味などだけざっと学習していきます。いつか別の記事で詳しくまとめていきたいと思います。遠近法についての書籍はマグ本がおすすめです。どちらかというとエドワーズがいう公式の遠近法の記述がマグ本のメインとなります。それに対して非公式の遠近法の記述がエドワーズの本のメインですね。
架空の水平線も、現実の水平線も、つねに目の高さにあることがポイント。どの位置に水平線を想像で引いたとしても、それは現実の水平線に重なる。つまり、水平線をデッサンのどの位置に配置するかは自分で決められる。
まえに紹介したこれもピクチャープレーンでしたね。
遠近法におけるPPを理解するのにはすこし手間がかかります。
このように、観察者と、被観察物を設置してみます。
この観察者が目の前の立方体を描いてみるとします。あるいは観察してみるとします。どう見えるでしょうか。
おそらくこのような感じに見え、それを写し取ろうとするはずです。このときに見えるものが画面です。SPとはSTAND POINTの略で観察者の立ち位置のことです。
だいたいのイメージです。水平線、つまり視点の高さが変われば、当然PPも変わります。
これでなんとなく遠近法の基礎が理解できたと思います。ほかにも視円錐や、一点透視図法などいろいろ学ぶことは多いですが、ここでは省略します
重要なのは、目の前の風景を写実的に描こうとした時、左脳はその風景をそのまま描き写すことを許しません。論理などの理性や経験で考え、描こうとしてしまうのです。それに対して、右脳はそのまま描き写すことが可能になります。また、遠近法は、そのまま描き写すためのテクニックであるといえます。
エドワーズは「ピクチャープレーン」を使った簡単な遠近法についても説明しています。私はピクチャープレーンを持っていないのでここで説明することはできません。また次回記事にしたいと思います。
プロポーションとは
たとえば目は顔の半分の位置に、鼻からアゴにかけての長さは、鼻から眉にかけての長さと等しいなどといった比率のことです。肖像画などを描くときに役立ちます。
エドワーズによれば、「自分が見ているものを信じないこと」が重要だそうです。錯覚の絵を見て、実際のサイズは同じなのに、片方の絵が大きく見えてしまうことがあります。そうした左脳的なものの見方ではなく、右脳的なものの見方をすることが重要です。また、実際のサイズを正確に描くためには、遠近法だけではなく、プロポーションを理解することも重要です。
顔のプロポーション(1)
このサイトの記事でもすこしプロポーションについて扱っているので、よかったらどうぞ。
光と影、光の論理(ライトロジック)とはなにか。色価(バルール)とはなにか。
光と影を学ぶことによって、絵がもっとうまくなります。たしかにそれは事実ですが、光と影をどうやって学んだらいいかがわからない人が多いはずです。私もそうでした。エドワーズは光と影を、光の論理を使って説明しています。エッジ、スペース、相互関係(遠近法とプロポーション)、ゲシュタルトと合わせて基本的なテクニックです。
まずはそれぞれの用語について紹介していきたいと思います。
ハイライト、キャスト・シャドウ、反射光、クレスト・シャドウの4つです。日本語でいうとキャスト・シャドウは「影」、クレスト・シャドウは「陰」にあたります。特に真新しい理論ではなく、一般的なデッサン書でも説明されています。今回は各用語に触れるだけにしておきます。別の記事で光の論理について詳しく研究していこうと思います。
明暗の相互関係、色調の違いをバルール(色価)といいます。白っぽい明るい色調をバルールが高い、暗い色調をバルールが低いというそうです。
カゲについての記事はこちらで少し扱っています。
ゲシュタルトとはなにか
ここで扱うのは難しいのでまた別々の記事で扱うことにします。
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